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イラン入国

イラン入国(2014年6月19日)

前日しっかり休んだので元気回復。でも朝はしっかり白米を炊いてしまったりして結局10時のスタートになってしまった。 アゼルバイジャン最終日。道は相変わらず悪く、相変わらず「お~い、こっちにこ~い」と声をかけられ続けた。 この日は今までとは違い、向かい風もそれほど強くはなく、意外とあっさり国境の町Astara(アスタラ)に到着した。

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(国境のゲートは海岸沿いにあり、ちょっとわかりにくい。)

早速、ゲートを越えようとすると、警察官が現れ、「今はランチタイムだから2時半にくるように」と一言。 しかたなく手持ちのマナトを使い切るため、マーケットでジュースとヨーグルト、ハムを買って昼食。 時間になったので、国境に向かう。アゼルバイジャン側のイミグレーションは、いつもどおりの手続き。彩が痩せたせいで、パスポートの写真とよく見比べられたりしたくらいだった。

問題はイラン側。 まず国境の橋を渡って最初の警備員詰め所で、制止を受ける。イミグレーションでもなんでもないのに、パスポートの番号を控えられ、父親の名前を聞かれたり、と、よくわからない。

続いてようやくイミグレーション、パスポートコントロールに入る。すると、カウンターのおばちゃんが何やら手招きをしている。パスポートを先に渡せとのこと。渡してしばらくすると、今度は警察官が現れ、こっちにこいと言う。後についていく、と「ポリス!」と大書きしてある部屋に通される。う~ん、よくわからん。

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(イミグレオフィス。ブレちゃいました。)

警部だかよくわからない上司らしき人がデスクに座ってファイルに次々目を通しているけど、僕らは「シットダウン、プリーズ」と言われたまま…。 しばらく経って、ようやく僕達の手続きをしてくれるようだ。何やらゴソゴソとアタッシュケースをいじっている。 中から出てきたのは、じゃ~ん。スタンプ台。どこかでみたことがある道具。そうトルコのトラブゾン、イラン大使館でビザを申請するときも全く同じパターンでした。指紋採取。

スタンプ台が出てきた瞬間、「あー指紋か」と潔く両手を差し出す。「おーよくわかっているな!」と両手の指紋をバッチリ取られた。いや、そもそも両手の指紋はトラブゾンのイラン大使館で取られているわけで、指紋照合でもやるつもりなのか?外国人が通るたびに指紋をとっていたら大変だろうに…。ちなみに彩の指紋は女性警察官をわざわざ呼んで採っていた。どうも男性警察官は女性に触れてはいけないようだ。さすがイスラムの国。

まぁ結局のところ、警察官のおじさんはとてもいい人で、ワールドカップの話題(イランも出場している)で盛り上がった。ご丁寧にも日本とコートジボワール戦のスコアを教えてくれたり。一度イラン人とワールドカップ観戦してみたいなぁ。 最後に「Welcome our country」と笑顔で言ってくれた。いい言葉だね。いままでそんな言葉入国時に言われたことがなかった。

ようやくパスポートに入国スタンプが押され、イラン入国。 事務所を出るなり、両替商に囲まれてしまった。 とりあえず100ドルだけ両替しておくかな。と100ドルを2,505,000リアルに交換した。ちょっとレートが悪いかもしれない。 今日は少し先に進んで、野宿でもしようかと思っていたのだけど、彩の服(マントーと呼ばれるイスラム女性が来ている服。体のラインを隠すためのもの)を買ったりしているうちに結局17時になってしまった。17時から走り出すのはちょっと厳しいので、この町に泊まることにして一日は終了。



彩の服を買う時も、「君たちは私たちの国のお客さんだからお金はいらない」などとびっくりするようなことを言われたり(結局ちょっとだけお金は払った。)宿を探すときも、ちょっと迷っているとすぐイラン人のおじさんが寄ってきてくれて英語で場所を教えてくれたり、さらに最初に行ったホテルも、「20ドルくらいで泊まりたいのだけど」というと、「うちは無理だが、近くに安いホテルがある。そこにしなさい。行き方を教えてあげよう」などと、自分の利益にならないことなのに、親身になって教えてくれたりした。

うぉ~イラン。この国はいったい…。


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不思議な国

アゼルバイジャン走行記(2014年6月14日~18日)

アゼルバイジャン人
今までの国民とは全く違うと感じたアゼルバイジャン人。

自転車を止めて少し大きめな商店に入ると、店員らしき男性が私についてまわってくる。ちょうどいいやと思い、「ペーパーはある?」とか聞いてみる…そしてレジに並ぶと、彼とおばちゃん、レジの男性、客が集まってきて、「自転車で来たの?どこへ向かうの?」「外にいるのは旦那か?」みたいなことを全員が金歯(大抵の大人は金歯)を見せながら聞いてくるのだ。あ〜ちょっと時間かかっちゃったなと思いながら、自転車の元に戻ると、ゆうと自転車は10人くらいの男性に囲まれていた!彼らは自転車やGPSに興味津々でさわったり、ゆうに質問している様子。ゆう「遅いよ!」私「いやいや、こっちも大変だったんだから」。町中で自転車を止めるといつもこんな目にあってしまうのだ。

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(町の至る所に大統領の写真が…)

大きな町に入ると、私たちが見える限りの全員が私たちの方をじっと見ている。道を聞こうものなら、話しかけた以外の人まで集まってくる。本当におもしろいほど集まってくる。彼らの仕事は何?何をやっているところなの?と聞きたくなってしまう。

すれ違う車はよく私たちの隣でスピードを落とし、車内の人の全員の視線がこっちに向いていたり、助手席の人が身を乗り出して私たちを振り返ってじっと見ていたり、時には何かを大声で叫んだり…結構疲れます。。

彼らは全くと言っていいほど英語ができない。8日間滞在して、まともに英会話した人は2人しかいなかった。その代わり、ほとんどがロシア語を話せるよう。「アゼルバイジャン語もロシア語もわからないんだ」というロシア語をなんとか覚えて彼らに伝えるも、お構いなしにどんどん何かしゃべってくる…ゆうと私は日に日にアゼルバイジャン人の執拗さに疲れてきて、「話したいなら英語を学んでこい!」なんて思ったり。でも、彼らは母国語、ロシア語の他トルコ語も理解する人が多い。ということは、日本人より圧倒的にマルチリンガルなんじゃ?けしてバカにはできない…

そんな反面、最近の教育では英語に力を入れているらしいことも垣間見えた。たまに自転車を乗り回して遊んでいる中学入り立てくらいの男の子たちが「ヘンロー、ヘンロー(hello)!」と叫びながら追いかけてくる。そして「Where are you from ?」「What ‘s your name ?」などと質問してくる。基本的な英語だけだけれど、彼らとの方が会話が成立する気がする。それに私たちを見るや「キタイ?」(中国人?)と投げかけてくる大人(嘲笑う人もいれば、そういう意味合いでなはなく言う人もいるが)より、よっぽど男の子たちの方が良識を持っているのでは??

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そんなアゼルバイジャン人の中にも親切な人々もいる。基本はイスラムの信者でトルコ人の顔をしている。チャイ文化があり、「チャイ、チャイ(を飲まないか)!」と道脇から叫んくるのもトルコとそっくり。

暑い中、自転車で走っていると、ハンドルにくっつけているドリンクボトルの中の水はぬるま湯になってしまうので、町に入って商店があると冷たい飲み物を買って飲んでいた。ある時、なかなか商店がなくて冷たいものがそろそろ飲みたいのにと思っていた矢先、車が私たちの脇で停車して、窓からひゅっとオレンジファンタを差し出してくれた。これは本当にありがたい。そんなことが2、3回あった。

それから一度、商店で水を1本買おうとしたらお金は受け取らなくて「どうぞ」というそぶりをしてくれた。商店ではまけてくれたり、おまけで追加をくれたりすることはあっても、ものをくれたのはどんな小さな買い物でも今のところこの一度だけ。

アゼルバイジャンの夜
アゼルバイジャン7泊8日間のうち、野営が5日間。私たちは宿があれば泊まってしまうほうなので、これは珍しいほう。というのも宿が圧倒的に少ないからなのだけど。

野営ポイントは道路に近いけれど、茂みで見つかりにくいところ、脇道に入って放牧地のようなところなど。それにしても、どこも暗くなりはじめると蚊が多くて大変!虫除けを塗ったり、蚊取り線香を焚いたものの、たくさん刺されてしまった…しかも、この辺りの蚊に刺された時は、思わず「イタッ!」と口に出てしまうほど肌に痛みを感じるのだった。

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(上:お昼は日陰を求めて。たまたま道脇に絶好のスペースがあり洗濯物も干したり。
右下:この中にテントを張りました。)

走行4日目は一番辛い日だった。しばらく走ると、道がだんだん悪くなり未舗装と舗装を繰り返し、しまいには50km近くは完璧な未舗装になってしまった…ぐんとスピードは落ちてしまう。それにだんだんと向かい風が強くなり、運転マナーも東に行くにつれて悪くなっていく気がした。それでも今晩は切りよく町についたので、宿に泊まれるかなと現地の人に「安いホテルは?」と聞いてみた。しかし、1つは人がいないし、他も場所がわからなくて結局町の外れの廃屋でテントを張ることに。アゼルバイジャンは宿が少なく、あっても高いので、私たちのような旅人には向かない国なのかも。

次の日はカスピ海沿いに出て、Lankaranを目的地とした。Dalga Restaurant & Hotel : ツインで30マナト(3,500円) と相変わらず高めどけれど、5日間走り続けたのでいいかと投宿。そして併設されているレストランではじめてアゼルバイジャン料理を食べてみた。といってもほとんどトルコ料理のようなものだけれど。ビールとワインも飲んだ。なにせイランに入ったらアルコールは摂取できないから。それから、このレストランの店員からW杯の日本の初戦が黒星であったことを教えてもらった。

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ゆうの希望もあって、ここでもう一泊して洗濯や連続走行の疲れをとることにした。部屋を出てすぐの中庭に東屋のようなのが並んでいたので、そこで自炊してご飯を食べたり。宿はキレイとはいえないけれど、部屋内にシャワー・トイレがあって広々としているのでそこそこ。でもここでもやっぱり蚊は多かった。


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アゼルバイジャン走り始め

オンボロホテル(2014年6月13日)
気を取り直してアゼルバイジャン走行開始!ビザ有効期限の10日間で600kmちょっとを走り抜けなくてはならない。まぁそんなに切羽詰まる距離ではないけれど。

アゼルバイジャンはグルジアよりも犬が狂暴な気がして、道の途中で武器として石を拾っていたら、近所の家から出てきたおじさんがスモモのような果物を4つほどくれた。そして「こっちに来い」と手招きされたので何だろうと思いながらもついて行ってみる。すると、赤いチェリーがたくさんなっている木を指差して「好きなだけとりなさい」ということだったので、ほんの少しさくらんぼ狩りをしてみた。でもあとで食べたら、酸っぱい酸っぱい…

この日は平坦な道のり、しかも追い風。時速21~22kmあたりでこげるので、スピードメーターの走行距離もみるみる伸びていく。もうこんなに走っちゃったよ、と何だか楽しかった。

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(左:さくらんぼ狩り。右:広大なひまわり畑の脇に羊の群れ)

そしてこの日泊まったのは、Ganja のCapaz Hotel。ロンプラで最安の宿を調べて、それに町中の人に「安い宿を知らないか?」と聞いた上で選んだ宿。ツインルーム50ドル…高いくせにオンボロな建物…今日の走行距離はこの旅の最高記録の150km。それに辺りはまだ明るいけれど20:00になろうとしていた。さすがに疲れたよ。町の外れに出てキャンプをする体力も残っていなくて仕方なく。れにしても全く値段にそぐわない部屋だった…別にシャワーのヘッドがないこと、トイレは便座が取れて立てかけてありタンクも壊れてて自分でタンクに水を入れなきゃいけないことなどに驚きはしないけれど、この値段で??もちろんWi-Fiもない。…それでも、昨日の寝不足は解消できたかな。

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(右:お湯が欲しいとお願いしたらこんなので沸かしていた。すごい時間がかかる…)


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この旅最大のハプニング?

どうしよう!?(2014年6月12日)
今日はアゼルバイジャン入国を目指して走り出す。今まで何度かビザ取得をしてきたけれど、それらを使って入国するのはアゼルバイジャンが初めて。

走りはじめて5分足らずでスイス人夫婦のサイクリストに会ったけれど、「アルメニアへ行くんだ」と言うことで間もなく分岐点で別れた。やはりこの時期サイクリストは多いよう。

アゼルバイジャンまでの約60kmは大方追い風で走りやすかったけれど、肝心の登りでは方向が逆になってしまい、風に抵抗して走るのはしんどかった。そこでは何もない空なのにびゅうびゅうと音がして、あの恐ろしかったパタゴニアの風を思い出してしまう程だった。

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(土地もパタゴニアのパンパに似ている)

グルジア出国、アゼルバイジャン入国の手続きも無事終了。イミグレを出てすぐのところにあった両替所で、残ったグルジアラリと米ドルを両替。

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(左:グルジアイミグレ。右:両替している間に私の自転車に乗られてしまった…)

再び走り出すと、路面状態も良く運転も落ち着いていて良いと感じた。国境という一線を越えるだけで、本当に違う「国」に入ったとわかる。しかし…間もなくこの旅最大のハプニングが!!ゆうが急停止して叫んだ。

「パソコンがない!!」

「え!?なんで??」 盗まれるような隙があったっけ!?いつもパソコンの管理には一段と気を使っているゆうも十数秒間なぜないのかわからなかった。

「宿に置いてきた。」

どうやら、トビリシの宿で出発直前に一度バッグにしまったパソコンをプリントアウトしたいものがあるため取り出し、ロビーでひと作業してメモリと紙は持ったもののパソコンを机に置きっぱなしにしたようだ…

この旅で私たちの1番の貴重品とも言える持ち物。私から言いたいこともあったが本人も相当ショックを受けているので、ではどうするかを話した。とりあえずパソコンの所在確認のため、ホテルに電話してみることに。次の町まで進み、ガソリンスタンドや何かの施設で電話をかりてかけてみたけれど、国際電話がかけられないのかどこも繋がらなかった。人々も「ここから10kmでグルジアだぞ」と言う。

どうしよう…ホテルにあるのなら取り返したい、、ビザ不要のグルジアに戻ることは簡単にできるのは幸い。しかし、アゼルバイジャンに再入国するためにまたビザは取れるのか…方向を変えてアルメニアに入るか…もともとアゼルバイジャンを選んだのは、とにかく先へと急いでいたため最短ルートで次の国を目指せるから。それに、あまり自走をしてこなかった私たちだけれど、このルートなら全て走り抜けられそうだったから。その他にも様々な思考が頭の中を巡った。

あのパソコンはお金ではない価値もあるので、私たちはグルジアに戻ることを決め、10km逆走することに。国境に着くともう一度電話が借りれないかと、人々に声を掛けると私たちが利用した両替所を案内された。

そこのおじさんは携帯電話を貸してくれて、ホテルに電話が繋がった!やっぱりパソコンはロビーにあるとのこと。一旦電話は切ったけれど、二人とも考えたことは同じだった。「多少のお金を払ってパソコンをここまで持って来てもらえないか。たしかグルジア人はビザは不要のはず…」と言うことで再度電話し、何度かやり取りをし、持って来てもらえることになった!!ホテルの人は皆英語を話せる人だったので、その点も幸いだった。

1時間半くらい近くのカフェで待つと、おじさんの電話に向こうから「来たぞ」と連絡が入った。しかし、うまく英語で意思疎通ができていなかったらしく、彼はグルジア側で待っていた。

「パスポートなんて持ってない」…彼はタクシーで来ているらしく、「追加を払ってくれればパスポートを持ってまた来る」と。こちらは弱い立場なのでそれに従うしかない。

今度は2時間近く待つと、また電話がかかってゆうは国境へ向かった。時間が少し経つと私も心配になって、国境が見えるところに行くと…

ゆうが両手を挙げてパソコンを掲げているのが見えた!!良かった〜!!!何とか再び手にすることができた!!これで予定通り走ることもできる。

電話を何度も貸してくれたおじさんにも感謝。お礼を払おうとしても、手を振っていらないと仕草してくれた。

結局○○○ドルも払ってしまったけれど、アゼルバイジャンビザは日本人は無料で欧米諸国人のビザ代よりは低いから、ビザ代と考え、良しとしよう。

何だかんだで21時を過ぎ、あたりは真っ暗。二人ともすっかり疲れ切ってしまった。この辺りの建設中?らしいレストランの裏にテントをたて、やっと長い一日を終えた。


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温泉とワインのトビリシ

ゴリを出発する
翌日、朝は少し早めに出発してスターリン博物館を外観だけ見に行ってきた。世界で唯一といわれるスターリン像もあるらしい。
スターリン博物館は、町の中心部スターリン公園の中にある。スターリンの生家やスターリン像、スターリンを乗せた客車と博物館がある。スターリン像は町に背を向けるように、ひっそりと佇んでいた。

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さて、高速道路に戻り一路首都トビリシを目指す。マイケルは今日の午後一でビザ申請をしたいようで、先に行ってしまった。トビリシまではわりとすんなり着いたのだけど、トビリシは縦に細長い街で町に入ってからお目当ての宿、ホテルジョージアに着くまで2時間近くかかってしまった。トビリシの手前10kmほどにある町はグルジア正教会でも重要な場所らしく、いくつもの教会が建っていて美しかった。

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(お昼を食べたトルコ料理屋。グルジアの幹線道路沿いには、トルコ人トラックドライバーのためのトルコ料理屋がときどきある。とても親切なトルコ人店員さんと)

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(道路未整備が不便であることを詫びる政府の看板。珍しい。)

トビリシの宿、ホテルジョージアでは、たまたま旅行中の日本の知人に会うことができた。
宿は驚愕の値段10ラリ(600円)。しかも、夕食付きだ。
多くの日本人旅行者が大絶賛する宿なのだけど、僕達としては、ちょっと居心地が悪く微妙なホテルだった。
部屋は窓がなく天井が低い、換気ができないため暑い、道路に面しているため煩くて眠れない、トイレとシャワーの間の仕切りがなく、シャワーを浴びるとトイレがびしょびしょ・・・。などなど、枚挙に暇がないのだけど、とにかく監獄のような部屋で長居するにはちょっと辛いかな。。ということになった。
まぁ、とりあえずこの日は泊まることにして、一緒になった日本人旅行者4人と久々の日本語トークを楽しんだ。

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(日本人に大人気のホテルジョージア。。。だけど僕たちにはちょっと厳しかった…。)

トビリシ滞在記
トビリシでは、アゼルバイジャンのビザをとる必要があった。2泊したホテルジョージアから旧市街のオールドタウンホステルに移動した。マイケルとヘンドリーからおすすめしてもらった宿だ。ホテルジョージアと比べればだいぶマシ。滞在も一息つけそうだ。

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アゼルバイジャンビザは発給まで所要3日、日本大使館の旅券添え状が必要で手数料は無料。窓口は月水金の午前中に申請、2営業日後の16時以降受け取りという具合だ。申請自体はスムーズで、特筆すべきことはなし。ただ場所だけ以前の場所とは変わっているので注意。調べていってください。日本大使館は、アンカラの大使館に比べて随分小規模だった・・・。

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(左:午後になると毎日雷雨がある。この日は大量の雹が降ってきた。右:彩の誕生日祝いでちょっと高いオーガニックレストランへ。)

ビザ待ちの間に、トビリシ名物のトビリシ温泉にいってみた。共同浴場のほうが有名なのだけど、ここでは個室のお風呂にも入ることができる。料金は一部屋10ラリ。天然硫黄の温泉で、硫黄の香りが日本の温泉とそっくり。肩までしっかり浸かれるので、身体の疲れを取るにはピッタリかもしれない。オススメ!

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※温泉の場所は下記を参考にしてください。
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スリコ&メディコの家

メディコ&スリコの家で休息。
多くの日本人旅行者が大絶賛するメディコ&スリコ家のホームステイ。
その魅力はいろいろあるけど、まず料理と酒。ワインや地酒のチャチャは飲み放題。
料理もメディコお手製のグルジア料理をお腹いっぱい食べることができる。

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(自家製ヒンカリ。じゅわっと溢れる肉汁は健在!)


到着の翌日、この日ははもともと完全休養日ということにしていた。
チリのビーニャ・デル・マル以来となる自転車の後輪の軸を分解清掃して、新しいグリスを詰めたり、あるいはブレーキシューを交換したり。もう思う存分自転車いじりをした。自転車いじりは昔から大好きで、ほっておくと一日中整備してたりする。彩は洗濯をしてくれた。
午後は、溜まっていた動画を何本か作ったり、写真を整理したり。
そんなこんなであっというまに時間が過ぎていった。
朝ごはんはヒンカリ。夜ご飯もまた豪勢、そしてスリコの酒宴が始まるのでした。

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翌日、ホントは出発しようかとも思っていたのだけど、近くにある世界遺産の教会も見ていないし、ということでもう一泊することにした。世界遺産の教会は一度破壊されてしまったけど、今は修復がすすんでいる。
今から1000年以上も前にこんな教会が建てられていたとは、やはり驚きだ。西洋のいわゆる“バシリカ式”教会ではなく、“集中式”教会という建築法で建てられているらしい。会堂の空間は、バシリカ式のほうが広く取れるが、集中式もまた美しい。

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午後には食材のマーケットの見学に行った。グルジアの豊かな食文化を支えるマーケット。やはりさすがといった感じ。野菜から果物、スパイス、各種肉、そして薬草。食材がずらりと並んで活気があった。楽器を持ったおじさんたちが、マーケット内で音楽を奏でていたり、なかなかおもしろいマーケットだった。夜は彩がピアノを演奏したり(させられたり?)、賑やかな夜になった。(調律をおそらく数十年していないアップライトピアノの音は凄まじく。シロウトの僕でも、半音くらい違うんじゃないか、というような感覚に陥って、まぁそれはそれで面白かった笑)

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クタイシを出発する
3泊したスリコ&メディコの家を出発する。朝、メディコから自家製ワインをたっぷりもらい、「子供ができたら見せにくるのよ」なんて言ってもらったり。お世話になりっぱなしだった。
メディコもスリコもかなり高齢なので、これから訪れる旅人は滞在中、重いものを運ぶのを手伝ってあげたり、とちょっと慮ってあげた方がよいかもしれない。「お金を払って泊まっているのになんだ!」と思うかもしれないけど、メディコ&スリコの家に泊まっていると、自然とそんな気持ちになってしまう。メディコは腰を痛めているようで、歩き難そうだった。

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クタイシからトビリシまでは約300kmの道のり、途中2泊しなくてはいけない。
この日は久しぶりの峠がある。標高は1100m程度。大したことないと思っていても実際に走るとやっぱり辛い。結局この日は峠を越えることができず、手前のレストランにテントを張らせてもらうことにした。このレストラン、なんと店先で熊を飼っていた。小さな折の中に熊がいる。はじめは気がつかず、振り返るといきなり熊がいてかなり驚いた。でもこのクマさん、正直可哀想。こんな小さな檻の中で一生を終えるなんて、ちょっとあり得ない。夜中に逃がしてやろうかと思ったくらい。(やらなかったけど。)

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発展途上国だと、動物の権利はほとんど省みられないのかもしれない。かといって先進国?の日本は野犬を何万頭も殺処分しているわけで、どっちもどっちなのかな。ただ野良犬が自由に生きている発展途上国がよいのかといえばそうとも言えない気もするし(特に毎回襲われるサイクリストからすれば)、世の中は不条理なことが多いな、と思ったり。野犬を殺処分するな!と唱える反対派の人は、一度野犬に襲われてみればいいし、問題は野犬を増やしてしまう無責任な飼い主にあるえわけで、ドイツのように犬は登録制で税金でも納めさせれば、安易に購入して捨てるなんてことが起こらないような気がする。ICチップ案もそういう意味では賛成。あ、話がそれました。

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スターリンの生まれ故郷
翌日、峠を越えてゴリの町を目指す。午前中は下り坂だったので距離を稼ぐことができたけど、午後は予想外の向かい風に悩まされた。
そういえばこの日、ジュースを買って飲んでいるといきなり右上の奥歯が取れた。たぶん詰め物が取れたんだと思う、痛みもないし。ただかなりビックリ。どこかで歯医者にいかなくては。

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欧米人のマイケルもバテバテのなか、なんとかゴリの町に到着。ゴリはご存知、スターリンの出生地として有名な場所。宿はロンリープラネットに乗っていたホームステイ先に決定。
ちょっと高いわりにマットレスが薄っぺらで設備が悪く、また個室でもないので、「高すぎる。アンハッピーだ」とマイケルが拗ねてしまった。しょうがなく僕たちがマイケルに部屋をゆずってあげた。
いい年して拗ねるなよ~、マイケル・・・。
ちなみに宿のおばさん自体はいい人だった。おしい。

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(あれだけの権勢を誇ったスターリンも今はここに像が残るだけ。有名な“スターリン批判”によって多くのスターリン像は壊されてしまったらしい。グルジア人のスターリン。)


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至近距離のアザーン

グルジアに入る(2014年5月30日~6月1日)
朝、巨大なアザーンの音に叩き起こされ一日がスタート。モスクにテントを張るということは、ミナレットのスピーカーからも近いということ。規則正しい生活にはぴったり・・・。アッラーアクバル・・・。

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目をこすりながらペダルを漕ぎ始める。この日も前日と同じきれいな道。だけど、ちょっとトンネルが多いのが気になる。
トンネルでは路肩も無いので、ちょっと怖い。グルジアからくるチャリダーにとっては、海沿いに旧道があることが多いので、そんなに気にならないかもしれないけど、グルジアに向かうチャリダーとしては結構やっかいだ。
迂回路があれば迂回し、なければテールライトを装着してトンネルの中に入る。ただ幸いなことに片側二車線の道路なので、目立つテールライトをつけていれば、車は追い越し車線を走ってくれる。それでもトンネル内に響き渡る騒音と風はかなり怖いもの。できれば走りたくない…。

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昼過ぎ、ようやくグルジアの国境に到着。みなノービザでスムーズに国境を通過。グルジアに入った途端、車はベンツで溢れかえり、道路の痛みは際立ち、運転マナーは一気に悪化。道路を次々に牛が横断する世界。家々はソ連風の一軒家が目立ち、明らかに文化が変わる。

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夕方、国境から30kmのところにある、バトゥミという町に到着。以前は黒海沿岸の国際貿易港だっただけあり、港は大きく、町も発展していた。が、やはり一本路地裏に入ると、未舗装ばかり。ある意味、いかにトルコが発展していたかを思い知ることになった。(そんなトルコですら、車の運転や様々なマナーなどを見るに、やはりまだ発展途上国だなぁ。っと思っていたのだけど。)
夜はロンリープラネット(英語圏の著名なトラベルガイドブック)に載っている宿に投宿した。

楽しみにしていたグルジア料理を食べるため、みんなとグルジア料理屋へ。
日本人だけならまだ微妙なニュアンスで会話できるし、どうゆうスタイルで旅行しているかわかっているので、安い大衆食堂(ちょっと汚くても)に入ろうと言ったりできるのだけど、多国籍だとそうもいかない。汚い大衆食堂でもいいのか、それともリッチなレストランがいいのか…。
結局、うまくその話ができないまま、彼らはリッチなレストランを選んでしまった。
適当に料理を頼んで話していると、遠くのテーブルに座るグルジア人から「このテーブルに」と、ワインの差し入れがあった。
しかも2本もだ。お礼にそのテーブルを訪れ、握手して感謝の気持ちを伝える。が、結局、僕達のテーブルに来て、グルジアの地酒なども酌み交わし、みんな泥酔状態に。グルジア人は、「ジャパン、イギリス、ドイツ、グッド!ロシアはダメだ」なんてことを無意味にずっとエンドレスで叫んでいる。もうぐたぐたな感じで、彩と苦笑しっぱなしだった。(でも楽しかったです。)
翌日出発しなくれはならないため、早めに宿に戻り、就寝。この宿はなんと一部屋のドミに20人分のベッドがあった。
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どんどん前進。
グルジアに入ったばかりだけど、先に進むことにする。この先、北部の美しいメスティア地方に立ち寄るか、あるいはそのまま首都のトビリシに向かうか、選択肢が2つある。メスティアは今回の旅で是非行ってみたい場所の一つ。でも最新の天気予報を確認すると、どうも雲行きが怪しい。ずっと雨の予報だ。雨の中峠を越えて、さらに景色が見られないのはかなり厳しい。
ということで、判断を先送りにして、ひとまず北上し次の町ポチを目指すことにした。

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ポチは黒海沿岸にある町で、この町もバトゥミ同様、貿易で栄えた町らしい。2008年のロシア・グルジア紛争では、グルジア海軍の艦艇がロシア特殊部隊によって轟沈させられたとか…。このグルジア、実はいま話題になっているウクライナととても近く、ロシアの影響力も(軍事力も)行使されやすい場所だ。

この日はとにかく暑い日だった。温度計は38℃。しかも日陰の温度だ。実際は45℃くらいあったんじゃないかな。と思えるほど。

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酷暑地域対策の手ぬぐいを巻き、頭にバフ(バンダナのようなもの)をつける。この手拭とバフを水で濡らし、頭と首筋、心臓を冷やす作戦だ。水冷式エンジン(エンジンは人間)とでもいうようなスタイルにした。
道は比較的走りやすく、夕方頃ポチの町に到着。

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ホテル探しを始める。ロンプラに載っていたホテルに行くとどうも営業していないようだったので、あたりの人に聞き、民宿を紹介してもらった。20ラリ(約1200円)でWIFIもある、なかなか良心的な宿だった。
宿に荷物を置き、昨日食べそこねた伝統料理ヒンカリ(餃子みたいなもの)を食べに町に向かう。
何軒かまわってようやくヒンカリが食べられるレストランを見つけた。
ヒンカリは厚い小麦粉の皮で肉を包み蒸し焼きにする、まさに餃子みたいな食べ物。餃子との違いは、皮が分厚く、ひとつひとつのサイズが大きいこと、他のグルジア料理と同じようにパクチーをはじめとする様々な薬草が入っていることだ。
一口食べるとジュワっと汁がこぼれ出す。この汁がまた旨い。上手にこぼさず食べることができるようになるのはなかなか難しいけど、こつは捻ってある部分を掴んで食べることらしい。

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連日の100km走行もあるので、この日は早めに休むことにした。

メスティア断念。クタイシへ。
判断を先送りにしてきたメスティア、結局行かないという決断をした。
雨の天気予報は変わらず。やはりちょっと厳しそうなのが理由。残念だけど、先を急ぐことに。
この日は、日本人旅行者の中で有名なクタイシの民宿、メディコ&スリコの家へ向かう。
自家製ワインと地酒を浴びるほど飲ませられる有名な宿で、“人間世界遺産”なんて呼ばれたりすることもある場所だ。

グルジアの片田舎をひたすら走り続ける。道は悪く、路肩もあまりない。
まだまだ発展途上国、といった感じのグルジア。

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この日途中でなぜか警察のパトカーに尾行されるということもあった。うーん、護衛されているのか監視されているのか。しかし、ある区間をすぎるとパトカーはどこかに行ってしまった。どうもその区間に“なにか重要なもの”があったみたいだ。

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(昼食中もずっと監視する警察のパトカー)

途中には砲撃を受けた建物の跡が残っていたり、なかなか不思議な地域だった。

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(焼け落ちたビル。弾痕が所々に残る。)

夕方頃、ようやくクタイシに到着。メディコ&スリコの家につくと、メディコ(奥さん)が「日本人?」と嬉しそうにドアをあけてくれた。なんかに入ると、まだ荷物も外していないのにスリコ(旦那さん)が登場し、「リトーリトー(ちょっとちょっと)」と言いながら名物の牛の角にいれたワインを注いでくる。断ることはできなさそうだ…。
「なぜ牛の角で飲むか」って?
そりゃ、一気飲みさせるためですよ・・・。(テーブルに置くことができない。)

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夜はたっぷりのグルジア料理。いやーこれがまた美味しかった。すっかり夜まで話し込んでしまった。


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