月別アーカイブ: 2014年6月

至近距離のアザーン

グルジアに入る(2014年5月30日~6月1日)
朝、巨大なアザーンの音に叩き起こされ一日がスタート。モスクにテントを張るということは、ミナレットのスピーカーからも近いということ。規則正しい生活にはぴったり・・・。アッラーアクバル・・・。

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目をこすりながらペダルを漕ぎ始める。この日も前日と同じきれいな道。だけど、ちょっとトンネルが多いのが気になる。
トンネルでは路肩も無いので、ちょっと怖い。グルジアからくるチャリダーにとっては、海沿いに旧道があることが多いので、そんなに気にならないかもしれないけど、グルジアに向かうチャリダーとしては結構やっかいだ。
迂回路があれば迂回し、なければテールライトを装着してトンネルの中に入る。ただ幸いなことに片側二車線の道路なので、目立つテールライトをつけていれば、車は追い越し車線を走ってくれる。それでもトンネル内に響き渡る騒音と風はかなり怖いもの。できれば走りたくない…。

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昼過ぎ、ようやくグルジアの国境に到着。みなノービザでスムーズに国境を通過。グルジアに入った途端、車はベンツで溢れかえり、道路の痛みは際立ち、運転マナーは一気に悪化。道路を次々に牛が横断する世界。家々はソ連風の一軒家が目立ち、明らかに文化が変わる。

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夕方、国境から30kmのところにある、バトゥミという町に到着。以前は黒海沿岸の国際貿易港だっただけあり、港は大きく、町も発展していた。が、やはり一本路地裏に入ると、未舗装ばかり。ある意味、いかにトルコが発展していたかを思い知ることになった。(そんなトルコですら、車の運転や様々なマナーなどを見るに、やはりまだ発展途上国だなぁ。っと思っていたのだけど。)
夜はロンリープラネット(英語圏の著名なトラベルガイドブック)に載っている宿に投宿した。

楽しみにしていたグルジア料理を食べるため、みんなとグルジア料理屋へ。
日本人だけならまだ微妙なニュアンスで会話できるし、どうゆうスタイルで旅行しているかわかっているので、安い大衆食堂(ちょっと汚くても)に入ろうと言ったりできるのだけど、多国籍だとそうもいかない。汚い大衆食堂でもいいのか、それともリッチなレストランがいいのか…。
結局、うまくその話ができないまま、彼らはリッチなレストランを選んでしまった。
適当に料理を頼んで話していると、遠くのテーブルに座るグルジア人から「このテーブルに」と、ワインの差し入れがあった。
しかも2本もだ。お礼にそのテーブルを訪れ、握手して感謝の気持ちを伝える。が、結局、僕達のテーブルに来て、グルジアの地酒なども酌み交わし、みんな泥酔状態に。グルジア人は、「ジャパン、イギリス、ドイツ、グッド!ロシアはダメだ」なんてことを無意味にずっとエンドレスで叫んでいる。もうぐたぐたな感じで、彩と苦笑しっぱなしだった。(でも楽しかったです。)
翌日出発しなくれはならないため、早めに宿に戻り、就寝。この宿はなんと一部屋のドミに20人分のベッドがあった。
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どんどん前進。
グルジアに入ったばかりだけど、先に進むことにする。この先、北部の美しいメスティア地方に立ち寄るか、あるいはそのまま首都のトビリシに向かうか、選択肢が2つある。メスティアは今回の旅で是非行ってみたい場所の一つ。でも最新の天気予報を確認すると、どうも雲行きが怪しい。ずっと雨の予報だ。雨の中峠を越えて、さらに景色が見られないのはかなり厳しい。
ということで、判断を先送りにして、ひとまず北上し次の町ポチを目指すことにした。

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ポチは黒海沿岸にある町で、この町もバトゥミ同様、貿易で栄えた町らしい。2008年のロシア・グルジア紛争では、グルジア海軍の艦艇がロシア特殊部隊によって轟沈させられたとか…。このグルジア、実はいま話題になっているウクライナととても近く、ロシアの影響力も(軍事力も)行使されやすい場所だ。

この日はとにかく暑い日だった。温度計は38℃。しかも日陰の温度だ。実際は45℃くらいあったんじゃないかな。と思えるほど。

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酷暑地域対策の手ぬぐいを巻き、頭にバフ(バンダナのようなもの)をつける。この手拭とバフを水で濡らし、頭と首筋、心臓を冷やす作戦だ。水冷式エンジン(エンジンは人間)とでもいうようなスタイルにした。
道は比較的走りやすく、夕方頃ポチの町に到着。

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ホテル探しを始める。ロンプラに載っていたホテルに行くとどうも営業していないようだったので、あたりの人に聞き、民宿を紹介してもらった。20ラリ(約1200円)でWIFIもある、なかなか良心的な宿だった。
宿に荷物を置き、昨日食べそこねた伝統料理ヒンカリ(餃子みたいなもの)を食べに町に向かう。
何軒かまわってようやくヒンカリが食べられるレストランを見つけた。
ヒンカリは厚い小麦粉の皮で肉を包み蒸し焼きにする、まさに餃子みたいな食べ物。餃子との違いは、皮が分厚く、ひとつひとつのサイズが大きいこと、他のグルジア料理と同じようにパクチーをはじめとする様々な薬草が入っていることだ。
一口食べるとジュワっと汁がこぼれ出す。この汁がまた旨い。上手にこぼさず食べることができるようになるのはなかなか難しいけど、こつは捻ってある部分を掴んで食べることらしい。

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連日の100km走行もあるので、この日は早めに休むことにした。

メスティア断念。クタイシへ。
判断を先送りにしてきたメスティア、結局行かないという決断をした。
雨の天気予報は変わらず。やはりちょっと厳しそうなのが理由。残念だけど、先を急ぐことに。
この日は、日本人旅行者の中で有名なクタイシの民宿、メディコ&スリコの家へ向かう。
自家製ワインと地酒を浴びるほど飲ませられる有名な宿で、“人間世界遺産”なんて呼ばれたりすることもある場所だ。

グルジアの片田舎をひたすら走り続ける。道は悪く、路肩もあまりない。
まだまだ発展途上国、といった感じのグルジア。

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この日途中でなぜか警察のパトカーに尾行されるということもあった。うーん、護衛されているのか監視されているのか。しかし、ある区間をすぎるとパトカーはどこかに行ってしまった。どうもその区間に“なにか重要なもの”があったみたいだ。

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(昼食中もずっと監視する警察のパトカー)

途中には砲撃を受けた建物の跡が残っていたり、なかなか不思議な地域だった。

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(焼け落ちたビル。弾痕が所々に残る。)

夕方頃、ようやくクタイシに到着。メディコ&スリコの家につくと、メディコ(奥さん)が「日本人?」と嬉しそうにドアをあけてくれた。なんかに入ると、まだ荷物も外していないのにスリコ(旦那さん)が登場し、「リトーリトー(ちょっとちょっと)」と言いながら名物の牛の角にいれたワインを注いでくる。断ることはできなさそうだ…。
「なぜ牛の角で飲むか」って?
そりゃ、一気飲みさせるためですよ・・・。(テーブルに置くことができない。)

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夜はたっぷりのグルジア料理。いやーこれがまた美味しかった。すっかり夜まで話し込んでしまった。


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トルコを西へ東へ

再びアンカラに戻って(2014年5月21日~29日)
再びアンカラに戻り、前回取れなかったタジキスタンのビザを取る。タジキスタンのビザは即日で取れるらしい。事前に日本大使館にいき、「旅券添え状」なるものを発行してもらった。タジキスタン大使館はアンカラの外れにある。ウズベキスタン大使館と違って、自転車で行くにはちょっと遠すぎる場所だ。しかたなく、一回目はタクシーで向かうことにした。

タジキスタン大使館は広い丘の上にあって、かなり敷地が広い。日本大使館に行った時、その面積がかなり大きく。「おおさすが日本だ」なんて思っていたけど、圧倒的にタジキスタン大使館のほうが大きい。(たぶん、日本大使館がある地区が手狭になったので、大使館のために新たに土地を造成したような場所だった。)あたりには、新興国の大使館がちらほらあり、穴のあいたパズルのように立ち並んでいる。
タジキスタン大使館のインターホンを押して、中に入る。大使館員は横柄な態度だったが、ビザは発給してもらえそうだ。

話では、即日だったが、実際には翌日になるらしい。翌日3時に受け取りに来るように言われた。パスポートはホールド(預かり)だ。実は、翌日は11時にウズベキスタンビザを受け取ることになっていて、時間的にパスポートを返してもらえないと、ウズベキスタンビザを受け取ることができない状況だった。しかたなく「ウズベキスタンビザを明日受け取る予定だ」と話すと、「明日の午前中にパスポートをもってくれば良い」とのこと。しかし、アンカラの町外れまで午前中に来て、またなにもないところで時間を潰して3時に取りにくることはあまりにも非効率的。

結局、翌日3時にタジキスタンビザ受け取り、4時にウズベキスタンビザ受け取りというギリギリの時間で発給を依頼することにした。
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イスタンブールへ逆戻り
ビザを無事に受けとった僕たちは、自転車をアンカラに置いたまま、再びイスタンブールへ戻ることにした。折りたたみ自転車でもう4年以上も旅をしているチャリヨシさんがイスタンブールにくるタイミングで、「一度会いましょう」と話をしていたのだ。同じく前回イスタンブールでお会いしたチャリダーの伊藤さんとも再会する予定。楽しい再会になりそう。

バスに揺られること7時間。イスタンブールに帰ってきた。イスタンブール近郊までは5時間程度で到着するのだけど、イスタンブール市内の混雑のため、約束していたホステルに到着するのがずいぶんと遅れてしまった。

到着するとチャリヨシさんが餃子を仕込んで待っていてくれた!ひさびさに美味しい餃子をいただき、チャリダートークも盛り上がる。

二人四輪のWEBサイトでも以前からリンクを張らせていただいていたチャリヨシさん。クリエイティブ・チャリダーとしても有名で、以前からいろいろ参考にさせてもらっていた。自転車旅行を動画でまとめる。ということをちゃんと始めたのも、チャリヨシさんが初めてではないかと思う。

自転車旅行で動画を撮影、編集し、アップロードする。企画や構成、カメラワーク、構図などなど、自転車旅行で動画をとるものならではの会話で盛り上がった。伊藤さん、ヨシさんとは今年の冬、またネパールで再会できそう。楽しみにして、イスタンブールを離れることにした。
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みたびアンカラ
またもやアンカラに到着。もうアンカラのバスターミナルもずいぶん慣れてきてしまった。
到着してそのまま、トラブゾンへ向かうためのバスチケットを取る。トラブゾンは黒海沿岸にある都市で、イラン領事館があり、ビザが即日取れることで有名だ。僕らもそこでビザを取るために、翌日移動することにした。

宿に戻ると、ギョレメの宿で一緒だったチャリダーの森林さんが到着していた。久々の再会を楽しみ、夜ご飯を一緒に食べに行くことにする。

アンカラ滞在中、時々訪れていたウイグル料理屋だ。アクス出身のシェフが腕をふるうウイグル料理屋で、ウイグル人たちが夜な夜な集まってくつろいでいる。カシュガル出身の老人、アンカラに留学しているという青年。みんなウイグル人だ。

は、2007年にユーラシア大陸を自転車で横断した際、新疆ウイグル自治区に1ヶ月半ほど滞在した。ウイグル料理は大好きだし、ウイグル人たちを応援したいと思っている。ちなみに森林さんもウイグルを走行した経験があるので、ウイグル人たちと「ここに行ったぞ!この料理が好きだ!」なんて盛り上がったりした。
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(ウイグル風うどん、ラグマン)

バスでトラブゾンへ
以前から繰り返し話しているとおり、今年中にタジキスタンのパミールハイウェイ、そして北インドのラダックを訪れるためには、スケジュールが2週間ほど計画より遅れている。フランスからトルコに飛んだ時もすでに遅れていた。自転車でトルコを走ることはそれ自体がとても楽しいことなので、できればバスワープはしたくないのだけど、「トルコとパミール&ラダックどちらを選ぶのか?」と言われれば、やはりパミール&ラダックのほうが大切。トラブゾンへはバスで移動することにした。

バスに自転車を積み込む。特に拒否をされることはなかったけど、1人分の運賃を荷物代として請求された。まぁこれはどこの国でもままあることだ。バスはトルコの綺麗に整備された道を走り、翌日早朝、トラブゾンへ到着した。
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(寝不足のあやさん。)

イランビザ取得
宿に荷物を預け、必要書類を持ってイラン大使館へ向かう。他にも何人か日本人旅行者、外国人旅行者がいて、一緒に事務室へ入る。
大使館員はちょっとイライラする癖があるけど、ビザ発給自体は問題なく行ってくれた。30日で60ユーロ。(ちなみにグルジアのバトゥミでは40ユーロでイランビザが取れるとの情報がトビリシのホテルジョージア情報ノートにあった。)

昼に郵便局に行って日本への荷物を送る。そうこうしているうちに午後の4時。ビザの受け取りもあっさりOK。今までで一番簡単なビザ発給だった。
夜はイランビザ取得で一緒になった日本人2人と名物の魚料理を食べに行った。
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いよいよ自転車走行開始
トラブゾンを出発し、グルジアを目指して黒海沿岸を走り始める。トルコの道は相変わらず巨大な路肩があって、とてもとても走りやすい。世界でもトップクラスじゃないかと真剣に思うほど。チャイ畑を右に、黒海を左に眺めながらのサイクリング。

走っていると、後ろから別のチャリダーが走ってきた。英国人のマイケルだ。ニュージーランドに移住するつもりで旅をしているらしい。彼は先にいくというので、その場で情報を交換しわかれた。

このすぐ後、今度は別のチャリダーにも追いつかれた。ドイツ人のヘンドリー。23歳の若者で、大学を卒業し、9月の大学院入学までの間でいけるところまで旅行をするとのこと。
話を聞けば、朝は先述のマイケルと一緒だったが、あまりに出発が遅いことに嫌気がさしたマイケルは「じゃ」と言って先に行ってしまったらしい。ヘンドリーは後を追いかけているのだそうだ。ん~なるほど笑。

この黒海沿岸沿いは多くのサイクリストが走る道、南米を思い出した。

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(途中で通り過ぎたリゼの町は、チャイ発祥の地として有名。沿道には大きなチャイ工場がいっぱい)

夕方頃、黒海に沈みかける夕陽に足を止め、きれいだなぁ~っと見とれていると、マイケルが登場。どうやら僕達が追いついたらしい。

一緒に近くにあったモスクの駐車場にテントを張る。ヘンドリーがヨーグルトを2kgも買ってしまって、「頼むから食ってくれ」と言っていたのがおもしろかった。このモスクのイマーム(聖職者)はとても親切な人でなんとジュースの差し入れまでくれた。

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(写真下左:キャンプ地にはホタルが舞っていた。写真下右:黒海の水は意外と綺麗)


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カッパドキア~お気に入りの景色

カッパドキアでの日々 (2014年5月18日~2014年5月20日)

日本人チャリダーと遭遇
宿で朝食を取るため、食堂のテラスへあがるとびっくり!昨日は真っ暗になってからの到着だったからまわりの景色がわからなかったけれど、ここは奇岩に囲まれた町だった。こんな景色を見ながら朝食を取れるなんて。「今回の旅に行く前からカッパドキアは絶対に行きたい!」と思っていた私は、「これが見たかった景色だ!」と感動。

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朝食を終えてテラスから降りるときその真下の入口にチャリダーが入ってきた!しかも日本人!日本人チャリダーマニアのゆうは会ったことがない彼を「あのブログの方ですね?」と言い当てていた。彼は森林悠生さん、私たちとは逆ルートで東から進んできたチャリダー。私たちのことは知らないようだったけれど、チャリダーだとわかると話は弾み、いろいろと情報交換もできた。それにしてもうれしい偶然。ここの宿は日本人がよく来るとは聞いていたけれど、チャリダーに会えるとは。

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(左から森林さん、高橋くん)

カイマルク地下都市
カイマルクの地下都市へは、別の日本人パッカーさんに教えてもらった方法で向かった。ドルムシュ(往復一人11リラ)。ギョレメのバスターミナルでネヴシェヒル行きに乗り、そこからカイマルクいきに乗り換える。バスのフロント窓に行先名の書かれたボートが置いてあるのでわかりやすい。

待ち時間も含めて一時間かからずにカイマルクに到着。地下都市はバス停からすぐ近くだった。町の中は人気があまりなく静かだったけれど、地下都市入り口にはチケットを買うため行列ができていた(一人20リラ)。さっそく地下へ。中はひんやりして涼しい。人が列になっているから迷わず順路を進めるけれど、所々にある矢印だけでは迷子になってしまいそうなほど複雑に道が張り巡らされている。食料貯蔵庫、教会、ワイナリーなどを見つけると、工夫された構造に感心したりかつての生活を想像したりして楽しむことができた。かつてここには2万人ほどが生活していたというのは驚き。

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(上右:しゃがみながらではないと進めない通路もたくさん。下:付近のお土産店)

朝陽と夕陽と気球
早朝4時半頃に起きてまだ薄暗い中、宿を出て行く。日中は半袖で問題ないけれど、陽が出てないと寒くてダウンを着ていったほど。30分位歩いて、小高い丘を撮影スポットに。微速度撮影↓

5時過ぎにはあちこちでゴーゴーと音を立てながら気球の準備がされていて、ひとつまたひとつと次々に気球が打ち上がっていく。そして陽もまぶしく出てきた。気球はますます増え、その数80近く!すごい数!今、何人気球に乗っているんだろう…朝陽と気球、ポップな景色でした。(私たちはこの景色を見るだけで十分だったため気球には乗らず)

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夕陽は宿近くの丘へ見に行った。広大な奇岩群が赤く焼けてとても美しい!もっとここにいられるならもっとのんびりしたい、と二人ともこの景色が気に入ってしまった。帰り道にはちょっとお高そうなホテルが並んでいた。日本人ツアー客らしき方々が泊まっている模様。カッパドキアらしい雰囲気をより味わえそうだし、こういうところにも泊まってみたいな。

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風土料理ポットケバブ
宿で一緒になった日本人みんなでレストランへ。カッパドキアの風土料理と言われるポットケバブ(セットで20リラ)を注文してみた。ウェイターが私たちの目の前でポット(陶器)を叩いて割ってくれるパフォーマンスがおもしろくて、みんな自分の分を動画に収めてみたり。最後まであつあつでおいしかった。

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宿:Paradaise Cave Hotel
ドミトリーは一人25ラリ。朝食付き(エキメッキがおいしい!)、Wi-Fiあり、cave型の部屋。シャワーとトイレはカーテンなどの仕切りなしで一室にあるので、ちょっと使いにくい。キッチンが利用できると他のブログで見たけれど、今はゲストに貸すのは辞めてしまったみたい。チェックアウト後も荷物を預かってくれたり、バスの出発時間まで宿内にいさせてくれる。男性オーナーは英語ペラペラ。より安い宿はあるみたいだけれど、立地、居心地も良くオススメ◎

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アンカラへの帰りはギョレメ12:30発のバスを選択。その前にトルコアイス!全部のフレバーをミックスにしてくれた。このアイス屋の店員もそうだけれど、時々「めっちゃうまいよ!」とか日本語で話しかけてくるトルコ人もいたり。バスターミナル周辺は観光地らしく、お土産屋さんがたくさん。そのあたりも含めて、私たちはこの町全体の雰囲気も気に入ったのでカッパドキア観光にギョレメを選んで正解だった。

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なんで自転車旅行を始めたんですか?(後編)

挫折体験がこころに残ったまま
「思うように自転車旅行ができなかった」という挫折体験は、社会人になったあともチクチクと痛みます。東京・渋谷のとある会社に就職した僕は、厳しい先輩方(今となっては良き思い出です笑)にしごかれながら、自転車旅行のことは忘れ、とりあえず社会人として頑張ろうと日々を過ごします。が、やはり数ヶ月に一回、体が身震いするほど「自転車世界一周がしたい」と思うときがありました。これは何かのキッカケ(たとえば、自転車旅行をしている人のブログや雑誌の記事など)で、急に起こる発作のようなものでした。
自転車旅行をする。ということは、イコール会社を辞めるということと同義だと思っていましたから、「安定した暮らしができなくなる。」とか、ネガティブなことを思い浮かべて我慢することを繰り返していました。

そんな社会人生活も3年目に入った9月。2011年のことです。
前回の旅行で会ったことがある自転車世界一周を達成した旅行者の方と日本で3日間サイクリングする機会がありました。
ちょうどその頃、身の振り方について悩む機会が多く、自転車旅行をしたいという思いが強くなっている頃でした。ほぼ確信犯的に、「会えばきっと自転車旅行に行くと決心してしまう」と思っていつつも、会い、そして長野の山の中のキャンプ場で一晩語り、案の定、「やっぱり行こう」と決心してしまうことになります。

旅に行こうと思ったその具体的な動機
何より、やっぱり「地球の風景をこの目で見たい」と思ったことが一番です。
自転車乗りにとって、風景が美しい場所は数多くありますが、特に南米のアウストラル街道、そして、タジキスタンのパミールハイウェイ、最後にインドのラダックの風景が、どうしても脳裏から離れず、ここを走りたい。という思いが強くあります。
そして、人との出会い、その楽しさを味わいたい。という気持ちももちろんあります。
この特定の道を走るためには、最低でもそれぞれ1ヶ月の期間が必要で、それはすなわち会社を辞める必要がある。ということになります。

明確な目的(この場合、特定の道を走ること)を持たせることで、前回のような挫折を回避して、ここまで旅をしてきました。いま約10ヶ月の旅をしましたが、目的に沿って旅をしているので、充実感を感じています。

妻の存在
旅も10ヶ月が過ぎようとする今、「夫婦で旅を始めたことは本当に良かった。」と心から思います。もちろん意見が合わないこともありますし、それを乗り越えるプロセスも必要です。でも、いつでも話し合える。感動や思いを共有できる、というのは、当たり前のこと見えて、実はとても大事なことだと感じます。それは、もちろん前回一人で旅をしているからこそわかることで、いきなり二人で旅を始めたら、きっとこうは思わなかったでしょう。

何気なく書き始めた「なんで自転車旅行を始めたのか?」
完全に自分の思考回路を整理するために書いたのですが、思いがけず半生を記してしまうことになりました。
いや~お恥ずかしい限りです。が、自分で読み直しても、今回、この旅に至った経緯がよくまとまっているので、備忘録としてこのままにしておきます。

今日はこれから首都テヘランに向かい、インドビザを申請します。
今回の旅で再難関のビザになりそうです。

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なんで自転車旅行を始めたんですか?(中編)

冒険に興味をもったキッカケ。
ちょっと話は変わり、「冒険」というものにどこで興味をもったのか、という話を先にします。
うちの実家では、毎週土曜夜は「世界ふしぎ発見!」を家族で見る、という不思議なルールがありました。海外旅行にしょっちゅう行けるような家庭とはお世辞にもいえない家だったので、こういう番組をみて、「あー海外ってこんなとこなんだ」と、思いを持った記憶があります。

「世界まる見えテレビ特捜部」なんて番組も、ほぼ欠かさず見ていました。
海外のドキュメンタリーを紹介する番組ですが、中には、ナショナルジオグラフィックやアニマルプラネットなど、海外の自然を紹介するような番組も含まれています。小学生の頃、わくわくして毎週テレビの前に座っていた記憶があります。

それと、関野吉晴さん。ご存知、グレートジャーニーとして、南米からアフリカまで人力で移動した関野さんのドキュメンタリーです。母親が好きで、録画までして欠かさず見ていたため、当時まで小学生高学年だったかと思いますが、子供心に、「そんな人がいるんだ」というような無意識の刷り込みがあったのだと思います。そういう意味では、自転車旅行との出会いは、関野吉晴さんだったのかもしれません。

また大学生になって、「水曜どうでしょう」という番組にも出会いました。
ご存知(笑、この言い方もどうでしょう的ですが)、北海道のローカルタレントが愚痴を言い合いながら世界を旅する番組です。

こういった番組、今考えて見れば、主にテレビから冒険旅行のエッセンスを得ていたことに驚きます。

休学、そしてシルクロード横断へ
北海道自転車旅行から戻った僕は、そのまま就職活動に入ります。3年生の10月。否応なしに自分の将来について考えるわけです。「一流企業に入って金持ちになる。」、あるいは「いやライフワークバランスを重視する会社に入りたい。」いろいろと考えるのもこの頃ですね。
就職活動をする中、まだまだ視野が狭い大学生だった自分には、「会社に入れば、一生冒険はできなくなってしまうのでは。」という疑念が浮かんできました。

この2006年後半、9月に北海道自転車旅行を終え、そして就職活動に入るこの時期は、とても多くのことに思いを巡らせました。
気持ちのどこかでは、「自転車旅行をしてみたい」と思っている自分がいて、一方では、「ちゃんと社会にでなくては」と思う自分もいるわけです。

当時、(これは本当に偶然としか言いようがないですが)従兄弟がたまたまユーラシア大陸をバックパッカーとして横断していました。そして本屋でたまたま立ち読みした雑誌「自転車人」の特集がなんと「自転車ツーリング」だったんです。
家に帰る電車の中でじっくり読みました。様々な疑問がちょっとづつ解消されていきます。
中には、女性が一人でアフリカを縦断した話も載っていました。(山崎美緒さんのことです。)
家につく頃には、ほぼ確信に変わっていました。
「シルクロード横断自転車旅行はできる。」と。

12月ごろに決心をし、就職活動を中止して、アルバイトの時間数を増やし、金策に走りだします。同時に自転車を最小限のお金で改造したり、休学などの手続きについて調べたり。とにかく自転車旅行をするという前提で日々がまわりはじめました。

ユーラシア大陸横断自転車旅行
5月4日、大阪国際フェリーターミナルから出た蘇州号はゆっくり上海に向け舵を切ります。
一番安い2等船室のカーペットには、真新しいヘルメットをザックに付けた自分がいました。

大学時代のユーラシア大陸横断は、約5ヶ月。上海を5月に出発し、9月半ばにはローマに到着、パリから飛行機で日本に帰ってきました。自走距離は約5000km。
最初こそ異文化に触れる旅は新鮮でしたが、孤独が続き、ひとり砂漠の中を走り続ける体験はなかなか精神的にきついものでした。
それに当時は、「ユーラシア大陸を横断する」ことにのみ価値を見出していたようなところがあり、道中の景色や食事などにはあまり関心を払ってなかったように思います。
その結果、孤独への辛さから、ヨーロッパに着くまでにいくども輪行をし、旅を大幅にショートカットしてしまいました。

もちろんこの旅で得たことは図り知れないのですが、もっとも強烈に印象に残ったことは、「自分の弱さ」でした。一種の挫折体験ですね。でも今思えば、この自分を知ることができた挫折体験は、何事もオブラートに包み込むことのできる日本では得られないダイレクトなもので、大切だったように思います。

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なんで自転車旅行を始めたんですか?(前編)

イランのレズヴァンシャヒルにいます。
レズヴァンシャヒルってどこって?僕にもあまり良くわかりません。カスピ海に近い、中規模の町です。
道で出会ったおじさんに、「うちに来い」と言われ、そのままついていってもう2泊。
ホントは先に進みたいのに、そうはさせてくれない。
「ありがた迷惑」なんて日本語を久々に思い出したました。
ちなみにこのおじさん、昨年冬、日本を自転車で走っていたらしく、「日本で好きな場所は?」という質問に、
「柏!」と答えてくれました。「ドウイタシマシテ」と僕達を面白がさせようと連発しているおじさんです。

ペルシャ絨毯の上で特にやることもなく、ぼけーっとすること数時間。
眠くなったら寝て、腹が減ったら食べて、なんて、日本にいたらちょっと考えられない生活ですね。

最近、電子書籍をちょくちょく買っています。日本でも本屋が好きでした。
高校の時、近くにあった駅前のショッピングセンターに入居していた本屋によく入り浸っていたのを思い出します。趣味の雑誌、鉄道や飛行機、車、軍事関係の雑誌を立ち読みしていたかなぁ。なんとなくそんな思い出が。

電子書籍でハマっているのが、池井戸潤さんの本。もちろん半沢直樹の池井戸さんです。
バス移動の際の暇つぶし、なんてスタンスで購読してみたのですが、いやいや爽快で面白い。
半沢直樹なんかは、元銀行員の彩の解説を交えながら読むと、なかなかリアルに感情移入できたりします。

企業小説ばかりですから、自ずと、いまの自分の境遇と比べるわけですね。
日本で働くことってこういうことだったよなぁ。と。
東洋経済とか週刊ダイヤモンドとか、経済雑誌の記事もネットで読んだりするわけです。
エグゼクティブがどうとか、こうとか・・・インセンティブが・・・とか。いや、もう僕にとってはよくわからない世界ですが・・・。

ぼけーっと、石田ゆうすけさん(自転車旅行の紀行文で有名な)の本を読んでいたら、なんで自分は自転車旅行を始めたのかなーっと、今までに何回も考えてきたことを再び思い出し、そして今記事にしています。

強烈だった東金探検隊

小学生の頃(たしか4年生だったか)、今でも実家のある千葉県の片田舎、東金という町から、祖父の家がある東京都大田区の池上まで、一人電車で行ったことがあります。自転車で世界一周なんてことを始めてしまった今となってはとても小さなことですが、当時の少年にとっては、それはそれは緊張した一人旅でした。

『東金探検隊』、今や伝説になってしまった企画がありました。住んでいた東金市が郷土再発見をテーマに、小学生高学年から中学生を集め、リュックサックにテント食料を積み、一日の生活費500円で、山武郡市を練り歩くという企画です。
これは、今でも覚えていますが、結構衝撃的な経験だったんだと思っています。8月、酷暑の中を汗かきながら、重い荷物を背負って歩くわけです。コッヘルとかガンタ飯だとか、ヘッデンだとか、よくわからない謎の用語を覚えたのもこの頃。(コッヘルは鍋、ガンタ飯は水分量を間違えて炊いた硬い飯、ヘッデンはヘッドランプ)
もう20年も前の記憶ですから、風化していることも多いんですが、『ああ、歩いて疲れたらどこにでも泊まっていいんだ』という自由感はこの頃身につけたような気がします。『仲間とともに目的を達成する』という達成感。非日常感。普段スーパーファミコンをやっていた子供からすれば、異次元の体験でした。
僕のアウトドアの原体験は間違いなく、諸事情で潰されてしまった東金探検隊でした。(なので、東金探検隊から自転車世界一周の旅人が生まれたわけです。東金探検隊は再開するべき企画だと思います。>東金市役所の方々)

高校から、僕は合唱の道に邁進してしまうわけですが、実は一度、東金から池上まで126kmを自転車で走る、ということをしたことがあります。なんでそんなことをしたのか良く覚えてないのですが、たしか、夏休みに、自転車いじりをしていて(昔から自転車いじりが好きでした。)、新しいタイヤを履いたのがきっかけになって、「じゃあ走ってみるか」と。

船橋から東京都心を抜けるまで、結構苦労しました。海岸沿いは工業道路ばかりで、息つく間もないほどの交通量。内陸は、無数の交差点に阻まれ、なかなか距離が稼げない。結局到着したのは深夜の2時。
これでも、当時は『え~千葉から東京まで自転車で走ったの?すごい』なんて言われて、調子にのっていたなぁ(苦笑)

そして北海道自転車旅行へ

大学3年生の頃。大学とサークルでは音楽ばかりやっていて、千葉に戻ればバイト。という毎日。
ふと「違うこともやってみたいなぁ」と思ったことがありました。
たまたま妹が大学で自転車サークルに入っていて、楽しそうにしていたので、「じゃあ自転車をやろう」と思ったのも必然だったのかも。
無理くりバイトの休みを捻出して、ひとり北海道に自転車を持って出かけました。
千歳空港から札幌にでて、そこから電車で稚内へ。稚内への道中、旭川でラーメンをたべ、名寄では名寄高校の高校生と語り。『旅先での人との出会いが楽しい。』と思ったのはこの時が初めてでした。
利尻富士に登り、宗谷岬をみて、美瑛、富良野、帯広、釧路、とまわって網走、女満別から羽田に戻った2週間。
「自転車で旅する。ということは、わりと簡単にできる。」
そう思った。今につながる一番直接的なキッカケはこの旅だったのかもしれません。




長くなりすぎたので、後編へ。
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ビザ取り祭、開催

アンカラ到着。(2014年5月16日~17日)

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何もないアンカラに来た理由はただひとつ。ビザの取得だ。
イスタンブールで取れなかったウズベキスタンとタジキスタンのビザをこのアンカラで取る。
事前に調べた情報だと、ウズベキスタンのビザは取得まで1週間。タジキスタンは即日ということだった。
金曜日の早朝に到着した僕たちは、宿に荷物を置くとすぐにウズベキスタン大使館に向かった。
トルコは初心者?がいきなりローカルバスに乗るには敷居が高い。というのもバス停にはバス停名というのがない。
そして路線図もネット、バスターミナル、どこを探しても乗ってない。
ウズベキスタン大使館の住所はわかっているので、仕方なく自転車で向かうことにした。
アンカラの町は、僕らがいうところの“坂の町”だ。今までもクスコ、ラパス、ビーニャ・デル・マル・・・きりがない。
アンカラはその中でも特に酷い坂の町で、ウズベキスタン大使館に向かうまでに標高にして100mくらい上がることになってしまった。

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(近代的なアンカラのモスク)

ウズベキスタン大使館に無事到着。ウズベキスタン大使館の前には、UNHCR国連高等弁務官事務所があって、クルド人だかわからないけど、プラカードを持ってデモをしていた。

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ウズベキスタン大使館の正門でベルを押して中に入る。とても小さな応接室があり、事前にプリントアウトしておいた申請書とパスポートのコピー、顔写真などを提出する。
しばらく待つと、奥のドアから男性が現れて、こっちにこいという。
別室で面接タイム。のはずが、この男性の長男が福岡に留学しているらしく、その話で持ちきりになってしまった。
肝心のビザは、1週間後(23日)に取りにこい、という。22日を希望していたけど、1日早くできるかどうかはわからないとのこと。

ウズベキスタン大使館をあとにしたあと、すぐ近くにあるタジキスタン大使館に向かった。
タジキスタンのビザもアンカラで取得したいところ。
しかしネットで調べた住所の場所に行ってみても、大使館は見当たらない。(あとで調べたところ、移転していたみたい)
しかたなく、今度は日本大使館でタジキスタンビザ発行のための添え状を書いてもらおうとするも、日本大使館の場所も正確に調べていなかったせいで、わからずじまい…。

アンカラ初日は、ビザ取りで右往左往してしまった。

気を取り直して、翌日。彩が今回の旅で一番楽しみにしていた、というカッパドキアに向かうことにした。
事前にとっておいたチケットを持ってバスターミナルへ。チケットをバス会社の人に見せると、何やらチケットを回収。
別のバス会社へ案内され、そのバス会社で再度のチケット発行となった。チケット代は損していないけど、トルコもいちいち面倒くさい。

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乗車時間は5時間。メルセデス・ベンツ製のバスは快適で、車内にはWIFIも飛んでいた。USBもあって充電できるし、言うことなし。
ただ南米と違って、トイレがついてないのがちょっと不安かな。。

バスは日もすっかり暮れた21時ころ、ようやくギョレメの町につく。予め調べておいた、パラダイスホステルにチェックイン。
夜はちょっと奮発して韓国料理屋さんにいった。かなり値が張ったけど、たまには贅沢しないと。

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<アンカラでのビザ取得情報>
★在アンカラ・ウズベキスタン大使館
場所:Sancak mahallesi, 211. Sokak No 3 06550 Yildiz-Cankaya, Ankara
行き方:183、185番のバス、もしくは「Panora」行きドルムシュに乗る。
バス停名がないので、予めスマホマップで大使館の場所にピンを指しておくとよい。
一番近そうなバス停で降りてください。ドルムシュならどこでも降りられます。

営業日:土日祝日を除く朝9:00~17:00。日中閉館し午後15時頃再度開館。
料金:ひとり20ドル、近くの銀行で振込、振込場所などについては受け取り時に指示がある。
受取日:7日後の11時
必要書類:申請書(ネット上で申請書を作成し、PDF化したファイルをダウンロード後、プリントアウト)、パスポートコピー1枚、写真1枚
申請書のDL先 http://www.uzembassy.org.tr/
備考:面接あり。面接官のおじさんの息子が福岡に留学しているらしく、プチ親日家。事務員のおばさんの応対は機械的だが、問題はない。

★在アンカラ・タジキスタン大使館
場所:Ferit Recal Ertugrul Cd No:20
行き方:183、185番のバス、もしくは「Panora」行きドルムシュに乗る。
Panoraという富裕層向けマンション&ショッピングセン ターがあり、そのすぐそば。一帯は新しい大使館街になっている。(といっても、大使館はまばらで人気がない。)
営業日:僕たちは木曜日申請、金曜日受け取りでした。
受取日:翌日15時
料金:ひとり54ドル、申請後、徒歩10分のところにある銀行で振込をしたあと
領収書を大使館に渡す。(振込場所などのメモをくれる)
必要書類:申請書(ネットで申請書をダウンロードし、プリントアウト。手書きで記入)、写真1枚、パスポートコピー1枚、レター1枚(ネット上に情報があったので、日本大使館 のレターももらって一緒に提出しました、が、あまり気に留めてはいないようで実際のところ必要なかったかもしれません。)
備考:係官の応対は機械的だが、特に問題はない。大使館がアンカラの町の外れにあるので、中心部に宿をとっていた場合、移動に時間がかかる。GBAOパーミットはドゥシャンベで取るつもりだったので、つい聞きそびれてしまった。ので取れるかわかりません…。(近くに日本トルコ文化センターがあり、トイレなど借りられます。

★在アンカラ・日本国大使館
タジキスタンビザ取得のための「旅券添え状」を発行してもらうために、行ってきました。
旅券添え状は30分程度で発給。無料。日本語書籍の図書室があるので時間を潰せます。


以下、伝聞と推定情報も含むビザ情報
★在イスタンブール・ウズベキスタン領事館
日数は7日。欧米人は11日だった、という情報もあり。
申請は月水金とのネット情報。
タクシム広場から一本でいけるバスあり。
僕たちは臨時休業で取得できず。

★在イスタンブール・タジキスタン領事館
即日発行とセルビア人サイクリストからの情報あり。
僕たちは金曜日午前に申請にいったが、なぜか「月曜に来い」と門前払い。
アタチュルク空港の裏側にあり、交通不便。旧市街、新市街とも辿り着くのに時
間がかかる。
アンカラであったフィンランド人サイクリストは、GBAOパーミットもイスタン
ブールで取得していた。「簡単だったよ」と。
追記:しかし最新の情報ではやはりGBAOパーミットはドゥシャンベかタシュケントで取るように言われるとのことです。情勢は流動的なようです。


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なんだかよくわからない一日・・・。

なんだかよくわからない一日・・・。(2014年5月15日)

エスキシェヒルの町を出発する。
朝、ちょっとだけネットカフェに寄った。というのも、ウォームシャワーズのホストから返信メールがあるかもしれなかったから。アンカラでは、ビザを取る関係で滞在が長くなりそうなので、できればホスト泊にしたかったのだ。結局、メールは来てなくて断念。どうもトルコのウォームシャワーズのホストは返信無精らしい。
ネットカフェから出発しようとすると、近くの商店のおじさんがチャイをごちそうしてくれた…。
出発したかったけど、好意に甘えることに・・・。そんなこんなで出発したのは11時ころ…。

エスキシェヒルは思いの外大きな都市、どうも空軍基地があるらしく、昼夜構わずF4ファントム戦闘機が飛んでいる(至近距離で良く見える。。)
そんなエスキシェヒルの町を出ると、おなじみ肥沃なアナトリア平原がず~っと広がっている。

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60㎞くらい走った所で、急にトラックが目の前で止まった。う~ん、嫌な予感。。
おじさんが何か言っているけど、運転席から叫んでいるだけだからよくわからない。
降りてきて話をしてみる。
どうも「お前たちどこへ行くんだ?」と言っているらしい。
「アンカラだ」と答えると、「オレもアンカラを経由するから、乗っていけ」とのこと・・・。

ん~できればこの区間は走りたかったんだけど。。でも、まてよ。
もし今日つけば、明日(金曜日)のウズベキスタンビザ申請ができるかもしれない。そうすればちょっとだけビザ待ち時間が短縮できるかも。なんて考えて、素直に乗せてもらうことにした。

トラックは80kmくらいのスピードでどんどん進んでいく。
車内ではトルコ語のマシンガントーク。こっちはぜんっぜんわからないのに、トルコ語で話し続けてくる。
国際トラックの運転手さんらしく、パスポートにはイランやらトルクメニスタンのスタンプがいっぱい押してあった。

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日もすっかり暮れて、ようやくアンカラに到着。
「オレはこっちだから」と高速道路の分岐手前で降ろされてしまった。
この分岐から宿まではまだ25km(2時間くらいかかる)。

ん~こんなところで降ろされても…。と文句を言っても始まらないので、急遽蛍光ベストとテールライトをつけて、ビュンビュン車が走る高速道路を恐る恐る走りだす。

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なんとか近くのガソリンスタンドを見つけて、テントを張らせてくれないか頼み込んでみると、あっさりOK。
芝生上にテントを張ることができた。(朝テントの底に犬の糞がついていたけど…。)
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Do you want cay?

ブルサの町を出発 (2014年5月13日)
彩の熱も下がったようなので、出発することにする。といっても、まだ完全回復ではないと思うので、今日は無理せず、早めに泊まろうと思っていた。
今日は峠を一つ越えなくてはならない。じわじわと標高を上げていく。途中いつもどおりガソリンスタンドで休憩をすると、『チャイでも飲んでいかないか?』と誘われた。トルコで初めてのチャイブレイク。チャイを頂いて、指差し会話帳片手に会話をする。
どうやら若い男性スタッフはクルド人らしい。繋がりはよくわからないが、その場にいたムスリムの若い女性はトルコ人らしい。

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(一日2回はかならずチャイに誘われる自転車旅行)

教科書で学んだステレオタイプな知識だと、トルコ人とクルド人は基本的には反目しあっていると理解していたので、同じ屋根の下、仲良く一緒に暮らしていることに少し驚く。でもクルド人は現在トルコ全土に住んでいるわけだし、いちいちそんないがみ合っていたら大変だよね。
そのトルコ人のムスリムの女性は、『東京にムスリムはいるか?』とか『あなたの宗教はなんだ?』とか、矢継ぎ早に質問を浴びせてくる。一応当たり障りないように答えるのだけど、宗教を語るときの真剣な目つき。なんだか熱心すぎて、ちょっと恐かったなぁ。

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(ガソリンスタンドの中にもメッカの方角に向けた祈祷室があって、お祈りの時間を示した電光掲示板なんてものもあった。)

1時間ものんびりしてしまったガソリンスタンドを後にして、じっくりと標高を上げる。この日は結局200mから980mまで標高をあげ、102kmも走ってガソリンスタンドにテントを張って宿泊。レストラン併設のガソリンスタンドだったので、夕食はそこで済ませた。

「ドカン!」真横でバースト・・・ (2014年5月14日)
ガソリンスタンドの端っこに建てたテントを畳み、出発。昨日に比べて急な坂はないけど、アップダウンが激しい。

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(昼食で寄ったレストラン併設のガソリンスタンド。おかずをひとつ頼んだだけなのに、こんなにもたくさんサービスしてくれた。)

考え事をしながら走っていると、すぐ横を走っていたトラックから「ドンッ!!!!」っと爆発音。ものすごく大きな音で鼓膜が破れるんじゃないかと思ったほど。タイヤのバーストだ。幸い、僕達とは反対側のタイヤがバーストしたため、直接の被害はなかったのだけど、とにかく心臓に悪い経験だった。

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(炸裂したタイヤ。真横にいたらタダじゃすまなかったかも・・・)

今日もガソリンスタンド泊。でも良かったのだけど、せっかくなので、エスキシェヒルの町に入ってみることに。
全く予期していなかったのだけど、実はトルコ新幹線の駅があるくらい大きな街だった。
10軒近くも宿を探して、ようやく二人で50TLという宿に投宿。
夜ご飯の食材をスーパーで買ってしまっていたので、近くの河原まで行き調理をしていると、その様子を見ていたトルコ人が近づいてきて『これ、食べなさい』とロカンタのトルコ料理をテイクアウトして持ってきてくれた。その直後には別のトルコ人の男性が、飲み物とおかずをまた差し入れてくれた。見ず知らずの人からの食べ物を口に入れない。というのは旅の大前提なのだけど、この時は宿が目と鼻の先であることもあって、ありがたくいただくことにした。


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アザーンの聞こえる町

アザーンの聞こえる町 (2014年5月7日~10日)

イスタンブールには深夜に到着。この時間から宿を探すのはちょっと危険なので、空港で夜を明かすことにした。

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(荷物受け取り場にいくと、自転車が無造作に床置されていた・・・。かわいそうな自転車)

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(右:荷物をつけるキャリアを固定しているネジを6000kmぶりに新品に交換。写真のように2mmほど伸びていた。)

ベンチで時間を潰すこと6時間。頃合いを見計らって、自転車を組み立てる。
そうそう『イスタンブールのトルコ人は信用出来ない。』とガイドブックに書いてあったが、まさにその通り。
到着早々、カートを使う際に彩が1ユーロを1トルコリラ硬貨にすり替えられてしまった。3倍の価値の差があるのに。
思うに、短期的には私腹を肥やすことができるけど、そういった悪い心象を与えることで、長期的にはイスタンブールの観光客が警戒してしまって、悪影響を及ぼすことになると思う。といったようなことに思い至らないトルコ人はまだやはり未熟だ。(と愚痴をこぼすことでやり場のない怒りを紛らわすことにする)

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イスタンブールは7年前の2007年に一度訪れたことがある。その時もアタチュルク空港から市街へと向かった。
前回と同じルート、海岸沿いを走ってイスタンブール市街を目指す。
交通量は多いけれど、海岸沿いにでればサイクリングロードや遊歩道もあって比較的走りやすい。

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(マルマラ海に停泊する船たち)

ガラタ橋のたもとに到着。楽しみにしていたサバサンドを探すもなかなか見当たらない。とうもろこしの屋台や焼き栗の屋台ばかりが目につく。
前回の旅で大好きだったサバサンドが食べられないことにショックを受けつつ、ガラタ橋を渡った瞬間、懐かしいサバサンドの匂いが!
急いで匂いの元に向かうと、一件だけサバサンドを売っているレストランを見つけた。自転車を止めしばし懐かしい味に舌鼓をうつ。
塩が効いた脂たっぷりのサバとレモン、旨いトルコパン(エキメッキ)との組み合わせはやっぱり最高。
かぶりつくと「ジュワッ」とサバの旨みが溢れる。
それほど好きなんですサバサンド・・・。
(どうやら、衛生上の問題で一度屋台はすべて退去させられていたらしい。)

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(愛するサバサンド。昔のほうがボリュームがあったなぁ。ちょっと残念。彩はお腹が痛かったみたい。)

ツリー・オブ・ライフの閉鎖

さて、前回の滞在ではイスタンブールの日本人宿ツリー・オブ・ライフに泊まったのだけれど、つい昨年諸事情により閉鎖されてしまったため、今回は新市街に宿を取った。クスコやラパス、ビーニャ・デル・マル、バルセロナやアヌシー、今までに滞在した町と同じように、この町も”坂の町”急坂を登ってようやく宿に到着。荷物を整理するのもほどほどに楽しみにしていたロカンタ巡りをする。

楽しみにしていた選び放題のトルコ料理

ロカンタは、今までトルコ料理がずら~っと並んでいて好きなモノを選んで食べられるシステムの食堂、というようなイメージだったのだけど、一般的な意味での食堂を指す言葉らしく、宿のお姉さんに「ロカンタはありますか?」なんて質問したら、「その辺全部ロカンタだよ。」なんてことを言われてしまった。
しかたなく、新市街のメインストリートを少し歩き、ちょっと高いけどもイメージ通りのロカンタを見つける。
トルコ料理が10種類ほどずら~っと並び、好きなモノを選んで食べる。メインストリートに近いのでちょっと高いけども、お腹いっぱい食べて二人で1000円ほど。イスタンブール滞在中は良く利用させてもらった。

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(好きな料理をチョイスできるトルコの食堂(ロカンタ)。これが楽しみでトルコに来ました。)

トルコ料理はトマトやオリーブオイルをたっぷり使う世界三大料理の一つ。トルコ料理は、それぞれの素材同士のマッチングが素晴らしいなといつも思う。トマトやナス、羊肉、牛肉、ピーマンなどが主に使われるのだけど、それぞれが程よく馴染んで味がまとまっている。
世界三大料理の中に日本料理を入れろ!と今まで自転車に乗りながらなんども思っていたけど、トルコ料理がそう言われるのもわかるような気がする。

夕暮れのブルーモスク

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イスタンブールの主な見どころ、ブルーモスクやアヤソフィアは前回の滞在で一度行ったことがある。だけど、ぜひ彩にも見てもらおうと旧市街まで足を伸ばしてみた。彩は、こういう歴史的な建造物にはあまり興味がないようで、むしろ中央バザールの活気のほうが好きだったみたい。ブルーモスクは現役のモスク。当然ムスリムの掟を守る必要がある。入るとき、ヒジャブをかぶらなければならないのだけど、手元にちょうど良い布がなかったので、手ぬぐいを巻きつけて恐る恐る入場する。広大なモスク内はすべて絨毯がひかれていて、ムスリムが膝をついてアッラーに祈りを捧げている。僕達もしばし座って雰囲気を味わった。彩はこの絨毯のすわり心地が印象に残ったみたい。

苦戦!ビザ取り

イスタンブールでは、中央アジアのビザ、特にウズベキスタンとタジキスタンのビザを取る予定だった。
到着翌日、早速ウズベキスタン領事館に地下鉄とバスで向かう。前日深夜までかかって作った申請書を持っていたのだけど、ウズベキスタン大使館にはられていた張り紙には臨時休業の文字。次の火曜日(6日後)まで業務は行わないとのことで、撤退。
続いて、タジキスタン領事館に向かってみる。金曜の午前中についたにも関わらず、今日はやってないと門前払いをされてしまった。うーん、タジキスタンビザはイスタンブールが簡単という情報を得ていたのだけど、残念。

>ビザ情報は追って別の記事にまとめます。

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(左:ウズベキスタン大使館。右:タジキスタン大使館)

ハマムを初体験

泊まったホテル、AGA HAMAM HOSTELはその名の通り、元々ハマムであって、余っている部屋に旅人を泊めるような宿だった。自転車を置く場所(別の場所にある倉庫、ハマムのボイラーの燃料を保管している場所)もあり。キッチンも広いし、シャワーもまあまあ。せっかくなのでトルコ・ハマム(蒸し風呂)を体験してみることにした。
中に入ると、真ん中に大きなタイル貼りの台があって、まずそこに寝るように言われる。この台はかなり温かく、じわじわ汗をかいていく。汗をしっかりかいたあと、トルコ人のおじさんが垢すりとともに現れて、体を強力にゴシゴシ・・・。いや~気持ちよかったです。はい。

一緒にハマムに入ったサウジアラビア人3人、とても響くハマム内でお腹をパチパチと叩いて大合唱。もう彩とぼくの二人はおかしくておかしくて大爆笑していました。ハマムのいい思い出(笑)

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(お腹をパチパチ叩いて大合唱してたサウジアラビア人。何の仕事?と聞くと予想通り「オイルカンパニーだ」とのこと。わお!)

チャリダーとの交流

泊まった宿にはたまたまヨーロッパをこれから旅するという大学生のチャリダーと一緒になった。いろいろ情報を教えてあげたのだけど、参考になったかな…。
また別に、ACMLメンバーの伊藤あつしさんともお会いすることができた。あつしさんは、すでに3年半ほど自転車旅行を続けていて、総走行距離はなんと4万5000kmを越えるほど。ひさびさのディープなチャリダートークがとても楽しかった。

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(伊藤さんと。いつものロカンタに行ってしまいました。)

これから先、時期的な問題でインドに入る9月まで日程に一切余裕がない。
イスタンブールもわずか4泊で出発することになってしまった。もうちょっと夕暮れのブルーモスクでアザーンを聞いてチャイでも楽しみたかったのだけど…。

トルコ自転車旅行開始!(2014年5月11日)
朝起きて、イスタンブール港からブルサという町にフェリーで向かう。
イスタンブールに限らず、大都市の自転車走行は本当に面倒くさい。交通量が多く、特に発展途上国では歩車分離が徹底されていないため、どっちつかずの自転車はいつも危険な目にある。僕一人なら力技で車道を縫って走って行くこともできると思うけど、彩がいるのでそうもいかない。安全第一で走って行くと、お互い精神的に疲れきってしまうのだ。
そんなこんなで、大都市走行はできれば避けたいところ。イスタンブールもアジア側の隘路を通ることを避け、マルマラ海を渡って対岸のブルサに向かうことにした。そちらのほうが交通量が少しマシだと思う。

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10時の高速船に乗り込む。フェリー乗り場には金属探知機が設置されていた。おそらくクルド人の武装勢力、テロを警戒してのことだと思うけど、僕らも含めて出港間近に乗り込んだ乗客は一切チェックされなかった。高速船はわずか1時間30分ほどでブルサ郊外の港へ到着。そこから30kmほど走ってブルサの町に向かう。
ブルサの町は予想以上に大きく、市街地に入ってから宿につくまでに結局1時間半くらいかかってしまった。町中にはトラムが走り、ビルも立っている。地球の歩き方にも載っていて、どうやらハマム(トルコ風呂)で有名らしい。
宿は歩き方に書いてあった最安のGunesという宿。おばさん、おじさんとも大変やさしく、いい宿だった。

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(ブルサへの道を教えてくれたおじさん。後部座席には趣味の模型飛行機が。やっぱり都市部を出るとトルコ人の優しさに触れることが多い気がする。)

彩が発熱・・・ (2014年5月12日)
朝起きると、彩が「ぼーっとする」と言っている。
熱を測ってみると、38.0℃!あちゃー完全に風邪だ。出発は延期して、一日休養をとる。
特にやることもないので、一人でブルサの町を散歩したり、宿でWEBサイトの更新をしたりした。
彩はなかなか熱を出さないのだけど、やっぱり体あっての旅。無理は禁物です、はい。

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(トルコのスーパーは、お米の種類が豊富。こんなに豊富なのはチリ以来。日本人には嬉しい国。)


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