ワハン回廊を走る。

(この日記は2014年8月24日~29日までの出来事です。)

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ランガルからの道はパンジ川沿いにホーログまでつながっている。
小さい集落は途切れることがなく、農地と交互にずっと続いている。
このワハン回廊は平地が多く、小麦などを栽培している姿が目立った。
パミール高原からの道とは大違い。

道は未舗装が続いていて、時折、走りにくい砂地も顔をみせる。
走りにくいけれど、時々すれ違う村人との交流がスパイスとなって、
モチベーションをあげてくれる。

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ワハン回廊での宿泊はほとんどがホームステイ。

町に立っているホームステイの看板の前でうろうろしていたり、夕方ころになると、村の若者に声をかけられる。

ワハン回廊では3回ホームステイをしたのだけど、どこのホームステイ先にもシャワーもあったし、客間もぼくたちだけで使わせてくれた。
ご飯は朝晩つきで10~13ドルが相場だ。
夜はだいたいショルポという中央アジアスープとナン。朝はバターチャイとナン、お菓子という組み合わせ。
ナンもスープもおいしいのだけど、トルクメニスタンからかれこれ2ヶ月、ほとんど同じ食事。
「本当にタジキスタン人はこんな食事しか食べてないのかな?」と真剣に考えこんでしまった。
とにかくレパートリーが少ない。
イランの場合、中央アジアとは違って逆にお店ででてくる料理は貧しいけど、家庭で出てくる料理は豊富だった。旧ソ連の食文化なのか、それとも土着の食文化なのか。中央アジアには本当に興味がつきない。

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食事のスタイルは、イランと同じだ。絨毯の上にレジャーシートを広げて、ご飯が出てくる。
タジク人はイラン系民族で、ウズベキスタン人やトルクメニスタン人と違う民族だけど、基本的には同じ食文化だ。

チャリダーとの再会

チャリダーたちとの再会もワハン回廊でのうれしいイベントのひとつだった。
アメリカ、ドイツ、ブラジル、ポーランド、フランス、日本、と各国のサイクリストとすれ違った。

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特にトルコのアンカラ、ドゥシャンベで2度会っているアメリカ人サイクリストとの再会やトルクメニスタンを
一緒に走った米山夫妻との再会は印象に残る出来事だった。

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米山夫妻とは、たまたま近くにあったホテルに一緒に泊まって、ひさびさの再会を楽しんだ。

まさかの発熱!?(8月27日朝)

米山夫妻と再会したホテルで出されたポロフにあたってしまい、朝から熱と下痢が続く。

このポロフ(ピラフ)には、なんとハエの死骸が入っていた…。

ワハン回廊なんて医療施設もほとんどない場所で、この旅最悪の体調不良。
朝は少しマシだったので、10kmほど進むも、やっぱりダメ。
熱を測ってみると38度を超えている。
ご飯も食べられないので脚に力も入らないし、結局見つけた村で一泊することになった。

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最初はテントを張ろうとしていたのだけど、室内に入れ、と言ってくれたので、玄関にあるスペースに横にならせてもらうことにした。

熱は38度。長引かせたくなかったので、上下ダウンを着込み、ダウンの寝袋に入って、一気に体温を上げて自然治癒させることに。

汗だくだくで頭はふらふら、おまけに下痢がひどくてお腹もぐるぐる。

彩は、一生懸命看病してくれたし、普段は苦手な現地住民との交渉もやってくれた。
ポカリスエットも作ってくれたり、本当に助かった。
バルセロナでもそうだったけど、こういうときパートナーがいると本当に心強い。

泊まった民家で出してくれた食事は、消化に悪いものばかりだったので、僕は食べず、ひたすら寝て回復につとめた。

翌日、起きてみると熱は収まりつつあった。

民家の子供が、ipadをくれ、ととにかくしつこくてうるさかったので、しかたなく出発することに。

出発するとき、お礼として相場の10ドルを渡そうとすると、「100ドルよこせ。」といわれてしまった。

あまりにも法外なので払わなかったけど、ワハン回廊での苦い思い出のひとつになってしまった。

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(「iPadをくれ」と寝こむ僕にしつこく絡んできた少年。)

実のところ、ワハン回廊のパミール人は何かとお金にうるさい。
タジキスタン人は見返りを求めずテントを張らせてくれたり、部屋を貸してくれたりしたけど、パミール人はあまりいい印象がなかったなぁ。

子供たちもサイクリストに石を投げたり。

観光地化されるにしたがって、やさしいと言われたパミール人も少しづつ変わってきているのかもしれない。

翌日もあまり距離を延ばせず、村でテント泊。

とまった家のおじさんは、村の学校で英語を教えているそうだ。

今までタジキスタンの子供たちから何百回といわれた言葉。

初対面での「What your name!」

おじさんになんでタジキスタンの子供たちは初対面でhow are youでもなく、いきなりwhat your nameなのか聞いてみると、

案の定、英語の授業で一番最初に教える言葉だそうだ・・・。

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(旧ソ連軍の水陸両用装甲兵員輸送車BTR-70)

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翌日ホーログまでは30kmほど。たいした距離じゃないのに、何も食べてないせいか、まったく足に力が入らない。
こんなに入らないのかな?と驚くほど。わずかな上り坂に30分以上も時間をかけてしまったり。

15時ころ、ようやく久しぶりのホーログに到着。
パミールロッジに戻ると、宿のおかみさんが、「ひさしぶり!」と声をかけてくれた。

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(ホーログのバス停には旧ソ連のシンボルマークが)


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