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イラン入国

イラン入国(2014年6月19日)

前日しっかり休んだので元気回復。でも朝はしっかり白米を炊いてしまったりして結局10時のスタートになってしまった。 アゼルバイジャン最終日。道は相変わらず悪く、相変わらず「お~い、こっちにこ~い」と声をかけられ続けた。 この日は今までとは違い、向かい風もそれほど強くはなく、意外とあっさり国境の町Astara(アスタラ)に到着した。

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(国境のゲートは海岸沿いにあり、ちょっとわかりにくい。)

早速、ゲートを越えようとすると、警察官が現れ、「今はランチタイムだから2時半にくるように」と一言。 しかたなく手持ちのマナトを使い切るため、マーケットでジュースとヨーグルト、ハムを買って昼食。 時間になったので、国境に向かう。アゼルバイジャン側のイミグレーションは、いつもどおりの手続き。彩が痩せたせいで、パスポートの写真とよく見比べられたりしたくらいだった。

問題はイラン側。 まず国境の橋を渡って最初の警備員詰め所で、制止を受ける。イミグレーションでもなんでもないのに、パスポートの番号を控えられ、父親の名前を聞かれたり、と、よくわからない。

続いてようやくイミグレーション、パスポートコントロールに入る。すると、カウンターのおばちゃんが何やら手招きをしている。パスポートを先に渡せとのこと。渡してしばらくすると、今度は警察官が現れ、こっちにこいと言う。後についていく、と「ポリス!」と大書きしてある部屋に通される。う~ん、よくわからん。

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(イミグレオフィス。ブレちゃいました。)

警部だかよくわからない上司らしき人がデスクに座ってファイルに次々目を通しているけど、僕らは「シットダウン、プリーズ」と言われたまま…。 しばらく経って、ようやく僕達の手続きをしてくれるようだ。何やらゴソゴソとアタッシュケースをいじっている。 中から出てきたのは、じゃ~ん。スタンプ台。どこかでみたことがある道具。そうトルコのトラブゾン、イラン大使館でビザを申請するときも全く同じパターンでした。指紋採取。

スタンプ台が出てきた瞬間、「あー指紋か」と潔く両手を差し出す。「おーよくわかっているな!」と両手の指紋をバッチリ取られた。いや、そもそも両手の指紋はトラブゾンのイラン大使館で取られているわけで、指紋照合でもやるつもりなのか?外国人が通るたびに指紋をとっていたら大変だろうに…。ちなみに彩の指紋は女性警察官をわざわざ呼んで採っていた。どうも男性警察官は女性に触れてはいけないようだ。さすがイスラムの国。

まぁ結局のところ、警察官のおじさんはとてもいい人で、ワールドカップの話題(イランも出場している)で盛り上がった。ご丁寧にも日本とコートジボワール戦のスコアを教えてくれたり。一度イラン人とワールドカップ観戦してみたいなぁ。 最後に「Welcome our country」と笑顔で言ってくれた。いい言葉だね。いままでそんな言葉入国時に言われたことがなかった。

ようやくパスポートに入国スタンプが押され、イラン入国。 事務所を出るなり、両替商に囲まれてしまった。 とりあえず100ドルだけ両替しておくかな。と100ドルを2,505,000リアルに交換した。ちょっとレートが悪いかもしれない。 今日は少し先に進んで、野宿でもしようかと思っていたのだけど、彩の服(マントーと呼ばれるイスラム女性が来ている服。体のラインを隠すためのもの)を買ったりしているうちに結局17時になってしまった。17時から走り出すのはちょっと厳しいので、この町に泊まることにして一日は終了。

彩の服を買う時も、「君たちは私たちの国のお客さんだからお金はいらない」などとびっくりするようなことを言われたり(結局ちょっとだけお金は払った。)宿を探すときも、ちょっと迷っているとすぐイラン人のおじさんが寄ってきてくれて英語で場所を教えてくれたり、さらに最初に行ったホテルも、「20ドルくらいで泊まりたいのだけど」というと、「うちは無理だが、近くに安いホテルがある。そこにしなさい。行き方を教えてあげよう」などと、自分の利益にならないことなのに、親身になって教えてくれたりした。

うぉ~イラン。この国はいったい…。


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一緒に山に登りませんか??

イラン国内走行(2014年6月20日)

さて国境の町アスタラからひとまず東に走り始めることにする。
イランは道路の舗装状況もよく、路肩もある。運転マナーもグルジアよりは良さそうだ。

あたりには田園風景が広がる。
作っている米はどうもタイ米らしいのだけど、里山と田園風景が日本を思い出させる。

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昼休憩でジュースを買っていると、若いイラン人男性に英語で話しかけられた。
初日から思っていたことだけど、イランではよく英語で話しかけれる。
この男性はイランで英語教師をしているらしく、日本の文化について細かく質問された。以前紹介した自転車旅行者のネットワークWarmshowersにも参加しているらしく、アドレスを教えてくれた。

その後も、トラックの運転手に話しかけられたり(なにか困ったことがあったら連絡するようにと、連絡先まで教えてくれたり)、とにかく英語で親切をうけた。

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その日は、70kmほど走った町に泊まろうとしたのだけど、どうにも宿が見つからない。
困りながら、野宿の覚悟を決めて走りだすと、例のごとく車から話しかけられてしまった。

「一緒に山に登りませんか?」

「ん?山??」と困惑していると、どうも今日は金曜日で祝日。家族でピクニックにいくところのようだ。
時間も遅いので、宿の心配を口にすると、「うちに泊まっていけ」という。

自転車を、その家族の親族のうちに止めさせてもらい、車に乗って“ピクニック“にいく。

車はどんどん山を登り、1500mも標高を上げて、とある町に到着。
招待されるがままにちょっとしたピクニックスペースへ案内された。
そして好きなものを食べなさい。とキャバーブ(ケバブのイラン版)とバターライス大盛りをいただく。

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日本のことや、イランのこと、などいろんなことを質問された。
家族は父母兄妹の4人家族。お父さんは弁護士、お兄さんは英語の教師を目指しているらしく、妹さん(一番英語を話していた)は、歯科医師になりたいらしい。

余談だけど、イランでは医師は女性の割合が高いらしい。それは、「男性医師は女性を診察してはいけない」というイスラムの規則のため。女性医師は男性も女性も両方診察できるので、この点女性のほうが有利なのだ。
ただ、いろいろ調べてみると医師に限らず、高等教育、とくに理系に占める女性の割合は男性よりも高いらしく、サウジアラビア(スンニ派)のように女性の権利がないということは、イランに限っては当てはまらないような印象を受けた。

食事を頂いたあと、そのまま自宅に招待された。マンション一棟そのまま所有しているらしく、僕たちにもワンフロアまるごと貸してくれた。

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だだっぴろいリビングでおやすみなさい。。


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おじさんに捕まって

おじさんに捕まって(2014年6月21日~23日)

泊めてもらった翌日、次の町ラシュトへ向けて出発しようとするも、
「1週間くらいゆっくりしていきなさい」と引き止められてしまった。

「いや~ゆっくりしていきたいのだけど、先を急がなきゃいけないから」となんとか説得して、どうにか出発することに。
妹さんはアヒルを庭で飼っているらしい。アヒルのかわいさと妹さんのかわいさが微笑ましかった。

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どうにかこうにか出発。日本人をもてなしてくれる人がいると有名なフーマンを目指す。

が、しかし、またイランの親切に捕まってしまう。

35kmほど走ったところで、恰幅のいいおじさんに止められた。
話を聞いてみると、どうもこのおじさんもサイクリストで、去年(!)日本を走ったことがあるという。
半信半疑の中、ランチを食べないか?ということだったので、おじさんの家に行ってみることにする。

おじさん家は、出会った場所から更に10kmほど先にあり、一度別れてから再合流するのに苦労した。
レズバンシャールの町から少し走った所にあり、普通の一軒家。
奥さんがたっぷりのバターライスとおかずを出してくれた。

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パソコンを見せてもらうと、日本の風景とおじさんが写っている。どうやら話は本当らしい。
「日本を縦断した」、ということはなさそうだけど、柏(イラン人のペルシャ絨毯商がいるらしい)の写真がでてきた。「日本は最高だった。」とおじさん。

さて、話も伺ったし、ご飯も頂いたし、出発しようとすると、お得意の引き止め工作。
「1週間くらいゆっくりしていけばいいじゃないか」と今朝もどこかで聞いたようなセリフ・・・。

たしか初めは「ランチでもどうだ?」という話だったはずが、いつのまにか「1週間のホームステイ」に変わってしまう、イランマジック…。

うーん。まぁ時間も遅くなってしまうし、「今日は泊めてもらうか」ということで一泊させてもらった。
夕方頃、「ちょっと親戚の家に飯を食べに行くからこないか?」というので、ついていく。

車で少し走って降ろされる。建物の中に入ると、偉そうなおじさんが3人英語を話している。
「ここが親戚のうちかな?」なんて思っていると、どうも違うらしい・・・。

実はここは英会話学校だったらしく、いきなり女子クラスの授業に放り込まれて即席講師になってしまった・・・。英語は全然喋れないのだけど、「イランの若い女の子が世界を、自分の国をどう感じているのか?なぜ英語を勉強しているのか?」などなど疑問がいっぱいあったので、この機会にぶつけてみることにした。
初級クラスのため、僕の拙い英語すら難しかったみたいで、コミュニケーションは取れなかったのだけど、イランの若い世代が何を考えているのかが少しわかったような気がした。

帰りがけに、「記念写真を撮っていいですか?」と聞くと困ったような表情。
どうも保護者の許可がいるらしい。さすがイラン。ムスリムの国だ。

その後、バスに乗っておじさんの親戚のうちに。
親戚10人ほどが集まって夕食を食べていた。
イランは子供が多い。こうやって子供も大人も親戚が一同に集まって食事する文化があるのはいいこと。
この日はおじさんのうちに一泊させてもらった。

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翌日、出発しようとしていると、やっぱりおじさんに引き止められる。
結局、旅の計画をすべて白状させられ、大きく軌道修正して、このおじさんの家からテヘランに向かうことにした。うーん、うれしいやらめんどくさいやら。。

夕方におじさんの娘さんとその旦那さんが食事に行くというのでついていった。
郊外のチャイハナ、ケバブとシャイそして水タバコを楽しむ場所だ。

彩は以前から水タバコを一回吸ってみたかったらしく、ようやく体験することができた。
タバコの葉にフルーツの味付けをして吸う水タバコ。これ結構ハマります…。

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(案内してくれたおじさんの娘夫婦)

結局2泊して3日目の夜、ようやくバスに乗ってテヘランに向かうことになるのでした・・・。


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おじさんを振りきって

おじさんを振り切って出発するのも大変だったので、しかたなくここに自転車を置きテヘランに向かうことにした。テヘランへのバスは夜12時ころ出発。3列シートでエアコンもあり快適だった。しかも値段はなんと6ドル。めちゃめちゃ安い。無事翌日朝、テヘランに到着した。  日本人が集まっているというマシュハドホテルへ。ここでようやくチャリダーの米山夫妻と会うことができた。

テヘランでのビザワーク ~トルクメニスタン編~
テヘランでする事は一つ。ビザの取得だ。テヘランではトルクメニスタンとインドのビザをとる予定だ。トルクメニスタン大使館はテヘラン市街の北の端にあって、結構時間がかかる。地下鉄の終点まで乗って、そこから歩くこと25分。ようやく大使館に到着。

ところが、大使館の前には人気がない。いやな予感。祝日休日ではないはずなのになぁ。なんて思っているとたまたま大使館員の人が通りかかり、「今日は会議で休館だよ」と一言。がっくり。仕方なく踵を返して来た道を駅まで戻る。帰りの道はとても長く感じた。

とりあえず長丁場になりそうなので、スーパーに買い出しに行ってきた。スーパーはホテルから歩いて20分。テヘラン市内にはいわゆるミニマートが少なく食料の調達に四苦八苦することがよくある。とにかく飲み物、食べ物が売ってないのだ。(特に宿のまわりは) スーパーで数日分の食料と水を買い込み、宿に戻った。

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(テヘラン市内のスーパー。レジには店員の応対を評価する謎のボタン付き)

木曜日、今日こそトルクメニスタンのビザを申請しなければならない。 というのも、イスラムの世界では金曜が休み。つまり明日はもう申請できないのだ。  朝イチで大使館に向かう。ささっと申請を済ませて、次のインドビザセンターに向かう予定だ。  大使館前には昨日とは変わって人が溢れている。小さな窓口で申請書を渡そうとすると、近くの男性を呼びチェックしろと言って窓口を閉めてしまった。この男性はVISAの代行業者らしく、慣れた手つきで申請書類をチェックする。どうやら申請書類には問題はないらしい。ここまではOKだった。問題はここから。  申請書類が受理されるまでは、この場に留まらないといけないらしいのだけど、受付の窓口がなかなか開かない。結局開いたのはなんと4時間後の13時。4時間も待たされてしまった。
結局、インドビザの申請はできず。週明け持ち越しになってしまった。

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(トルクメニスタン大使館の小さな小さな窓口に殺到する申請者。もっと申請しやすいように工夫をすればいいのに・・・なんて彼らは露ほども思わないんだろうな。)

テヘランでのビザワーク ~インドビザ編~
土曜日はインドビザ申請センターの場所を確かめるためにテヘラン市内へ出た。 インドビザは、テヘラン市内の旅行代理店が業務委託を受けていて、インド大使館とは別の場所にある。地下鉄駅からちょっと距離があるため、バスで向かった。無事、インドビザ申請センターに到着。予想通り休みだったので、場所だけメモして、インターネットカフェにむかった。 ネットカフェでは、インドビザのオンライン申請をして、ビザ申請時に必要なインド出国チケットを印刷。


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(イランでハマりにハマっていたフレッシュジュース(メロン)。これがめちゃめちゃうまい。25000リアル(約100円ほど)

再びスーパーにいくため地下鉄にのる。地下鉄の駅を降りると何か様子が変。どうやら、新しい路線でよくわからないままスーパーを少し通り過ぎてしまったらしい。仕方なく、歩いて向かうと、ここで大発見。

この通りは実はアウトドアショップ街になっていて、マムートなどの海外ブランドのウェアが売っていたのだ。彩のズボンが破けてしまったので、新しいズボンを買おうとしていたのだけど、結局ちょうどいいサイズがなくて断念。スーパーによってから宿に戻った。

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(寝袋やガスストーブなど様々な商品がならぶ店内。かなりしっかりした装備を整えられそうだ。)

翌日、ようやく週明け、インドビザの申請に向かう。インドビザ申請センターに朝早くつき、スタッフの人に声をかけると、「どこの国の出身?」と声を掛けられる。「日本だ」と答えると、「外国人はここでは申請できないよ。」とのこと。がっくり。。急ぎで正しい申請方法を聞く。どうやらインド大使館へ出向く必要があるらしい。さらに日本大使館のサポートレターも必要とのこと。急いで日本大使館に向かい、サポートレターを発行してもらう。

在テヘラン日本大使館はいつにもまして厳重だったが、日本人だというと警備員の男性はすんなり中に入れてくれた。通常、日本のパスポートを見せた上、日本人といえども金属探知機を通って荷物を改められるのだけど、イラン人警備員はあまり気にせずスルーして、通してくれた。。

窓口ではイラン人の女性大使館員が応対してくれた。一応日本語が話せるようなのだけどイマイチ、スムーズにコミュニケーションできない。ちょっと時間がかかりつつも、なんとか意図を説明できた。いつも通りの承諾書(ビザを発給してもらう国には危険地域がありますが、説明を受けた上、自己責任で入国します。というような内容)にサインをして提出。今回は追加で今後の旅程表のようなものも書かされた。

結局のところ、当該国のビザはその直前の国でとってほしいらしく、なぜテヘランでインドビザをとる必要があるのか、とその女性スタッフに突っ込まれたため、いちから事情を説明するのに時間がかかってしまった。 ようやくサポートレターが渡され、これで終わりかと思っていたところ、なんと副領事から説明があるという。お忙しい中、副領事の鈴木さんから丁寧にイランと周辺国の最新の危険情報や、イラン国内のマナーなどについて教えていただいた。

長くなってしまったけど、後少し。

インド大使館へ向かう。ゲームのラストボスを倒すときのような心境だ。迷宮のようなダンジョンをクリアしてようやく辿り着いたインドビザ申請。
インド大使館は日本大使館から近く、すぐに到着。申請書類を提出すると、「日本大使館になぜサポートレターを出したのか確認するから、また明日来てくれ」とのこと。うーん、まだ決着がつかないインドビザ。。

翌日、早朝インド大使館へ向かった。  結果、テヘランでのインドビザの発給は1ヶ月のシングルエントリービザのみ。3、6ヶ月のマルチビザは発給していないとのこと。完敗。

都合上4日間をかけ、交通費をかけ、靴底をすり減らしながら頑張ったインドビザの取得は、残念ながらできず。。

しかたないので、気持ちを切り替えて、ペルセポリスを見に行くことにし、夜行バスでシーラーズに向かった。

※6ヶ月のインドビザは、キルギスの首都ビシュケクで取得できるようです。僕らも検討中。。

 


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古代オリエントの跡

シーラーズへ(2014年7月1日~2日)
バスの中、早朝目が覚めるとまさにここは砂漠だった。

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シーラーズには7時くらいに到着。バスターミナルからタクシーに乗り、ホテルへ。

宿:ダリアホテル (ツイン300,000リアル)
個室に冷蔵庫、洗面台、シャワーありでトイレは共同。Wi-Fiなし。イランの宿ではだいたいパスポートをホールドされるのだけれど、ここでは珍しくされなかった。部屋にはファンが付いていてまぁまぁ快適に過ごせた。宿代は安く、立地も良くおすすめ。

ペルセポリス
シーラーズに来た目的は、ペルシア帝国の都、ペルセポリスを訪れることだ。日中はとにかく暑いので15:00頃、宿を出てペルセポリスへ向かった。ミニバスとタクシーを乗り継いで到着。一人150,000リアル。とにかく暑い暑い。そのせいか人もまばら。つい日陰を求めながら行動してしまう。

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この都は紀元前520年頃に建設されはじめたという。そんなはるか昔の遺構が残されているとは!現代でもこんな荒野、ほとんど砂漠に位置する都なんだから、よほどの権力もとにつくられたんだろうな。様々なレリーフも残されており、各地方の民族衣装をまとった人々も描かれていた。メインから少し離れて高台にも遺跡があったけれど、あまりに強い日差しと日陰がないのであそこまで行くのは断念。イランの子供たちは元気に登っていたっけ。

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マスジェデ・ナスィーロル・モスク
一人50,000リアル。ステンドグラスが魅力的と聞いてやって来た。宿から歩いて10分ほど。

早朝だと陽の差し込み加減が良くきれいらしいので、開く時間に行ってみた。でも、まだ陽が低すぎて少し待った方が良さそうなので9時まで待てみる。けっこう陽が差し込んで来た。彩り豊かなステンドグラスがきれい。しかし、一番美しい時期は陽の低い冬のようだった。

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ここで、観光で来ていたイランで文化・歴史を学んでいるという日本人女性に出会った。異文化を学ぶのに一番なのはその中に住むことだけれど、イランに住むとはけっこうな覚悟が必要だなと思ってしまう。 

バザール
日暮れ頃にバザールへ。イスタンブールのバザールとも雰囲気が似ているかな。絨毯やスカーフ類、チャードルがた〜くさん!イラン人は何を決め手に買う店舗を決めるんだろう。ゆうが写真を撮っていると「うちの子を撮って」と言ってくるお父さんやお母さんがいた。一瞬、撮影しないで、と怒られるのかと思ってしまったけれど、そんなことはちっともなかった。

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日が沈むとすっかりあたりは賑わってきた。ファーストフード店やジュースバーは繁盛している様子。日中は暑いせいかラマダンのせいか、ほとんど人気がなく寂しい町なのかと思ってしまったくらいだったのに。私たちはピザが食べたいとピザ屋を探しまわったけれど、結局見つからず今晩も定番となったハンバーガーを買って宿で食べました。


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エスファハーンは世界の半分

シーラーズをあとにした僕たちは、バスでエスファハーンへ向かう。
バスは21時頃にターミナルを出発。深夜3時頃にエスファハーンへ到着した。

エスファハーン行きのバスではなかったようで、とんでもない場所で降ろされてしまった。
同じ場所で降りた別の女性とタクシーへ乗る。市内へは20分程度、深夜料金と称して10万リアルほど取られてしまった(ちなみにバスは12万リアルほど)

早朝4時、仕方ないので通りの公園で時間を潰すことに。

7時頃、ホテルにチェックインし、いざ、王の広場(イマーム広場へ)

16世紀末のエスファハーンの繁栄ぶりを見た商人たちは「Esfahān nesf-e jahān ast」(エスファハーンは世界の半分」と呼んだそうだ。

この「世界の半分」という言葉にずっと憧れを持っていた。
「世界の半分。」
こんなにもこの街を簡潔に表した言葉もないと思う。

さて、そのエスファハーンの中心、王の広場へ足を踏み入れる。
さぁて!

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「う~ん」・・・笑

世界の半分か・・・。まぁそう言いたくなる気持ちはわかる。
16世紀なら日本は戦国時代。
そう考えれば世界の半分に見えたのかも。
でも、昼間の広場はちょっと閑散…。たしかに寺院は美しいのだけど賑やかさがないような気が…。

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(工芸品はとても繊細で驚くほど。タイルも素晴らしい)

でも、この王の広場のホントのおもしろさは、実は夜にある。

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ラマダンも重なっていたのもあるけど、夜になると、四方からイラン人が広場に集まってくる。
そうイラン人が大好きなピクニックをするためだ。
しばらくすると、広場の芝生という芝生にはレジャシートを広げ、思い思いに談笑するイラン人で溢れかえる。
なぜか観光の馬車も登場し、広場をぐるっと回ったりしている。とにかく賑やかだ。

ふらっと歩いていると、英語が達者な少年に話しかけられた。
少年の名前はマホメット君
「僕たちの家族のところにこないか?」と夕食に誘われた。
せっかくなので向かってみることに。

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すると、現れたのは大家族。
「おお日本人か?」「こいつは日本人だ~」なんて家族・親戚で大盛り上がりしていた。
甘いスイカを頂いて大満足。

イラン人は本当に英語を話す人が多い。
この家族もお姉さんが英語の先生をしているらしく(英語の先生に会う確率も極めて高い・・・)
僕たちよりもずっと流暢な英語を話す。

せっかくなので、イランについていろいろ質問をしてみた。
一夫多妻制の話とか、出生率の話。
イランのイスラム教は、世界の中では少数派のシーア派だ。サウジアラビアを中心とするスンニ派とは対立する関係にある。
スンニ派が1人の男性に対して何人もの妻をとれるのに対して、シーア派は4人までらしい。

が、実際は1人の妻のみと生涯過ごす男性がほとんど。子供の数も2人が多いらしい。
そのためイランの人口はすでに横ばいらしい。
「なぜ?」と聞いてみると、「エコノミックのリーズン」らしい。
「ああ、じゃぁ日本と一緒だね」と大笑い。
英語をしゃべるイラン人が多い、ということと矛盾しない。教育熱心な国なのだ。
子供多くもうけても教育にかかる費用を賄うことができないらしい。

なんとなくイランに親近感を抱いた、と同時に、そういう考え方(日本と同じようなレベルの考え方)が存在する国なのだ、と思った。

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2日後、メールアドレスを交換したマホメッド君から、
「うちにご飯を食べに来ませんか?」と英文メールが送られてきた。
「Yes以外の返事を聞きたくない」といやに強硬なメールだった笑

せっかくなので、お邪魔することに。
ホテルに19時に迎えに来てもらった。
車で走ること30分。
エスファハーン市の郊外に立つ新築のマンションがマホメッド君の自宅。
地下駐車場は何層にも重なり、門はリモコン式の自動開閉だ。

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エレベーターで彼の自宅に入る。
以前から思っていたけど、イランの家はどこの家も豪華。
かならず韓国製の大画面液晶テレビがあり、エアコンがあり、パソコンがある。
トイレは水洗だ。ほとんど日本と変わらないような気がする。
ただし物価は日本の1/5から1/10。

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一体どういう経済構造になっているのか、とても気になる。
アメリカに経済制裁を受けているけど、決して困窮している感じではない。
トルコやトルクメニスタンとの通商も盛んで、アラビア海に面した港もある。石油もある。
イランという国が本気を出したら、経済的にもなかなか良い国になるんじゃないかと、思ったりする。
低賃金で優秀な人材がいる。港もあれば、工場も進出できる。

マホメッド君の自宅でたっぷり夕食をごちそうになってしまった。
イランの家庭はいつも家族・親戚でいっぱい。とても幸せそうだった。

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※イスファハーンの宿
「Amir Kabir hostel」
バックパッカーの定宿、朝食付きで30万リアル
朝食もちょっと豪華でジュースがつく。
インターネットは朝晩のみ、そこそこ使える。(といっても遅い)
彩は日本の友達とスカイプをしていたけど、問題はなさそうでした。


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そしてヤズドへ。

イラン国内のバストリップもいよいよ最後、ヤズドへ向かう。

元々ヤズドへ向かうつもりはなかった。
が、エスファハーンで驚愕の知らせを受けることになる。

「トルクメニスタン大使館が1週間臨時休業だって」

「へ?」

なんと、ビザを受け取るはずだったトルクメニスタン大使館がいきなりの告知なし臨時休業だ。
つまりビザを受け取る日が1週間も伸びてしまうことになる。
しかたなく時間を調整するためにヤズドへ向かった。

僕たちは時間があったから良かったけど、スケジュールギリギリで動いている旅行者にとっては致命的なことになりかねない臨時休業。まったく中央アジアの大使館は何を考えているのかわかったもんじゃない…。

愚痴はそこそこに、到着したヤズド。
ヤズドはイスラム教というよりは、ゾロアスター教の聖地として有名な場所だ。
郊外には鳥葬のための施設などもまだ残っている。

そしてヤズドは何と言っても暑いことで有名。
僕たちも時間調整のために向かったはいいが、暑くて日中はほとんど外にでることができなかった。

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(ヤズドのイスラム建築。木彫のレリーフが美しかった。)
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(アルコールが飲めないイラン。そのためかノンアルコールドリンクが普及している。律儀な内容量表示320プラスマイナス5ml。実際は闇酒もあるし、アルメニアなどに旅行に行った際たらふくお酒を飲んでいるらしい。でも、さ、やっぱりお酒の本当の味を知らないのは人生の半分以上損していると思うなぁ。)

そして外出しても浴びせかけられる「チンチョンチャン」の大合唱。
「チンチョンチャン」は主に中国人を侮蔑する言葉なのだけど、東洋人であれば、誰かれ構わず浴びせかけられる。

イラン人は優秀、という話を今まで書いてきたけど、どの国にもいい人、そしてよくない人はいる。日本にだっている。民族を一括りにしてあまり先入観を持たないことが大事かなと思う。

ただ、ヤズドでは家族連れの男性から「チンチョンチャン」攻撃を受け、無視をしていると、再びわざわざ戻ってきて、もう一度「チンチョンチャン」と言われたこともあった。子供の眼前で、である。
これにはちょっと怒った。何がしたくて、侮蔑の言葉を浴びせるのだろうか?
優越感に浸りたいのだろうか?しかし、中国人にも君より立派な人はいくらでもいる。
身の程知らず、というか、井の中の蛙というか。
そういう憂さ晴らしをする彼らが、ちょっとかわいそうになってしまった。

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都合4泊して、ヤズドを発つ。
トルクメニスタンビザを受け取るために、テヘランへ戻った。


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泣き崩れるムスリム

やっとだよ。トルクメニスタンビザ受領(2014年7月13日)
待ちに待ったトルクメニスタンビザの受領。
朝イチで大使館に向かう。思ったほど人が並んでいなかった。
受付の窓が開いたところですかさず申請書を提出する。無事受け取ってもらえた。
「Wait」と言われたので、日陰で座って待つことに。前回の経験があるので、トルクメニスタンビザ受領には時間がかかると予想して、水と食料をたっぷり持ってきた。準備万端である。(ラマダンだけど)

しばらくして「ジャパニーズ」との声がする。窓口に行って、55ドルを支払う。
実のところ、この55ドルというのは1週間のエクスプレスサービス(そもそもそれがよくわからないが)の場合で、僕らの場合、すでに2週間以上待っているので、通常の30ドルでいいはずだけど、ここはおとなしく55ドルを払う。
そしてまた「Wait」
1時間ほど待ってようやくビザが発給された。苦節3週間。
初日は臨時休業で、2日目に申請できたものの、謎の1週間臨時休業があり、結局2週間以上、ほぼ3週間かかってしまった。
恐るべしトルクメニスタンビザ取得。
(ちなみにテヘランのトルクメニスタン大使館が閉まっている場合でも、マシュハドのトルクメニスタン領事館は開いていて、別の日本人サイクリストは申請&受領をマシュハドで行っていた。参考までに。)
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トルクメニスタンを取得したので、テヘランにはもう用はない。バスでささっとレズバンシャール(自転車をとめているおじさん家)に戻ろうと思ったのだけど、到着時間が微妙になってしまうので、一旦ホテルに戻ることに。
その後、自転車屋にも行ってみた。ただ、日没直前で時間がなく、お目当てのパーツは探し当てることができなかった。残念。

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ほぼ3週間ぶりにおじさんの家へ(2014年7月14日)
さて、6月末に泊めてもらったおじさんの家にようやく戻る。いやー無駄に長かったイラン。
ほぼトルクメニスタンビザ取得のせいなのだけど、とにかく時間を持て余した。おそらく人生で一番時間を持て余した日々だったのかも。

ながーくお世話になったテヘランのマシュハドホテルを昼前にあとにする。
都合2週間近く泊まってしまった。通称「増毛君」こと受付のおっちゃんともすっかり仲良くなってしまったのだけど、今日でお別れ。乗り慣れたテヘラン地下鉄を使って、バスターミナルへ向かう。そしてレズバンシャールへ。

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(増毛したり、目の下にあざを作って帰ってきたりと何かと話題だった彼)

バスは8時間ほどでレズバンシャールへ到着。
テヘランは灼熱だったのに、山を越えてカスピ海沿いの出たところからなんと雨。緑が生い茂り、田園風景が広がっている。
イランは灼熱の砂漠地帯、というイメージがあるかもしれないけど、カスピ海沿いは実は日本の風景とほとんど変わらない。
予めGPSでプロットしてあったおじさんの家までタクシーで向かう。そしてひさびさにおじさんと再会。

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(緑が多いカスピ海沿岸)

おじさんの抱擁は力が入りすぎていて、相変わらず痛い(笑)
「もう1週間ここに泊まっていけ!」と相変わらずイラン流の引き止め工作を受けるけど、「いや、ごめんビザが切れる」と、なんとか説得。翌日マシュハドに向かうことを伝える。
夜はひさびさのイラン家庭料理。たっぷり頂いて、テントで就寝。

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マシュハドへ向かう(2014年7月15日)
すっかりお世話になってしまったおじさんにお別れを告げ、カスピ海沿いの大都市ラシュトへ向かう。

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(お世話になりました。)

昨日バスで通った道なので、大部分のイメージは残っている。樹林帯、田園地帯を延々と走り、ラシュトへ到着。
ラシュトの町はかなり大きく、町を迂回する環状線も大混雑。すっかり時間がかかってバスターミナルへ到着。
ちょうどマシュハド行きのバスがでるところだったので、滑り込みセーフで乗せてもらった。

いつもながら自転車積み込み代で揉める。自転車代は全世界どこでも「会社によって料金が決まっている」ということはない。
どこでも運転手の裁量なので、聞く人によってころころ値段が変わる。大体、大人一人分が相場で、今回もそうしてもらった。
バスはボルボ製バス。冷房が強すぎてむしろ寒かった。若者の集団が乗っていて、僕らが日本人だとわかると例のごとく“とにかくかまって欲しい”アピールが始まり、うきゃうきゃ笑っている。

イラン人は確かに親切で勤勉。英語を勉強し、世界情勢も理解している。
ただ、一概に「親切」としてしまうのは間違っているような気がする。
結局出会ったほとんどのイラン人は「相手のことを慮る」ということができない。この“かまってちゃん”の若者も、親切なイラン人も、相手のことを慮らない。
相手がどんな気持ちになるかを考えれられない。「相手のことを考える。」という能力さえ身につければイラン人もワンランクアップできるのに…。

 

ネゴシエーション!ビザ延長(2014年7月16日)
朝9時頃、無事マシュハドに到着。トルクメニスタンを一緒に走ることにしていた日本人サイクリストの昼間さん、米山夫妻と宿で合流。
世間話もほどほどに、イランビザを延長するために警察に出向くことにする。

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(一緒にトルクメニスタンを走ることにした日本人サイクリスト)

イランビザの延長。旅人内でも時々話題にのぼるトピックで、特に自転車旅行者の場合、大抵1ヶ月では足りないため、延長することになる。
ここでちょっとした問題がある。実は、ビザの延長は「ビザが失効する日」にしか延長できないことが多いのだ。(例外もある)
僕たちは、18日にビザが切れるが18日は金曜日なのだ。(金曜はイスラムの休日)話によれば17日木曜日も休みらしい。19日の朝にはマシュハドを出発するため、なんとしてもこの日16日にビザの延長をしておかなければならない。
急ぎタクシーで警察署へ向かう。窓口で「ビザの延長をしにきた」と伝えると、2番目の窓口に行くようにとの指示。

緊張した面持ちで窓口に向かう。僕たちのイランのビザを見て、窓口の係官は、「サンデーにまた来い」と予想通りの対応。
ここで引き下がってしまうと19日朝出発の計画が水の泡になってしまうので、「バイシクルだから、日曜日にはこられないんだよマイフレンド」としつこく交渉。
すると、ついに向こうも折れてくれ、仕方ないから書類を持って事務所の中に入れ、とビザ延長を認めてくれた。中で英語を解する事務員に申込書をペルシャ語で記入してもらい、手数料300,000リアルを至近のメッリー銀行で払う。払込証明書を持って、事務所に戻ると即日でビザ延長の手続きをしてくれた。地球の歩き方には「マシュハドでのビザ延長はオススメできない」なんて書いてあるけど、全く問題なく延長することができた。

聖地マシュハド(2014年7月17日)
午前中、マシュハド中央郵便局に出向き、日本への荷物を送る。1kgほどで630,000リアル。安いのかわからないけど、多分安い。プラスチック製の丈夫なBOXも郵便局内で販売されていて、サイズも自由に選ぶことができた。
宿に戻って、荷物の整理をする。

夜に聖地と呼ばれるイマーム・レザーの廟に行ってみることにする。
彩は黒のチャドルをかぶり、顔以外真っ黒。男性陣も襟付きのシャツと長ズボンをはいて敬意を払う。
入り口で持ち物を預け、ボディチェックを受ける。(ボディチェックは結構しっかり確認される。カメラは持ち込めない。)
さて、イマーム・レザー廟。エスファハーンのエマーム広場やサマルカンドのレギスタン広場、あるいはイスタンブールのブルーモスク、アヤソフィア、いろんなイスラム建築を見てきたけど、正直、イマーム・レザー廟が一番エネルギーを感じた。

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実際に現在もシーア派ムスリムの聖地となっていて、この日も大袈裟ではなく5000~10000人以上の信徒が広大な広場で祈りを捧げていた。跪いて頭を垂れる。そんな動作を何千人もの人が同時に行う。コーランがスピーカーから流れる。
ちょっとその場を動けないような宗教的なエネルギーに圧倒されてしまった。
さらに驚いたのは、イマーム・レザーの棺が納められた建物。
クリスタルで覆われた天井や壁は眩いばかりに光煌き、眩しいほど。棺には老若男女、無数のムスリムが一目見ようと、四方から波のように押し寄せ、大混雑。泣きながら棺に触る人もいた。

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日本人チャリダー隊

日本人チャリダー隊(2014年7月19日)
朝7時、マシュハドを出発する。町を出るまでGPSを使っている僕が先頭でみんなを案内。
登りもなくスムーズに進んでいく。気温はそこまで暑くないが、風向きが向かい風なのでちょっとしんどかった。
彩は体調が思わしくないようで、ペースもいつもより遅めだ。

今回、トルクメニスタンへは、日本人5人とボスニア・ヘルツェゴビナ人のダッド6人で向かうことになった。

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午後2時、気温もあがり、疲れてきたので、みんなで道路下のトンネルで休憩することに。
レジャーシートを敷いて、たっぷり3時間も寝てしまった。
途中、イラン人のおじさんがみんなにジュースを振る舞ってくれた。イラン人は時々こういう親切をしてくれる。
上り坂が始まり、完全にバテバテの中、ようやく目的地の町に到着。商店で水を補給し、救急車の事務所(消防署のような)の庭のテントを張らせてもらうことにした。

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イラン最後の町、サラフス(2014年7月20日)
Mazdavandの町を出発、1050mの峠を越える。峠を越えて少し走ると、今までとは風景がかわり、一気に砂漠地帯が現れる。
向かい風の40℃を越える気温。トルクメニスタンで嫌というほど体験することになる熱風を初めて浴びる。

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(テントを張った救急隊の事務所)

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(峠のパノラマ風景、景色が変わった。)

とにかく向かい風で前に進まない。途中、日陰もない中、立ち木1本が作る極々僅かな日陰に身を寄せ体温を下げたりする。
工事中のおじさんにホースで全身に水をかけてもらい、びしょびしょになりながら、ようやくサラフスの町に到着。

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ホテルは5人部屋で一人10ドル。WIFIもあってなかなかいい場所だった。
明日に備えてスーパーで買い出し、夜はファストフードでハンバーガーを食べた。
イランはハンバーガーに始まり、ハンバーガーに終わった。

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(彩の顔ほどもある巨大なナスと5人部屋)

 

トゥー・ホット!(2014年7月21日)
朝、国境が8時に開くということで、7時半に待ち合わせる。
国境は町から近い。
待合所で待つも結局9時過ぎに開いた。
イラン側では、持ち物のチェック。全部の荷物をあけるように言われるが、あまりちゃんと見てない印象。

出国スタンプをもらって、橋を渡りトルクメニスタンへ。人種ががらっと変わって面白い。
イミグレーション。仕事が非効率、非能率的で、僕たちのパスポートを持ったまま、何度も事務室に入ったり出たりしている。
事務所内で1時間以上も待機。朝イチで入国したのに、あとから入ってきたトラックドライバーが先に通される。
トラックドライバーがひと通りいなくなってから、ようやく僕たちの荷物チェック。X線を通したあとに、荷物をすべて開けられる。(じゃぁ何のためにX線に通すのか!)
チェック自体はほどなくして終わり、ようやくトルクメニスタンに入国。
関税チェックもあまりちゃんとしていなくて、現金のみの記載だった。(デジタル機器は無記入のまま)

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(トルクメニスタン入国)

トルクメニスタン側サラフスの町に向かう途中で闇両替、1ドル28マナト。ジュースも買う。
サラフスの町から最短ルートで幹線道路に向かう。
道が悪く、なかなか距離が稼げない。風も強い。

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(トルクメニスタンでは日本の中古ママチャリが乗り回されていた。防犯登録も日本のまま)

 

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(とにかく暑い。わずかな日陰で休憩する。)

気温も45℃を越えた、18時頃、急に胸が締め付けられるような感覚になり、呼吸が苦しくてうずくまってしまった。
何度か立ち上がって走ろうとするも、すっかり熱くなってしまった体が一向に冷めず、ふらふら。
休んでも回復の兆しがないので、しかたなく幹線道路までヒッチハイクすることに。
トルクメニスタン初日で早くも熱中症にやられてしまった…。先が思いやられる。

ヒッチハイクしたトラックは2時間ほど悪路を走って幹線道路に合流。あたりはもう真っ暗。

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しかたなく幹線道路沿いのチャイハナにテントを張らせてもらう。
スーパーにビールが売っていた。一ヶ月ぶり。
中央アジアの料理、サモサも美味しかった。

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(野外の座敷?とでもいおうか。中央アジア名物のチャイハナ)


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