2013年12月28日 野菜市場
(下段右は青空美術館と呼ばれるあたり。有名な画家の作品だけれど、落書き風なウォールアートの方が味があって好きだったかな。)
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2013年12月28日 野菜市場
(下段右は青空美術館と呼ばれるあたり。有名な画家の作品だけれど、落書き風なウォールアートの方が味があって好きだったかな。)
2013年12月24日
場所: ビーニャ中心地から4kmくらい離れているところにある。
チリのテムコからアルゼンチンまでの道のり、1月3日~7日までの出来事です。
2014年1月3日 北海道みたい
僕たちは20泊もお世話になった汐見荘を後にして、700㎞南のテムコへバスで向かう。
テムコには朝7時頃到着。自転車を組み立て、スーパーで買い物をし、アルゼンチン国境を目指す。
アルゼンチンの最初の町フニン・デ・ロス・アンデスへは、まずチリ側のリゾート地ビジャリカ、そしてプコンを経由する必要がある。このチリ側のリゾート地は湖水地方と呼ばれるエリア。風光明媚な景色が続くことで有名だ。
まずビジャリカへ走りだす。辺りは日本の北海道を思わせるようなそんな風景が広がっている。牧草地が広がり、ポプラ並木が道沿いに立ち並び、遠くには綺麗な円錐形の火山がそびえる。
そんな道を進むこと50㎞、今日は野宿することにして、空き地が広そうな道路沿いの家にキャンプを頼み込んでみた。敷地内にテントは張らせてくれなかったけど、空き地を教えてくれ、水は自由に使っていいと言ってくれた。夕ご飯は日本から送ってもらったフリーズドライのカレー。やっぱり日本クオリティは素晴らしい。
2014年1月4日 素敵なヨットハーバー
野宿地を後にして、一路ビジャリカを目指す。ほどなくしてビジャリカに到着。湖畔沿いの観光地でにぎわいがあった。僕たちはそのまま湖畔沿いの道を通って、次の町プコンを目指す。テムコからビジャリカまでは路側帯がよく整備されていたのに、ビジャリカからプコンはほとんど路側帯がなくて苦労してしまった。30㎞ほど走ってプコンの町に到着。ビジャリカよりは小さいものの、こちらも一大観光地。メインストリートには海外ブランドのブティックが並んでいる。
特に湖畔のヨットハーバーの雰囲気が素敵で、二人でしばしのんびりしてしまった。
この日はホテルもあったけど、天気がよいので敢えてキャンプ。明日からの国境越えに備えスーパーで補給を済ます。
2014年1月5日 最高のキャンプ場
国境までは70㎞程度。でも途中には1200mの峠もある。上りもきついので、今日はその手前、できるところまで進んでキャンプをすることに。
スタートして数㎞。彩の後輪タイヤがまさかのパンク。今まで2000㎞近く一回もパンクをしなかったのに、ついにパンクしてしまった。タイヤを外して調べてみると、鋭いガラス片がタイヤを貫通してチューブを傷つけていた。教科書通りにゴムパッチで修理。再スタート。
30㎞ほど走るとチリ側の最後の町クラレウエにつく。この町で最後の補給を済ませて、国境へ再び走りだす。
17時、道沿いにキャンプ場の文字を見つけ、キャンプをすることに。このキャンプ場、道からはよく見えなかったのだけど、川沿いの素敵なキャンプ場だった。一番いいロケーションのキャンプサイトにテントを張って、就寝。
2014年1月6日 いよいよアルゼンチンへ
素敵なキャンプ場を後に国境へと向かう。少し走ると道は上り勾配に。途中から未舗装。未舗装になってから特に勾配がきつく、自転車を押し続けることになる。うーん、きつい。そんなときに限ってパタゴニア名物のアブが3~4匹も頭の周りをブーンと飛んでいる。追い払いながら、自転車を押して…。結構、大変だ。
チリの国境についたのは16時近く。何事も無く出国手続きを済ませ、アルゼンチンへ向かう。アルゼンチンの事務所も特に問題なし。あっさり4カ国目のアルゼンチンに入国した。
アルゼンチンに入ると道は下り坂。辺りの景色もいままでとはまるで違う。緑が少なくて、どこか寂しげな風景が広がっている。相変わらずの未舗装でスピードもでないのだけど、追い風が囃し立ててくる。
17時頃、ようやくアルゼンチン側の国立公園区域を抜け、道が舗装になった。と、そこからがすごい。追い風と下り坂の相乗効果。舗装路も綺麗に整備されているため、スピードがどんどん伸びていく。恐ろしや40㎞/h平均、時々50㎞以上のスピードで一気にアルゼンチンのパンパ(大平原)を駆け抜けていく。
最終的にアルゼンチン側の最初の町、フニンまではつかなかったものの、国境からなんと60㎞以上も走ってしまった。上り坂と未舗装路、下り坂と舗装を一日でたっぷり味わった一日になった。今日のキャンプも野宿。ちょうどいい川沿いのキャンプ地を見つけた。枯れ木がたくさん落ちていたので、焚き火をしてみる。長い一日だった。
2014年1月7日 ステーキ食べるぞ!
野宿地を後にして、一路フニンへ。距離は23㎞程度。余裕でペダルを漕いでいると、目の前にコオロギの大群がいるのを見つけた。
穀倉地帯なので仕方ないのだけど、道端を走るとバタバタとコオロギが飛び立つ。彼らがこちらを避けてくれればよいのだけど、飛び立ったくせに特に避ける気はないようで、そのままこちらに突っ込んでくる。バシバシとコオロギが全身にあたる。女の子なら卒倒してしまいそうな状況だ。道路には高速で走る車に当たって潰されたコオロギの死骸があちらこちらに見える。いやー、大変だった…。
そんなこんなでフニンに到着。小さい田舎町を想像していたら、いやはやどうして大きい町だ。軍隊の駐屯地もある。付近のトレッキングのベースにもなっているみたい。ツーリストインフォメーションで最安の宿を聞く。もちろん、アルゼンチン名物、パリージャ(ステーキ屋)も聞く。パリージャは、ツーリストインフォメーションの向かいにある店がベストのようだ。楽しみにして宿に投宿。そしていよいよステーキ屋に。
アルゼンチンは牛肉が特に安く、名物料理はズバリ「ステーキ」の国だ。日本ではステーキと聞くとちょっと高級なイメージだけど、(実際、スーパーでも1枚200gで1000円近くすることもある。)アルゼンチンではサーロインがスーパーで1kg830円。1kgで830円だ(!)。みな当たり前のようにごそっと牛肉を買っていく。
僕たちは、このステーキを楽しみに峠を越え、コオロギと闘いながら頑張ってきた。
さてステーキ屋。町一番おすすめの店の名に違わず、立派な内装をしている。ウェイター、ウェイトレスさんもビシッと制服を着込んで高級レストランの風格。「いやーこれは高いかも…。」と恐る恐るメニューを開くと、サーロインステーキ500gで1000円と値が書いてあった。とりあえず二人で1枚を食べてみようと注文する。
数分後出てきたステーキはちょっと驚くくらいの大きさ。とても一人では食べきれない大きさだ。焼き加減もちょうどよく、盛り付けも綺麗で、ホントに1000円?と疑ってしまうくらい。ワインも頼んで二人で1250円だった。うーん、アルゼンチン。。
※前回の日記、日付が新しい日記を先に公開してしまいました。失礼しました。この日記の次が前回投稿した日記です。
2014年1月16日 チリはプエルトモンを目指す
3日間滞在したバリローチェを後にして、再度チリを目指す。バリローチェからチリ側のプエルトモンへ抜ける一般的なルートは、先日通過したアンゴストゥーラ村を経由する道だ。
だけど僕たちは、すでに走ってきた道を100㎞も戻るほど勇気があるわけではないので、比較的日本人が利用しないニッチなルートを選ぶことにした。このバリローチェからプエルトモンまでを最短で抜ける道。途中3つの湖を船で渡りプエルトモンへ抜けるルートだ。
まずは1つ目の湖、船が出発する港ジャオジャオへ向かわなくてはならない。出港時刻は朝の8時。バリローチェからジャオジャオまでは26㎞程度あるため、余裕をみて朝5時にスタートしなくてはならない。今回の旅、始まって以来の早朝スタートだ。
早朝、まだ真っ暗なうちから準備をする。テールライトを準備して、久々に蛍光ベストを着用。いざ出発。
(バリローチェの町が朝焼けに浮かび、とっても幻想的だった。)
さて予定通り7時半頃、ジャオジャオ港に到着する。
チケットを見せると、「はい~OKOK」とあっさり。
いつも公共交通機関に自転車を載せるときは、「何が起こるかわからない」と、身構えハラハラドキドキしているので、拍子抜けしてしまった。
自転車を船の先頭にくくりつけ、船に乗り込む。観光船で、船長とよばれるおじさんが左右に見える滝や山の解説をしていた…。船の操舵には関係ないみたい。
船内から壮大な景色を眺め、ちょっとコーヒーなど飲んでみる。久々にのんびりした船旅…と思ったのも束の間。2時間ほどのクルーズで一つ目の湖は終わってしまった。自転車を下ろし、荷物はトラックに積んでもらって、次の港へは自走する。(他の観光客はバス)わずか2㎞ほどの道のりなので、すぐに到着して、また別の船に乗る。
(ジャオジャオに停泊中の渡し船。(これに乗ったわけではありません。)
二つ目の湖はすぐに終わり、2回目の自走だ。
この自走区間は、チリ・アルゼンチンの国境を跨ぎ、なんと27kmもある。次の港を船が出港するのは16時。5時間で未舗装の峠を含む27kmを走らなくてはならない。実際、距離は大したことがないのだけど、16時に絶対、港に着かなくてはならない、というプレッシャーがのしかかる。荷物はいつもどおりトラックで運んでもらい、貴重品と食料だけもって出発する。
パタゴニアの原生林の中、自転車は突き進む。3時間ほどかけて、無事、港に到着。ジュースを買って一休み。
16時出発のクルーズ船は、2時間ほどかけて湖を進む。バックパッカーたちが「チリ富士」と呼ぶオソルノ山が徐々に近づいてくる。早朝スタートで疲れ気味の彩はここで睡魔に勝てず爆睡。ほどなくしてチリ側の港ペトロウエに到着。ここからキャンプ地を探しながらサイクリングすること20㎞。エンセナーダという場所にキャンプ場があったので、キャンプをすることにした。
実はこのキャンプ場、イースター島で出会ったプロカメラマンさんがオススメのキャンプ地で、実際、オソルノ山と湖のロケーションが素晴らしかった。
スーパーに買い出しにいき、パスタにワインでチリ再入国を乾杯!
2014年1月17日 もう一泊しない?
すっかりこのロケーションが気に入ってしまった僕は、特に急ぐ理由もなかったので、もう一泊することを彩に提案してみる。
このキャンプ場、シャワーあり、WIFIあり、キャンプサイトには電源すらある。部屋とベッドがないことを除けば設備は完璧だ。逆にこのロケーションは部屋付きでは味わえない。早々にもう一泊することを決めて、一日のんびりすることに。
読書をしたり、昼寝をしたり。自転車旅行ってこうあるべきだよなぁ。なんて悠長なことを言って、いちにち好きなことをさせてもらった。
夜はカレーを作ることに。日本から送ってもらったカレールーを使ってスープカレーをつくる。
(キャンプ場内にさまざまなアトラクションがあっておもしろかった。)
2014年1月18日 重い腰を上げて・・・
重い腰をあげて、プエルトモンを目指す。プエルトモンまでは70km程度あるのだけど、久しぶりに一気に駆け抜けてしまうことにする。
湖畔沿いの気持ち良い道を走っていく。でもやっぱり湖畔沿い。細かいアップダウンは相変わらず。幸いなことに途中から自転車道が整備されていた。
(左:湖で洗礼式をやっていた。右:自転車のみと書いてある看板)
話はそれるけど、今までいろんな道を走ってきて、道のランク付けが自分の中でずいぶんハッキリしてきた。
一番良いのが、舗装済みの自転車道。アスファルトも綺麗で凹凸がなければ、路面状況を気にしなくていいので、風景をじっくり楽しめる。
次に嬉しいのが、路肩付き舗装路。実質、自転車道付きと変わらないくらい快適。
路肩なしの舗装路よりも少し良いのが、砂利が無く、地面が固く締まっている綺麗な未舗装路。交通量も少ないことが多くて、舗装路よりも快適だったりすることもある。
そして、路肩なしの舗装路。路肩なしになると、走ることに集中しなくてはならない。転んでしまっては大変。車にももちろん気を取られる。だから結構気疲れする。
さて、そんな自転車道付きの舗装路を走ること5時間。ようやくプエルトモンの町が見えてきた。
僕たちにとってプエルトモンの町は、ひとつの区切りの町。特に強く意識してきたわけではないけど、アウストラル街道始まりの町、そしてペルー、ボリビア、チリ本土とは違う世界がスタートする町として、意識の中でこの町を境に南北でわけて考えていた。
宿さがしは難航。少なくとも2泊はするので、なるべく安いところに泊まりたいのだけど、例のごとく例のごとし。チリの宿は値段が高い。ほとんど2000円近い値段がする宿もある。ヨーロッパと同じじゃないか・・・と思って不貞腐れながら、今日は10000ペソ(1900円)の宿に泊まることに決めた。
今日の走行距離は久々に70km超え。(最近は一日50kmを越えることが少なかった)ベッドにもぐるとすぐに眠ってしまった。
2014年1月18日 海鮮の街
プエルトモン2日目。今日は彩が好きな海鮮料理を市場に食べに行くことにした。プエルトモンの名物は「クラント」と呼ばれる海鮮のごった煮。貝、魚、牛、鳥やじゃがいもなどがそのまま入っている。海鮮好きの彩がガイドブックをみて「これ食べたい」とリストアップしていた。
自転車で魚市場までいくと、日曜日ということもあって観光客で賑わっていた。大きなタラバガニなども売っていて、意外と活気があった。
早速、2階の食堂街に行って、クラントを注文してみる。食堂はとても狭くて、奥のお客さんが出て行く時は、こちらも席を一度立たなければならないほど。
しばらく待つとクラントが出てきた。なるほどたしかにごった煮。皿一杯に食材が転がっている。
彩いわく味は「ふつう」とのこと・・・。
僕は、焼き鮭を頼んだ。日本で焼き鮭というと、小さい一切れの切り身が出てくるのをイメージするけど、こちらでは、ドカンとサーモンの4分の1ほどの大きな切身が出てくる。
サーモンは外れが少なく、今回もとても美味しかった。
さて、食堂街を後にして、アウストラル街道の始点チャイテンまでのフェリーのチケットを取りに行く。元々火曜日発だと聞いていたフェリーだけど、スケジュールが変更されていて、月曜(つまり明日)出発のようだ。
プエルトモン滞在が短くなってしまうけど、一応チケットを入手。
一度宿に戻って準備をしようとすると、なぜか宿が閉まっている。玄関に張り紙があって、「20時までは戻りません。あしからず。」みたいなことが書いてある。
前代未聞、貴重品も置いてある宿に締め出しを食らってしまった。。。
「信じられない」と彩がぶつくさ言っている。
二階の窓が開いていたので、泥棒みたく這い上がろうかと試みかけたけど、危ないのでやめて、仕方なく近くのデパートを見物することに。
(夜まで締め出しを食らってしまった。宿代払っているのに・・・)
デパートでは、チャイテン以降必要になるであろう食材などを買い込んだ。
ビーニャほどではないけども、ひと通り家電製品、アウトドア用品などは揃いそう。
海岸沿いのデパート地下1階に一件、僕からみても「おお~」思ってしまうほどのアウトドアショップがあった。パタゴニアでアウトドアを楽しみたい人はここを利用するとよいかも。
(海沿いのデパート、地下通路に店舗があります。オルトリーブの自転車用バッグもあり)
2014年1月19日 いよいよアウストラル街道へ
チャイテンにフェリーで向かう日。
フェリーは夜22時出発のため、日中は時間がある。
朝急いで洗濯屋に洗濯を出し、郵便局へいって、日本宛ての小包を送る。
郵便局で係のおばちゃんにとても良くしてもらった。
(プエルトモンの郵便局。前回のアルゼンチン郵便局での一件があったので、覚悟を決めて向かったのだけど、あっさり日本に荷物を送ることができました。まったく、アルゼンチンはひどい!)
あとは昨日締め出しを食らった腹いせに宿に居座り、ずっとインターネットで今後の情報収集やら、ブログの更新やら、作業をさせてもらった。
いいよね?昨日5時間締め出されたし。。
夜21時頃、宿を出発し、フェリー乗り場にいく。
フェリー乗り場では、ビーニャ以来、冬樹さん、香織さんに再会。冬樹さんとは、もう5回目くらいの再会だ。フェリーから見たプエルトモンの夜景がとても綺麗だった。
いよいよ憧れのアウストラル街道。
チャイテンからラフンタまでの日記です!
2014年1月21日 ずーっと雨!
プエルトモンを出発し、チャイテンの港についたのは朝7時。
窓から外を見ると、灰色の雲が低く垂れ込め、強い雨が降っている。
アウストラル街道初日は雨のスタートになった。
宿を探すも、まだ朝早いのか、ツーリストインフォメーションが開いていない。
しかたなく雨の中あちこち走り回って宿を探すも、値段が高かったり、空いていなかったりで、なかなか良い宿がない。んー、困った。
仕方なく雨宿り。仕切りなおして9時頃ようやく町外れの民宿に泊まることを決めた。
ガレージに自転車をとめて、薪の暖炉で暖まる。こういう寒い日は、薪の暖炉がいい。
特に雨で、気分も暗くなりがちな時、薪の炎はこころも暖めてくれる。
メールをチェックすると、ちょうど一緒にチャイテンへきた友人が近くの温泉に行くという。アウストラル街道をゆっくり楽しもう!という気概で来た僕たちなので、雨をおして参加することに。
雨の中ワゴンで走ること30分、Thermas de Amarilloという露天温泉プールについた。温度は少し低いのだけど、十分に浸かれるプールで1時間のんびり。顔と頭は雨に濡れ、体は温かいという変なプールだった。
夜は宿のキッチンを借りてしっかりご飯。
(チャイテンの町の名物おじさんニコラス。この町の観光案内所にいます。ついつい熱中して周りが見えなくなるおじさんです(笑)
2014年1月22日 Youtubeで音楽談義。からの~
朝から雨。すぐに連泊決定。ドイツ人とフランス人のサイクリストも同じ宿、チャリダーばかり5人で晴れ待ち宿泊をする。一日ブログを更新したり、サイクリスト談義に花を咲かせたり。そんな感じで過ぎてしまった。
雨が降っていて特にすることがないので、みんなでそれぞれオススメの音楽をyoutube動画を見せ合うことになった。
それぞれ趣向を凝らした動画をみんなに見せる。
「次は君の番だよ」と言われて、見せたのがJudy and Maryの曲。
特になにも考えてなくて、旅行中ときどき聞いてた曲だったから、つい再生してしまった。
すると、やはり日本人の奇抜なファッションが気になったドイツ人の教師トーマスは、「日本の女子高生はみんなあんな格好をしているのか?教師はどうしているのか?」とひとこと。
「いやいや、違うよー。そんな格好はしてないよ。でも、やっぱり高校によってそういう格好をしたがる子もいれば、真面目な格好をする子もいるし、教師たちも荒れている学校ほど強く抑圧する傾向にあるんじゃないかな。」と答えておく。いやー英語で答えるのに四苦八苦。難しいですなぁ・・・。
福島の現状についても質問を受けて、立ち入り禁止区域が設定されていること、や、現在は火力発電で不足分の電力をまかなっていることなどを説明。
2014年1月23日 灰に埋もれた町
この日は朝から綺麗な青空が広がっていた。だけど、僕たちはもう少しやりたいことがあったので、もう一泊だけすることに。ドイツ人&フランス人3人組は出発。
このチャイテンの町、実は数年前の火山爆発で人口4000人の町が、たった400人になってしまったことで有名だ。チリ政府は町ごと移転させようとしていたみたいだけど、結局その話はなくなり、徐々に住民が戻ってきているみたい。川沿いには土石流で埋まってしまった家が並んでいた。
2014年1月24日 身近な氷河?
いよいよチャイテンから出発する。お世話になったオーナーに挨拶をして、スーパーで買い出しを済ませ、いざ出発。オーナーは彩のほほに顔を近づけて、「ちゅっ」と音をたてる。南米流のあいさつだ。
僕のほうをみて「いやー南米の挨拶の方法だから、ごめんね。」と一言。
「いやーいいよ~気にしないで~」と応じて別れの握手。
アウストラル街道。憧れていた道を走り始めた。この日は晴れ。興奮気味の僕はいたるところで「おー」とか「すげー」を繰り返してシャッターを切っている。久しぶりにGoproも動かして、カメラに向かってひとりごとを言ったり…。
アウストラル街道の第一印象は、とにかく緑が深い、ということ。一年の半分以上雨が降り続くこの地では、植物が豊かすぎるほど育っている。目を開けると視界の70%の色が緑だ。もう緑。全部、緑。そんな道をひたすら走る。
未舗装路に変わりしばらく漕いでいると、道端にキャンプ場を発見。今日はここに泊まることにしてテントを張っていると、なんでも歩いて1時間のところに氷河があるらしい。なんの変哲もないキャンプ場なのに、ちょっと歩くと氷河がある。そんなこと一つにしても僕たちにとってはいちいち驚きだ。早速氷河を見に行くことにした。
氷河までのハイキングコースは、パタゴニア原生林の中をうねうねと縫うように切り開いてある。苔やシダ、木々は瑞々しく育ち、不純物がまるで存在しないかのように空気が透き通っている。
そして目の前に現れた氷河。テレビでしか見たことがない氷河をこんなにあっさりと見れてしまう。そしてその迫力。アウストラル街道初日にして、もうすでにその魅力にやられはじめてしまった。
2014年1月25日 チャリダーの聖地
氷河が見られるキャンプ場を後にして、一路ラフンタの町を目指す。この日は峠がひとつある。未舗装の上、河原の砂利を敷き詰めたかのような道は走りにくいことこの上ない。そんな峠で、僕の自転車のチェーンがギアを巻き込み、あろうことか変速機のアームをねじ曲げてしまった。応急処置をしたものの、変速がスムーズにできない。この先コジャイケの町で修理することにし、ひとまず先に進む。3時間をかけて峠を越え、ようやくチャイテンの次の町、サンタルシア村へ。
スーパーで買物をしていると、アメリカ人とイギリス人のサイクリストが通りかかった。本当にサイクリストが多い、このアウストラル街道。ちょっとしたあいさつをして前に進む。
4人で前に進むと今度は前から別のサイクリストが走ってくる。道端でこの先の路面状況について「あーだ、こーだ」と話し込む。
この日はなるべくラフンタの町に近づきたかったので、ぎりぎり20時ころまで走って、廃屋の脇にテントを張らせてもらった。
2014年1月26日 今日は走る日!
ラフンタの町まではあと50㎞。未舗装だと大体一日の走行距離が50㎞なので、今日も1日走り続けることになりそう。
この日は朝から天気が悪い。曇り空が広がり、あたりの景色もどんより灰色。峠はないのだけど、こまかなアップダウンが続き、砂利道で走りにくい。今日はとにかく走行日、ということに決めてひたすらペダルを漕ぐ。20時頃ようやくラフンタの町に到着。自炊する気力もなく、町のレストランにはいる。も、頼んだポジョ・アサード(焼き鳥)は、半生で、再度焼きなおしてもらうことに。
うーん、ちょっと残念な一日だった。
(ラフンタまでの道のりは舗装工事の真っ最中。崖を切り崩して、道路に砂利が敷き詰めてあるので走りにくい。)