冒険に興味をもったキッカケ。
ちょっと話は変わり、「冒険」というものにどこで興味をもったのか、という話を先にします。
うちの実家では、毎週土曜夜は「世界ふしぎ発見!」を家族で見る、という不思議なルールがありました。海外旅行にしょっちゅう行けるような家庭とはお世辞にもいえない家だったので、こういう番組をみて、「あー海外ってこんなとこなんだ」と、思いを持った記憶があります。
「世界まる見えテレビ特捜部」なんて番組も、ほぼ欠かさず見ていました。
海外のドキュメンタリーを紹介する番組ですが、中には、ナショナルジオグラフィックやアニマルプラネットなど、海外の自然を紹介するような番組も含まれています。小学生の頃、わくわくして毎週テレビの前に座っていた記憶があります。
それと、関野吉晴さん。ご存知、グレートジャーニーとして、南米からアフリカまで人力で移動した関野さんのドキュメンタリーです。母親が好きで、録画までして欠かさず見ていたため、当時まで小学生高学年だったかと思いますが、子供心に、「そんな人がいるんだ」というような無意識の刷り込みがあったのだと思います。そういう意味では、自転車旅行との出会いは、関野吉晴さんだったのかもしれません。
また大学生になって、「水曜どうでしょう」という番組にも出会いました。
ご存知(笑、この言い方もどうでしょう的ですが)、北海道のローカルタレントが愚痴を言い合いながら世界を旅する番組です。
こういった番組、今考えて見れば、主にテレビから冒険旅行のエッセンスを得ていたことに驚きます。
休学、そしてシルクロード横断へ
北海道自転車旅行から戻った僕は、そのまま就職活動に入ります。3年生の10月。否応なしに自分の将来について考えるわけです。「一流企業に入って金持ちになる。」、あるいは「いやライフワークバランスを重視する会社に入りたい。」いろいろと考えるのもこの頃ですね。
就職活動をする中、まだまだ視野が狭い大学生だった自分には、「会社に入れば、一生冒険はできなくなってしまうのでは。」という疑念が浮かんできました。
この2006年後半、9月に北海道自転車旅行を終え、そして就職活動に入るこの時期は、とても多くのことに思いを巡らせました。
気持ちのどこかでは、「自転車旅行をしてみたい」と思っている自分がいて、一方では、「ちゃんと社会にでなくては」と思う自分もいるわけです。
当時、(これは本当に偶然としか言いようがないですが)従兄弟がたまたまユーラシア大陸をバックパッカーとして横断していました。そして本屋でたまたま立ち読みした雑誌「自転車人」の特集がなんと「自転車ツーリング」だったんです。
家に帰る電車の中でじっくり読みました。様々な疑問がちょっとづつ解消されていきます。
中には、女性が一人でアフリカを縦断した話も載っていました。(山崎美緒さんのことです。)
家につく頃には、ほぼ確信に変わっていました。
「シルクロード横断自転車旅行はできる。」と。
12月ごろに決心をし、就職活動を中止して、アルバイトの時間数を増やし、金策に走りだします。同時に自転車を最小限のお金で改造したり、休学などの手続きについて調べたり。とにかく自転車旅行をするという前提で日々がまわりはじめました。
ユーラシア大陸横断自転車旅行
5月4日、大阪国際フェリーターミナルから出た蘇州号はゆっくり上海に向け舵を切ります。
一番安い2等船室のカーペットには、真新しいヘルメットをザックに付けた自分がいました。
大学時代のユーラシア大陸横断は、約5ヶ月。上海を5月に出発し、9月半ばにはローマに到着、パリから飛行機で日本に帰ってきました。自走距離は約5000km。
最初こそ異文化に触れる旅は新鮮でしたが、孤独が続き、ひとり砂漠の中を走り続ける体験はなかなか精神的にきついものでした。
それに当時は、「ユーラシア大陸を横断する」ことにのみ価値を見出していたようなところがあり、道中の景色や食事などにはあまり関心を払ってなかったように思います。
その結果、孤独への辛さから、ヨーロッパに着くまでにいくども輪行をし、旅を大幅にショートカットしてしまいました。
もちろんこの旅で得たことは図り知れないのですが、もっとも強烈に印象に残ったことは、「自分の弱さ」でした。一種の挫折体験ですね。でも今思えば、この自分を知ることができた挫折体験は、何事もオブラートに包み込むことのできる日本では得られないダイレクトなもので、大切だったように思います。
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