月別アーカイブ: 2014年11月
【Movie】レー・マナリ・ロード2
【Movie】レー・マナリ・ロード1
レー・マナリ・ロードの動画(その1)です。
レーから出発し、ラダック人の家に泊めてもらう日、峠で一泊する日、そして峠越えまでをまとめています。
レー・マナリ・ロード5 そしてマナリへ
朝起きると昨晩降った雪が山々にかかって、ヨーロッパ・アルプスと見間違えるような美しい風景が広がっていた。
朝ごはんもしっかり食堂で食べ、ゆっくりペダルを漕いでいく。
いつもテントの中で質素なごはんばかり食べていたから、久々の暖かい食堂で食べる食事はとても嬉しかった。
とにかく道中がきれいで、何度も何度も写真を撮ったり、映像を撮ったり。
うっすら雪がかかる山々、とても繊細で神秘的で、神々しさすら感じる風景
この日はこの地方の中心地ケーロン(Keylong)で早めに泊まろうと思っていたので、自転車で漕ぐのはわずか30kmほどだ。
しばらく走っているとみるみる雲が広がりはじめ、雨も降りだした。
予想外の雨で景色が見えそうもない展開に、ちょっとテンションダウン。
いろいろ悩んだのだけど、昨日の宿ですっかり落ち着いてしまった気持ちを再び盛り上げることができず。
ケーロンからは車でマナリへ向かうことにした。
ケーロンでタクシーと交渉すると、自転車代は無しの400ルピーでマナリへ向かってくれるようだ。
車は最後の峠を越えてマナリへ向かう。
峠の上は予想通り雲の中。
なぜか一大観光地になっていて、露店がたくさん。
下りは大渋滞で、結局マナリについたのは、日が落ちた夜8時だった。
客引きについていきホテルにチェックイン。
マナリの町は思っていたより賑やかな町。
デリーへ戻るバスまでの間、しばらく滞在することにした。
レー・マナリ・ロード4 Please Smile!
レーマナリロード5日目
起きてテントの外を見ると、素晴らしい景色が広がっていた。
テントをたたんで自転車の準備。今日もいざ出発。
長い九十九折を降りきって、久しぶりの平坦路を南へ進む。
平坦路で舗装されている道は走りやすいのだけど、この日から風が強くなり、向かい風に悩まされる。
風が強いのでどうしても距離が伸びない。
途中のマイルストーンに書かれた標語が、密かな楽しみ。
Virgin nature of Ladakh is the art of God.
We cut the mountains but connects hearts.
途中、サルチュの村でようやく、少し遅いお昼ご飯。疲れた~。
毎度おなじみのダルカレーとチャパティを食べる。
このお店、看板にNepaliの文字。
この日は黙々と走り続けた。
彩がかなり疲れてきてしまったので、
今日はひたすら走り続けた一日だった。
レーマナリロード6日目
翌朝
チャパティを温め、スクランブルエッグを挟んで食べる。
この日も絶景地にキャンプをした。朝起きてパチパチ撮影をしてみる。
次に越えるバララチャ峠は4900m。でも、これを越えれば一気に2000m台へ標高が下がる。
長い長い上り坂を
バララチャ峠の少し前にトラックが谷底へ落ちた跡があった。。
お昼前、ようやくバララチャ峠へ到着。
タルチョがはためく素敵な峠。奥に雪山がそびえていた。
ここから道は一気に下り坂になっていく。
ジンジン・バーという場所(変な名前の場所だ)
冷えた体には、暖かく甘いチャイは最高の飲み物だ。
そのまま一気に谷をくだって、ジスパの町へ向かう。
ジスパの町の少し手前、川にかかる橋のたもとにあるチャイ屋で少し休憩した。
ラダック人の親子が経営しているチャイ屋で、女の子は英語が上手。
なんでも、お父さんは、元僧侶だったらしく近くのゴンパで出家していたそうだ。
そんな話をしていると、急に「出家僧なのになんで子供がいるのか?って聞きたいんでしょ?」なんて向こうから話しかけてきたので、「うん、そうそう笑」と話を続ける。
どうやら、ラダックの僧侶は還俗(げんぞく)することが多いらしい。
元僧侶だけど、妻帯して子供がいるというのは珍しいことではないそうだ。
とても良い親子で、ここに泊まってもいいかな?とも思ったのだけど、久々にホットシャワーが浴びたかった僕たちは、頑張って少し先にあるジスパの町を目指す。
無事、町に到着して少し高いホテルに泊まり、思う存分7日ぶりのホットシャワー浴びた。
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レー・マナリ・ロード3 絶景の中を走る。
レーマナリロード3日目
朝起きると頭痛がほんとに酷い。
高山病対策の薬・ダイアモックスを飲んだら、副作用で手足、喉のまわりが痺れて痛い。
高山病で苦しいのか、はたまたダイアモックスで苦しいのか、うーん、どっちにしても厳しいなぁ。
これ以上高度を上げるとホント症状が悪化しそうだったので迷ったのだけど、峠を越えれば4200mまで下るので先に進んで標高を下げることにした。
相変わらずの舗装路が続く、センターラインまで丁寧に入っているアスファルト。
レーマナリロードは、重要な軍用道路でもあるので、インド政府もかなりお金をかけているようだ。
(レーで出会ったカナダ人サイクリスト。車で追い越す時にわざわざ止まってくれた!「すごい」や「素晴らしい」をあらわすときに「Brilliant!」っといつも言っていて、カッコイイので僕も真似しようかと。英語の表現もいいよね!)
さて半日かけてようやく頂上へ辿り着く。
タルチョがはためく峠。
チベット圏の峠には必ずタルチョがはためいている。
峠の標高は、GPSでは5354m。インドの峠の標高は、ほとんどの場所であてにならない“自称”の数値なので、本当は何mなのかわからない。インドらしい適当さ。
一気に峠を下る。下り坂は途中から未舗装に変わって走りにくくなるけど、もう頭痛がヒドイので、一気に駆け下りる。途中、インド人の自転車ツアーと遭遇した。マナリからレーまで伴走自動車付きでツアー旅行をしているそうだ。
3時頃、ようやくデブリンでの集落に到着。
レーマナリによく見られる特殊な集落で、ただドライバーとバス乗客のためだけの集落だ。
何件かのレストランと簡易宿泊テントが殺風景に並んでいる。
次の少し大きなパン(Pang)の集落で今晩は泊まろうと思っていたので、休憩もそこそこに走りだす。
宝石の道、あるいはパミールハイウェイのような風景が延々と広がる。
細かなアップダウンや弱い向かい風もあって、あまり距離は伸びず、結局日没とともにキャンプ。
今回の旅で初めて、道路の真下、橋の下のキャンプをした。
意外と静かで清潔で、快適なキャンプ地でした。
レーマナリロード4日目
トンネル(橋?)の中から這い出して、パンの集落を目指す。
朝ごはんは、昨日のデブリンで食べたカレーについていたチャパティ。
多めにもらっておいて、朝フライパンで温めて食べた。これが意外と美味しい!
ご飯は圧力鍋が無いと芯が残るし、パスタもダメ。インスタントラーメンばかりじゃ飽きる。
チャパティは、中に色々挟んで味にバリエーションを持たせることもできるし、いいかも。
途中、川が大地を削りとった美しい渓谷を横目に見ながら走り、お昼前にはパンの集落に到着した。
彩の体調がすぐれないので、この日はパンの集落に泊まることに。
かなり汚いけれど、まぁ我慢すれば泊まれる一室を借りる。
洗濯や壊れた自転車の修理などをして一日を過ごした。
レーマナリロード5日目
パンの集落で一日のんびりさせてもらった昨日。
元気を取り戻してマナリへの道を進む。
この日は今まで見たこともないような急峻な渓谷の中を進むことになった。
断崖絶壁をコの字に繰り抜いて道を通したり、トリッキーな道。
舗装も酷い有様。一応大昔に舗装された形跡がある(アスファルトが砕けて転がっている)のだけど、今は見る影もなし。
ゴツゴツした岩が転がって走りにくい。渡渉も所々にあったり。
半日かけて次の峠 ラチュン・ラ(約4950m)に到着。
一気に下って、テントレストランでお昼ごはん。
ここのラダッキのおばちゃんが、僕たちの自転車についてチベットの旗を見て「おお、すばらしい~」なんて言ってくれた。
いつもどおりダルカレーとライス、チャパティ、チャイを注文する。チャパティは多めにもらって明日の朝食にすることにした。
今日はもう一本峠を越えて、先に進む。
その峠の先の風景がまた素晴らしかった。
6000mはあろうかという山々と険しい渓谷。
差す光の帯びが神秘的でついつい写真を撮ってしまう。
峠を降りきる少し手前でキャンプ。
22回の折り返しがある、とんでもないつづら折りの坂道の途中の空き地にキャンプをした。
見晴らしは良かったのだけど、風のとおり道になっていてちょっと失敗だったかな・・・。
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レー・マナリ・ロード2 5300mの峠を越える。
レーマナリロード2日目(2014年10月2日)
優しいお母さんと娘さんの家に泊めてもらった昨晩。
朝ごはんに、チャイとチャパティ、スープに自家製ヨーグルトまでたっぷり出してくれた。
いやーほんとお世話になっちゃいました 😥
出発直前、娘さんにお礼を少しだけ渡そうとすると、「もらえない」と言って断られてしまった。
でも、一室貸してもらってしまったし、夜ご飯も、朝ごはんも頂いてしまったので、これはやっぱりお礼をしないと、と、何とかお母さんを捕まえて、500ルピー(約850円)を渡す。
すると、驚いた風にお金を受け取って、しきりに「ありがとう」とこっちがお礼を言われてしまった。
どうも、完全な好意で泊めてくれたらしく、お金をもらえるとは思ってなかったみたい。
その後も、「これを持って行きなさい!」なんてヨーグルトを瓶につめていっぱいくれたり、「チャパティを昼に食べなさい」なんて、何枚も焼いてくれたりした。
「写真とってもいいですか?」と聞くと、「ちょっと待ってね」と奥で綺麗な服に着替えて出てきてくれたお母さん。いや~なんかこっちまでほっこりしてしまう。
最後に「また来年もいらっしゃい」なんて一言。
ラダック人の優しさは、素朴で飾らない優しさだな~。良い経験になりました。
(野菜はだいたいが自家栽培。中央アジアと違って、ラダックは野菜の種類も豊富)
さて、ラダッキ家族の家を後にして、僕たちはレー・マナリ・ロードで最大の峠、タンラン・ラ(峠)を目指す。
途中、ルムツェの村までは所々に商店があって補給できるのだけど、その先は峠の先、デブリンの集落まで補給ができない。水や食料を多めに買って峠に向かって走る。
(右:馬がなぜか三頭、きれいに並んでいた。ので思わず撮ってしまった。)
(軍用トラックの車列。一日に一回30~40台がコンボイとなって道路を通過する。)
峠は途中から九十九折の道に変わる。断崖絶壁でガードレールが無いのはいつものこと。
それでもこの峠は、予想外に舗装が進んでいた。
それにインドの道は斜度が比較的緩い。
舗装されていて斜度が緩いので、登ること自体はそれほど辛くなかったかな。
それでも、レーから走り始めて最も標高が低い3300m地点から登り始めて5300mまでの約2000mの登りは、一日だとちょっと走り切ることができない。
この日は結局標高4800m付近で日没。断崖絶壁の峠でキャンプをする平地なんて無い。仕方なく道路すぐ脇に見つけた狭い空き地にキャンプすることにした。
すぐ脇を車が通るのでちょっと恐かったのだけど、気温も低くなっているし、高山病で頭が痛い。
夜ご飯は、デリーで買って残しておいた韓国製の辛ラーメン。
辛ラーメンは、しょぼしょぼの麺が当たり前の外国製ラーメンの中においては、群の抜いて麺がしっかりしている。ちょっとしたご褒美として残しておいた。辛いけど気温が低い高地では、体が温まってとても美味しかった。
星空の撮影を何枚かして、就寝。
月が明るくて星がハッキリ写らなかった・・・。
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レー・マナリ・ロード1 ~ラダッキの優しさに触れて~
レーからマナリへ至る道、レー・マナリ・ロード(ハイウェイということも)は、全長約470kmの道のりだ。
途中の最も高い峠は、タンラン・ラ(峠)。標高は5350mもある。
今まで5000mを越える峠に自転車で登ったことはなかったから、このレー・マナリ・ロードは、自分の中ではやっぱりチャレンジになる道だった。
出発前はやっぱりちょっと恐かった。どうしても、高山病だとか、いろいろなことを心配してしまうもの。
カシミール地方とインド本土を繋ぐ重要な軍用道路だけあって、かなり舗装が進んでいる。とは言っても、全体の5割前後はまだ未舗装だ。
レーを出発する
朝ごはんを、いつものラマユル・レストランで食べる。
「しばらくちゃんとした朝食も食べられないよなぁ~」なんて思いながら、おいしい朝食を完食。
一緒に食事をした日本人みんなに見送ってもらい、レーを出発。
結局レーで会った日本人は20人近くになった。みんなありがとう!
いつも食べていたラマユルレストランの朝ごはん。レーのごはんについては、また後日まとめます。
今まで、ゴンパ巡りやパンゴンツォツアーなどで通ってきた道を今度は自転車で走っていく。
今までにも見たことがある風景だけど、ゆっくり進む自転車から見ると、見え方も違う。
風景を見て、考えて、味わっても、まだ目の前に同じ風景がある。
戻るのも自由。それが自転車旅行の魅力かな。
お昼を済ませると、さっそく峠への上り坂が始まる。
まだそれでも斜度はかなり緩いし、風景を楽しむ余裕もある。
峠への距離は約40km。峠の手前、一番標高の低い場所は3300m。5300mの峠まで約2000mの標高を登っていく。
ちょうど1年前、ペルーのナスカ~クスコ間で走った標高差3600mの峠超えの経験があるので、標高差にそこまで恐怖は感じないけど、未知の標高に体がどう反応するかがわからず怖い。
(右:ラダッキの子供。初対面でギブミー・チョコレートと言われてしまったのには面食らった・・・。)
初日は約1ヶ月ぶりの走行ということもあり、脚にも疲労がたまっていたので、早めに休むことに。
ミオという集落でキャンプ地を探す。
人目についたり、ぬかるんで汚かったり、予想外になかなかいい場所が見つからなかった。
仕方なく、人家の敷地にキャンプをする作戦に変更!
それでも、なかなか村人がいない。みんな留守。
困っていたのだけど、最後に声をかけた村の人が自宅に泊めてくれるというので、お言葉に甘えさせてもらった。
この家のお父さんは、レーで議員をしていて、どうやら偉い方らしい。
家も随分大きいし、子供たちの何人かはデリーの大学や専門学校に通っているそうだ。
お母さんはラダック語しか解さないのだけど、とても明るく愉快。
着いた時、お母さんが僕たちに「パニ?パニ?」と話しかけてくれたのだけど、僕たちには何のことかさっぱりわからない。
なかなか言葉が通じない光景が面白かったのか、お母さんは大笑い。
僕たちも大笑い。
(ちなみにパニとは、水のこと。「水はいるか?」と聞いてくれているのでした。)
たまたま帰省していた中学生の娘さんが英語を話せるので、何とか会話することができた。
この子は、ラダック語、ヒンドゥー語、そして英語を解するそうだ。すごい。
発展途上国のタジク人やウズベク人も、母国語の他にロシア語を解するバイリンガル。
ラダックの女の子はトリリンガル。勉強熱心な日本人が、ひとつの言語「日本語」しか話せないというのは、世界的にもちょっと不思議なことなのかも。旅を続けているとそう思えてくる。
暖房兼コンロの燃料は、牛の糞。
そして・・・
牛の糞を掴んだ手でそのままバターをチャイに流し込む。
ええ、飲みましたよ。牛の糞入りバターチャイ。
ちょっと飲むかどうか考えてちゃったけど、「もうどうにもなれ!」と。
バターチャイ自体は、濃厚で美味しかったです・・・。
本によれば、ラダッキの人々は、高地の乾燥した空気から体を乾燥させないように、ひっきりなしにバターチャイを飲むらしいですね。
夜ご飯はダル(豆)スープと野菜いため、ご飯。ダルと野菜いためはカレー風味のインディアン・ディナー。
標高が3700mにあるこの村。ご飯を普通に炊いても、沸騰温度が低いためうまく炊けない。
そのためこの地方では日常的に圧力鍋を使っているらしい。
牛の糞を燃料にして料理をしているのに、かたや圧力鍋を使って炊飯する光景。
新しい技術を使いつつも、伝統的な方法も併用する。
そのギャップがなんとなく面白くて印象に残ってしまった。