「お願いだから、急いでくれ!」
目当ての宿を告げると、「その宿の名前は◯◯に変わった。」とかなんとか。でもその宿は友人におすすめしてくれて、彼らも数日前まで泊まっていたからそんなはずはない。そんな旨を伝えるも、やっぱり降ろされたところは違うホテルの前だった。
空港からこんな調子なもんだから、インドからまだ抜けてないような感覚。タメル地区までの風景もインドのようにゴミゴミした印象だった。
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「お願いだから、急いでくれ!」
空港からこんな調子なもんだから、インドからまだ抜けてないような感覚。タメル地区までの風景もインドのようにゴミゴミした印象だった。
広がるもや
Sakhu サクーはカトマンズより標高があがり、、
進むごとに霧?、もやの中に入っていく感じ。「寒いね~」「全然周り見えないよ」とちょっと今日の天気が心配になってしまった。サクーに到着すると、茶屋でチヤ(7ルピー)を飲んで温まってから出発。 天気の心配は無用だったようで、だんだん陽がさして温かくなってきた。あたりは畑。一面畑の景色は見慣れているはずだけれど、周りの植物は深い緑で今までとは印象が違い、「東南アジア!」といった雰囲気。洗練された感じではないけれど、素朴でいい景色。 間もなく、橋のない川が。現地の女性も靴を脱いで裸足で渡っている。私たちも同じように裸足になる。カトマンズでマウンテンバイク!
8時にカトマンズゲストハウスで待ち合わせ。チャリダー仲間の昼間さん、しおりさんも誘ってみると、興味を持ってくれて一緒に参加。私たちのマウンテンバイクは、そのゲストハウスの近くのレンタルショップで1日800ルピーで用意。それぞれバイクの乗り心地を確かめる。ハンドルにはサスペンションがついていている。これなら激しいダートもいけそうだ。ここのショップでたまたま一緒になったネパール人のスニーズさんも同行してくれると。心強い。
簡単にルートを確認して出発。Punauti プナウティを経由して戻ってくるルートのようだ。
まだこのバイクに不慣れなのと、オートバイクと車と人でごちゃごちゃなタメルを抜けていくは難しく、さっそく私は遅れをとってしまった。
都心を離れると
「今は稲刈りのシーズンなんですよ」とさくさん。そう、丘の側面のほとんどが棚田であたりは黄金色だ。稲を自分が見えなくなるほど背負った女性が道端を歩いていのを何度も見かけた。それから、雨季開けの10月が空気も澄んでいて緑がきれいで、「今が一番いい季節」ともさくさんは言っていた。
お昼休憩は通りがかった町のローカル食堂でチョーメン。さくさんのアドバイスで「辛くしないで」とお願いしたにも関わらず、ゆうは食べきれないほど!
なかなかハード
そんな中、次第に雲行きが怪しくなってきた。遠くから雷の轟も聞こえてきた。するとパラパラと雨が降ってきてしまった。ちょっと茶屋で一休み。雨のせいで地面はぬかるむ。それがバイクや自分達にもはねてみんな後ろは泥だらけ。これでこそマウンテンバイクだ!
峠に着くと「おつかれさまー、あとは下りです!」と加藤さんが待っていてくれた。ちょうどそこにあった茶屋でモモとコーラ!
雨は大して強まることも長引くこともなく、なんとか峠後ではカトマンズ盆地を見下ろせることができた。帰るところ、今日の目的地がが見えると、安心するのは普段の走行でも一緒。
下りもガタガタのダート!サスペンションがついているとはいえ、手や腕、身体全体で振動を受け止める。普段荷物を大量につけて走っている私たちの自転車より振動を感じた。きっと荷物が振動を吸収してくれるのだろう。普段はしない立ち乗りをしてうまく振動を緩和したり。それでも、下りは気分がいい。
カトマンズに戻ってきたのは夕暮れ時が近づいた5時くらい。また交通量の多い中をすすまなくてはならい。ただ感じたのは、意外とオートバイクや自動車はやわらいかい運転をしてくること。ちょっと渡るから待ってね、と手を横に広げて合図するとスピードを緩めてくれる。強硬に突っ込んでくる車はほとんどなかった。信号のない入り乱れている交通が日常なので、彼らは程よく譲り合いに慣れているのかもしれない。
今日の走行距離
そして夜は、仕事で参加できなかった星さんも来てくれ、オシヤレなイタリアンへ。ピザもパスタもワインもデザートも、もはや当たり前のようにおいしかった。ネパールの外国料理のクオリティの高さはすごいとみんなで納得。
ネパールに2、3年住んでいる星さんから聞いた話も興味深かった。
カトマンズを歩いていると日本語学校の看板をよく見かける。それにはこんな背景が。日本に留学に来る外国人で上位の中国人、韓国人が減っていく中、現在圧倒的に増えているのがネパール人。貧しいネパールでは日本に行かせるのに相当費用面で工面するだろうけれど、一家で借金をはたいてでも留学させれば、その後家が買えてしまうほど収入を得られるそうだ。
さくさん、こてつで出会ったみなさん、ありがとうございました!楽しい一日でした!!
(この記事は、2014年10月26日の出来事です。)
日本からの荷物の受け取り
今回、日本からカトマンズの中央郵便局留めにしてもらった。
ここからも面倒で非効率な手順が続く。番号は部屋番号。
↓32番の部屋 自分宛の荷物を自分で探し確認
31番の部屋も書類を記入するのと支払いと中は分かれている。
いやー、こんなにあっちこっち部屋を移動する非効率な受け取りは久しぶり。利用者が多いから、分業してるのかもしれないけれどちっとも「流れ作業」になっていない…まぁ無事に全ての荷物を受け取れたので良しかな。
今回トレッキングで使用した装備はこちら
【ズボン・アンダー】
トレッキングシューズ(普段から履いているもの)
ビーチサンダル
行動食(クッキー、インスタント麺ワイワイ、飴等)
マグカップ
【現地で買い足したもの】
【必要な許可証】
①TIMS Registration Card (ティムス許可証)・・・2000ルピー
②Annapurna Conservation Area Entry Permit (アンナプルナ保護区入域証)・・・2000ルピー
ポカラへ
私たちは、エベレストトレッキングより先にアンナプルナベースキャンプ(ABC)トレッキングを選んだ。それは、10月末から11月上旬だとまだエベレストベースキャンプ(EBC)トレッキングはシーズン真っ盛りで、人が多いだろうという理由から。
まずはポカラにバスで移動。600ルピー(1ルピー≒1.1円)。朝、バス乗り場に行くとたくさんのツーリスト用バスが並んでいた。バスはほぼ予定通り7時に発車したけれど、少し走ると停車して大きな荷物を積み込んだりしている。こういうところもインドとそっくり。
途中休憩は2回あって、13時過ぎにポカラに到着。宿の目星をつけておいたレイクサイドへタクシー(200ルピー)で向かう。あの狭い通りに車、バイクでやかましかったタメルに慣れていたので、ポカラはとても落ち着いてみえた。車道と歩道は分かれていてタメルより道幅は断然に広いせいもあるのか人通りは少なく見え、寂しい感じさえしてしまう。「あれ、なんかポカラ楽しめるかな…」
宿:Hotel Billabong Garden
部屋、バスルーム共にまぁまぁ清潔。角部屋にしてくれて、日中はよく陽も入った。
Wi-Fiは部屋でも使用できた。シャワーはソーラーで温めるようで、日中入れば十分温かい。でも、二人続けて入らないほうが良いかも。
家族で経営して、お母さん、お父さん共に親切。
ツアーやアクティビティの申し込みもできて、パラグライダー(30分8,500ルピー)に興味があると一度伝えると、最後まで「やらないの?決めたらいつでも言って」と言われ続けてしまった。
最後の会計時にタックス10%がかかるとわかり、ちょっと残念な気持ちになってしまった。
この宿の近くにジューススタンドがある。朝、よくここでラッシーを飲んでいた。欧米人もここでよく座って新聞を読んでいたり。
天気は大丈夫?
ポカラに2泊くらいしたら、トレッキングに出ようと思っていたところ…
日本食「あかつき」でオーナーさんと話していると、こんな情報が。
「インド洋あたりでサイクロンが発生してこちらに向かっているようですよ。ネットで情報を見て様子を見たほうがいいかもしれません。」
つい2週間ほど前に、同じようにサイクロンが来て大雪が降り、アンナプルナ連峰で雪崩が起きて大きな事故となったばかり。異常気象続きの世の中なので、今の季節こんなはずはない、また続く訳ない、とはけして言い切れない。これは慎重に対応しなくては。
宿に帰ってネットでサイクロンを調べてみたけれど、とても小さいよう。とりあえず様子見で3泊することに。
翌朝も調べてみると、、どうやら消滅??明日出れば、ベースキャンプに着くころも晴れの予報だったので、明日出る!と二人で決定!!
(この記事は、2014年10月31日から11月2日までの出来事です。)
1日目
Pokhara(8:10) ~ Phedi(9:30)~ Dhampus(11:15)
・Pokhara ~ Baglung Bus Park ・・・タクシー200ルピー
・Baglung Bus Park ~ Phedi ・・・バス一人105ルピー
タクシーでBaglung Bus Park バルグンバスパークまで行くと、15分くらいバスを待った。他のトレッカーらしき人をほとんど見かけず、バス内はローカルの人々ばかり。「あれ?あってるよね?」と心配になってしまったほど。
ポカラを離れるとのどかな緑が広がってきた。Phedi フェディではちょっとしたトレッキング用品が目に入り、ようやくここからトレッキングが始まるという雰囲気が出てきた。気持良く晴れていていい初日になりそう。
トレッキング道しょっぱなから結構な急登。これから9日間大丈夫かな?でも、意外とザックの重さは平気そう。と思っていると、あっという間にバスできた道が目下に。
ローカルの人々が暮らす村の中、畑の中の道を通る。「ナマステ~」。トレッキング道だけれど、住民のための道でもあるのだ。
歩き始めて1時間半ほどで、Dhampus ダンプスに到着。村の奥に進むと、たくさんのロッジが散らばっていた。なんとなくタルチョがついていて、庭があって雰囲気が良さそうな宿に決定。
休憩を少しとると、村内を軽く散策してみた。こんな小さな村なのに日本語学校が!
そのせいか歩いていると、「コンニチハ」と声をかけられた。ちょっと話してみると、彼はショールなど織物の職人で、日本語学校で勉強しているという。とても上手でほとんど通じない言葉はないくらい。日本語を学ぶのは日本に行きたいからだそうだ。おそらく、日本で働きたいのだろう。でも、やっぱりお金がとてもかかるから難しいらしく、「日本に恋人がいたら行き易いけど、ワタシはいないから」とネパール人の赤ちゃんをだっこしながらつぶやいていた。
朝は宿が満室にならないか心配で、「6時に朝食をとりたい」とお願いすると「早すぎる。早くて7時だ。」と言われてしまった。日本の山小屋だと6時でも遅いくらいなイメージだけれど、そんなに早朝に出る人もいないのかもしれない。
宿:Paradais Lodge(200ルピー)
ご飯は美味しかったけれど、出てくるまでに時間がかかったので、早めにオーダーして時間も伝えたほうが良い。チベット系の顔のおじさんは次の宿の予約を電話をしてくれたりと気が利く方。
使用金額:2,375ルピー
2日目
Dhampus(7:30) ~ Tolka ~ Landruk(13:30)
朝ご飯にパンケーキを食べて出発。
すると、黒い犬が私たちについてきた。ダンプスの終わりにチェックポイントがある。職員の人も少し日本語をしゃべれるのに驚いた。チェックしている間も犬は座って私たちを待っていて、私たちが出るとまたついてきた。どこまでくるんだろう。せっかくなので「ポチ」と名付けてみる。
開けたところに着くと、ヒマラヤ連邦が!きれい!
ポチは私たちを振り返りながらかけていく。たまにポチが遅れると、私たちの横を抜かしていくのでちょっとジャマなことも。馬とすれ違うと、怖そうに私の陰に隠れたりと、結構かわいい。なのに、合流地点で欧米人ツアー客に出会って彼らに先に道を譲ると、彼らにポチはついて行ってしまった。別れはあっけなかった。たくさんエサをもらってね。
この日は少し登ると、下りがメイン。下りは登りより足に負担がかかり、膝が痛くなってしまう。それでも、途中の村々の雰囲気と時々姿を現すマチャプチュレに癒されながら足を進めた。
Landruk ランドルンに着くと、まわりにもまだトレッカーは少なかった。今朝出た宿に今晩の宿を予約してもらったけれど、不要だったかもしれない。
夕飯時、ダイニングはいつの間にか欧米人でいっぱいになっていた。彼らはほとんどがダルバートを食べている。おかわり自由でたくさん食べられるからかな。夕飯はとなりの宿から賑やかな音楽と声が聞こえてきたので見に行ってみると、ネパールの音楽に合わせて欧米人たちがダンスしていた。とても楽しそう。
宿:Hotel Hungry Eye(200ルピー)
個室はシャワー付きで400ルピー、電源付きだった。私たちはシンプルな部屋に。シャワーは無料だけれど結局お湯が出なかったので、バケツにお湯をもらった。ご飯は食べたもの全部?おいしくなかった。
使用金額:1,840ルピー
(この記事は、2014年11月3日から4日の出来事です。)
3日目
Landruk(7:30) ~ Jhinu Danda ~ Chomrong(13:30)
朝、外に出ると山が朝日で燃えていた。
昨日の14時ごろに洗濯をして外に干しておいたけれど夕方までには乾かなかった。このあたりでは夕方を過ぎると霧深くなってくるので、部屋の中に干しておいたらなんとか乾いた。朝は空気が冷たいけれど、空気が澄んでいて、遠くの山々もきれいに見える。
(左下:体から蒸気が上がっているが見える!右:いくつもある吊り橋。最初は恐かったけれどだんだんなれてくる。)
お昼前に日本人のおじさん達とすれ違い、挨拶程度だったけれど少し会話ができた。おじさん達の栃木なまりがなんだか懐く感じた。けれど、そのあと川の底まで下って結構な登り道が見えてぎょっとしてしまった。
温泉があるという Jhinu Danda でお昼休憩。カレーがおいしい!すると、温泉から帰ってきた日本人のひとりのおじさんに会う。「温泉はちょっとぬるかったけど、まぁ良かったよ」「アンナプルナと月がきれいだった」とのこと。私たちもベースキャンプでいい景色が見られるかなぁ。
休憩後から Chomrong チョムロンまで実は今回のトレッキングで一番の急登。
登りが苦しい中、「あなたコリアン?」と韓国語でおばさんに聞かれる。いつもは違うよ!と心の中でお怒り気味になってしまうのだけれど、彼女は私の目をしっかり見ていて、なんだかとてもあたたかいものを感じた。きっと韓国人と言えど、日本の「お母さん」のように見えてしまったからだろう。私は「No,sorry.Japanese.」と答え、そしてなぜか「Thank you.」と言って別れた。旅中だと日本人の若者や男性に会うことはあっても滅多に「お母さん」のような世代に会うことはないからな。
登りがきついとゆうと私の距離は離れていく。高度が高いと自転車でも、徒歩でも私が強くなるのだ。ここで実験。パルスオキシメーター(血中酸素濃度と脈拍を測るもの)でそれぞれの脈拍をみてみる。
ゆう→130。私→85。
心肺能力の差が数値で実証されてしまった!?
やっとチョムロンに到着。一つ目の宿は満室で二つ目の宿に決定。チョムロンからは宿代が一部屋300ルピーになるよう。値引きをお願いしてもまけてくれないのはどこも同じ気がした。この村にジャーマンベーカリーがあり、パンやケーキは宿のレストランより安くておすすめ。
宿:Chomrong Cottage(300ルピー)
宿のおばさんは少し日本語を話して、ガイドなしの私たちを気にかけてくれた。「海苔(日本行った親戚が買ってきてくれるよう)が大好きで一人でたくさん食べちゃうの」だと。
使用金額:2,255ルピー
(この記事は、2014年11月5日の出来事です。)
4日目
Chomrong(7:30) ~ Dovan(12:45)
ポカラにいる時の天気予報では今日は雨だったけれど、朝は良い天気。景色もばっちり。
チョムロンの終わりに商店があり、ワイワイ30ルピー、ツナ缶170ルピーなどと思ったより安く売っていたので、お昼用に購入。
(下:浄水器。チョムロン手前からペットボトルのミネラルウオーターは売っていない。手持ちのボトルなどに入れてもらう。)
今日もアップダウンが激しい。階段になっていて歩きやすいけれど、一段に高さがあるため下りでも膝にきてしまう。そんな中、ポーターはさくさくと私たちの横を過ぎていく。彼らは背中にトレッカーより大きな重い荷物を背負い、ひもで頭で支えている。「すごい!さすが!」と驚くのはまだ早い。彼らの足元はビーチサンダルだったりする。ABCトレイルは比較的歩きやすいとはいえ、どう考えても石の上では滑るし、ぬかるみではサンダルはまっちゃうでしょ?いったい彼らの足はどうなっているんだろう。私たちには到底無理。でも彼らは普通。人間の適用能力もすごいと思う。
Bamboo バンブーで早めのお昼をとっていると、私たちと同じくガイドなしポーターなしで来た日本人バックパッカー二人に遭遇。彼らは今日は次のDovan ドヴァンで泊まるという。私たちはその先まで行こうとしていたけれど、そうすると15時近くになりそうで宿が満室になりそうで心配。とりあえず、ドヴァンまで行ってから考えることにした。
バンブーからドヴァンには、よく看板に書いてあるコースタイム通りで到着。今日までの疲れもたまっていたことや、やっぱり宿の心配もあったのでここでストップ。明日は早めに出て、遅れを取り戻そう。
宿:Dovan Guest house(300ルピー)
一人のお兄さんは、ご飯ができると部屋まで呼びに来てくれたり、親切に対応してくれた。翌朝は早くて何時にご飯を出してくれるか聞くと、「あなたたちの要望通りで」と言ってくれた。
使用金額:2,420ルピー
5日目
Dovan(6:30) ~ Machhapuchhare Base Camp(12:20)
今日は昨日の遅れを取り戻すため、いつもより一時間早い6:30に出発。ようやく他の人たちは起きだした感じ。明るくなったものの太陽はまだ顔を出していない。
森のなかの道は、鳥の声が時々響くくらいで人はいなく静か。私たちしか歩いていないのだ。そう思うと、この山を私たちが独占しているような気分になった。
昨日の目的地にしていた Himalaya Hotel ヒマラヤホテルを8:00頃到着。ここに宿泊していた今から出発する人たちを横目に見ながら、立ち止まらずに進む進む。
登りが続くと、今までの疲労も合わさってか、ゆうは脚が痛み出したようだ。まわりの欧米人、韓国人も息を切らして休み休み登っていく。標高は3,000mを越えてきた。あぜらずゆっくりゆっくり。
(左上:Deuraliには携帯電話のアンテナがあった。下:こんなところでも野菜栽培。)
Machhapuchhare Base Camp マチャプチャレ到着!!気持ちのいい雲ひとつない晴天!!同時に着いたひとりの欧米人も「We are lucky !!」と。
ABCまでここからゆっくり登って2時間で行けるので、一気に登ってしまう人もいる。でも、私たちはここで一泊してのんびり景色を堪能することができた。時間が十分あればここでの宿泊がオススメ。
宿:Gurung Co-oprative Guest House(300ルピー)
ホットシャワー300ルピーと書いてあったけれど、ゆうが浴びても気づかなかったのかスタッフは請求してこなかった。ピザがおいしい!
使用金額:3,790ルピー
(この記事は、2014年11月6日から7日の出来事です。)
6日目
Machhapuchhare Base Camp(7:40) ~ Annapurna Base Camp(9:30)
朝、起きると昨晩はいなかった日本語ができるガイドさんがいた。話を聞くと、日本人団体(アルパインツアー)のガイドをしていて、トレッカーの一人がABCで昨晩遅くに高山病になってしまったのでその人と一緒に降りてきたということだった。ダイニングに行くと宿のスタッフやポーターが寝るスペースに日本人男性が一人横になっていた。幸いそれほど重症ではないようだけれど、万全を期してヘリコプターを呼んでポカラまで帰るという。さすが日本からのしっかりしたツアーなので、ヘリの手配にしろ、蒲生バックが用意されていたりと、手厚い手当を受けられるようだ。
数十分後に宿が集まっている少しはずれにヘリが来て、その男性が一人乗ると、さっそうと下界に降りていってしまった。
そんなちょっとした騒ぎがあったのに、宿の若い男性スタッフ一人はまだダイニングで寝ていて他のスタッフに起こされても、「まだ眠い~」とでも言っているのか毛布を被ってもう一眠りしていた。「おいおい、山小屋スタッフが朝は起きれないってどうなの?」と私たち二人でつっこんでいた。
それにしても今日も最高の天気!ABCでの景色も期待できそう。
標高は4000mを越えてきた。それでも陽が照れば、暑いくらいでシャツ一枚でちょうどいい。
道中、ヘリで降りた男性が所属していた団体、中高年の方々が降りてきたところに遭遇した。この時もおじさんおばさんたちとの会話に和む。
「あなたたち若いね~、新婚旅行?」
「そうですね、一年ちょっと旅行してるんです~~」
「へぇ~、すごいね!ハネイヤーだね!おめでとう!」(ハネムーンのムーン、月を年にしたのか?)
(皆さん口々に)「おめでとうございます~」
ABCも目前に迫ってきた。日本の登山の感覚だと、上に上がるほど岩場になり足元が悪く登りにくいイメージがあるけれど、ABCまでは急騰でもなく結構歩きやすい。
あの看板が見えてきた!!ABC到着!!!
360度山に囲まれてしまった!まさに圧巻!!
タルチョも元気になびいている。
宿に着くと、隣の宿に入った日本人のご年配夫婦と出会う。午後はその宿のダイニングにおじゃまし、会話を楽しんだ。ご夫婦は定年後に海外をたくさん旅行し、ネパールも9回目だという。世界中をトレッキングしてきた中でも、ABCはかなりお気に入りのご様子だった。ABCトレッキング道は最初に来た8年前より随分整備されて、宿のごはんもおいしくなり、いろいろ変化したようだ。また何十年か後に来てみるのもおもしろいかもしれない。
夕焼け、夜の山も美しかった。
宿:登ってきて右側にある宿。名前忘れ…(一人150ルピー)
宿は4件あり、9時半と早めに到着したけれど、どこも二人部屋は予約で抑えられていた。仕方なくイギリス人男性がいる三人部屋に宿泊。
使用金額:2,810ルピー
7日目
Annapurna Base Camp(7:50) ~ Bamboo(13:40)
いつもより早起きして、日の出を待つ。
朝日、きたきた!
ABCでも寒さは思ったより緩く、ダウン上下着て極厚靴下を履いて寝袋に入って寝ると暖かく、足の冷えも感じることはなかった。ダイニングでも暖房はまだつけていなかった。それでも、外で夕日や朝日を待っている時は寒いので、ダウンをしっかり着て。
今日から来た道を戻る。下りがほとんどなのでまた脚や膝を痛めるのではないか心配だった。
途中のお昼休憩で昨日のご夫婦とまた新たな日本人グループと一緒になり、会話を楽しんだ。そのグループの中には2週間ほど仕事の休暇を取って来ている方も。仕事の休みにこんなとこに来たら相当リフレッシュできそう。風景や文化に対しても、長期旅をしている私たちより新鮮に感動しているようだ。
下りはやっぱり速く、小刻みに登ってきたのもあるけれど、今日は登りの2日半分も下ってしまった。でも心配していた脚の負担は二人ともほとんど感じなかった。
宿:(300ルピー)
8日目
Bamboo(7:30) ~ Ghandruk(16:30)
朝のダイニングでよく思うのは欧米人たちとの食文化の違い。欧米人はポリッジ(穀類を水や牛乳で煮たお粥)を選択する人がほとんど。私たちはポリッジはまず選択しないし、あまりなじみのない食べ物(最近日本でも流行ってるの?)という認識。反対に私たちは朝たくさん食べたいので、フライドライスをよく食べるけれど、欧米人からすると朝からそんなの食べれないと思うらしい。まぁ朝からフライドライスというのは私たちにとってもトレッキング中ならではなので、これは食文化とは関係ない。
アップダウンを繰り返しながらも、標高も2000m前後になり、日中はより暑く感じた。
登ってくる50代くらいの欧米人女性はタンクトップに短パン!そう言えば、トレッキングのファッションも民族?人種?によって違いがある。
前記のように欧米系の人たちは、暑いともう露出度が高い(日焼け止めは女性も男性もしっかり塗っている)。それか、女性はピッタリしたスパッツを履いている。日本人的な感覚ならスパッツの上にショートパンツやスカートを身につけてお尻は隠すけれど、欧米系は隠さずそのまま。頭にはバフをかっこよくつけている。
中国人は原色のウエアをよく着ている。韓国人(かなりよく見かけた)はだいたい蛍光色。膝サポーターをつけているのもほぼ彼らだと思っていい。そして韓国人だという最大の決め手は黒縁メガネとあのサングラス。日本人は落ち着いた色。そして3国の共通は特に女性の日焼け対策。ハット型の帽子をよくかぶり(私も)、さらに後ろに陽射し除けをつけ(特に韓国人かな)、手袋をし、なるべく肌をださない。日焼けを徹底的に嫌うのはアジア人女性(日中韓)共通なのかな。肌の色による違いをはっきり感じてしまった。
こんなふうに、世界中のトレッカーが集まるので、いろんな国の人たちの様子が見比べられるのも楽しい。
今日は Ghandruk ガンドルを目指すため、行きとは違う道に入る。すると、比較的よく整備されていた今までの道とは違い、砂深かったり大きめな岩がよくあったりした。そんな中、赤ちゃんを背負子にのせた欧米人家族とすれ違いビックリ!ポーターもいないようだった。赤ちゃんがいたら荷物がどれだけ増えるだろう、夜泣きもするよね、高山病って大丈夫なの、とかあとからいろいろ疑問が湧いてきてしまった。本当に彼らは私たちが無理!と思うこともやってしまう。
やっとついたガンドルは大きな村で、民家が広がっていた。どこか懐かしいような風景だ。道がたくさんあるので迷いながらやっとちょうどいい宿を見つけた。コースタイム通りくらいなのだけれど、今日は長丁場で8時間近く歩いてしまった。お疲れさま!
宿:Ghandruk Guest House(ツインルーム350ルピー)
9日目
Ghandruk(8:00) ~ Kimche(9:00) ~ Pokhara(12:15)
今日もまた長い道のりになりそう。また相変わらずの馬の列。それだから道はフンだらけ。
しばらく下ると、車のクラクションが聞こえてきた。車道に近づいてきたんだ。ゆうは近くにバス停がありそうだと言ってゆうは早足で先に行ってしまった。
出発してから一時間後に Kimche キムチェに到着。やっぱりここからポカラまでバス(一人300ルピー)が出ていた。間もなく出発するところだったので、勢いで乗ってしまった。ABCトレッキングお疲れさまー!
バスからの風景はひたすら田んぼ。ほぼポカラまで途切れることなく続いた。この広大な田んぼで稲を刈り取るのも、稲を運ぶのも、脱穀もぜ〜んぶ人が機械を使わずに作業しているのには感心してしまった。脱穀だって、餅つきのように5人くらいが輪になって中心に向かって稲を地面に叩きつけているのだ。こんな風景、言ってしまっては悪いが、日本なら江戸時代、いや櫛みたいな道具(調べて思い出した、千歯扱き)さえ使ってないからもっともっと昔?にさかのぼらないと見られないのでは。「お百姓さんに申し訳ないからひと粒残さず食べなさい」という言葉はこの風景を見せれば、誰もが納得するだろう。ネパール米も大事に食べましょう。
使用金額:1,100ルピー
(この記事は、2014年11月8日から11日の出来事です。)
ポカラに着いたばかりの頃はカトマンズの方がおもしろいと感じていたけれど、日に日にポカラが好きになっていった。湖沿いも遊歩道があって、天気が良ければ散歩も良い。去る頃にはもっと滞在したかった街になりました。