タジキスタン」カテゴリーアーカイブ

あっという間のウズベキスタン

2007年に一度訪れたことがあるウズベキスタン。でも前回はブハラには寄らなかった。サマルカンドとブハラを天秤にかけて、「う~ん」と悩んだ結果、サマルカンド(とヒヴァ)だけ滞在した2007年。今回は逆にブハラにのみ滞在することにした。

さてそのブハラ。宿は日本人が多く泊まるというMadina&llyos B&B 一泊10ドルだ。
町の雰囲気も意外によく、なんとなく長く滞在してしまいそうになったけど、そこは我慢。タジキスタンへ急ぐことにする。
世界遺産となっている旧市街のモスクやマドラサ、あるいは廟はさすが世界遺産だけあって、立派なもの。サマルカンドやヒヴァにも劣らないように思う。相変わらずスーパーの貧弱さには辟易するけど、ここは中央アジア。仕方がない。

ブハラでは、自転車のメンテナンスをし、ブログを更新し、宿にこもったまま丸々2日間を過ごした。

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(写真左:この旅初めてのスポーク折れ)

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(泊まっていた宿の中庭風景)

ウズベキスタンを走った6日間
ウズベキスタン国内の走行は、前回2007年の時に500kmほど。キルギス国境から首都のタシケントまで、フェルガナ盆地と呼ばれる地域を走った。あまり鮮明な記憶が残っていないのだけど、のどかな畑が広がり、途中にある村では家々にブドウがなり、交通量の少ない田舎道をのんびり走ったような気がする。

今回はブハラからタジキスタン国境までの545kmを走る。トルクメニスタン国内とは違って南東へ進む。風は北風のままだから、追い風だ。多少標高は上がっているようだけど、スイスイと進んでいく。

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(US50ドル紙幣1枚を両替すると、この通り。札束になって帰ってきます。)

ウズベキスタンで困るのは何と言っても宿。観光地以外の宿はどこも20ドル以上する。それにレギストラーツィアという旧ソ連の制度の名残がまだあって、外国人は必ずこの外国人登録をしなくてはいけない。言い方を変えれば、キャンプや民泊はできない。ということだ。
ただ、今現在、国境でこのレギストラーツィアがチェックされることはかなり少なく、タシケントへ行かない限り、そこまで神経質になる必要もなさそう。僕たちは一応念のためこのレギストラーツィアを集めながら(つまり正規の宿に泊まりながら)ウズベキスタン国内を走った。

ウズベキスタンもトルクメニスタンやアゼルバイジャンと概ね変わらない。道端で大量のスイカやメロンが売っていて、町の作りはどこかソ連風。ただ、一応中央アジア内では発展している国らしく、舗装はほぼ完璧だった。

外国製品に高い関税を課しているため、コーラなど海外の製品は軒並み日本以上の金額がする。
逆に自国産のジュースは安いのだけど、とにかく着色料を使い、人工甘味料で味付けをしているケミカルドリンクのため、かなり不味い。結局一番美味しいのは水かビールということになってしまう。ウズベキスタンではよく炭酸水を飲んだ。暑い時に飲む冷えた炭酸水はコーラに匹敵するほど美味しい。彩はコーラよりもこっちのほうがいいと、よく飲んでいた。

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(写真下左:イランやコーカサス、中央アジアでよく見かける光景。同じ商品を同じ場所で複数の店が売っている。まったく非効率な謎の販売風景・・・)

ウズベキスタンの人々
子供たちは、気さくに話しかけてくれる。大人も英語を話せる人はほとんどいないので、よくわからないロシア語でよくわからない会話をする。ロシア語も2007年に覚えたもの。といっても、知ってる単語は両手の指ほどしかない。
それでも「どこに行くのか。どこから来たのか。出身はどこか。」なんて簡単なコミュニケーションは成立する。
ウズベキスタンの男性も女性も、あるいは子供も、親切。ただ、アゼルバイジャンと同じく、「興味のあるものから目を離すことができない」ようで、いつもじっと見つめられる。どうやらこれはテュルク民族特有の現象のようだ。(イランではそういうことはなかった。)

そういえば一度、英語の教師をしているという男性に会ったことがあった。ホテルを探していると、どこからともなく現れ、値段交渉や両替などでいろいろ世話を焼いてくれた。どうもそのホテルのすぐ目の前に教室があったらしく、僕を両替場所に連れて行ってくれている間、授業は中断。迷惑をかけてしまった。

あるチャイハナであったウズベキスタン人も、庭になっているブドウをくれたりと、基本的にはとても親切な民族だと思う。

途中、チャイハナによると、子供たちが目の前の川で水遊びをしていた。大人たちが見張っているわけでもなく、子供たちが泥で茶色になった川で楽しそうに泳いでいる。日本では(水の綺麗さはあるにしても)子供たちが自由に郷里の川で遊ぶ、なんていう光景を少なくとも都会の子供たちは想像すらできないんじゃないだろうかと思ってしまう。(残すべきことは残したほうが良いと思う。)

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(写真下左:どの村にも自転車に乗った子供たちがいる。彼らはかなり面倒くさい。僕らを抜かしては戻ってきて、また抜かして、という作業を村を出てもしばらく繰り返す。要は”かまってほしい”のだと思うけど・・・)

国境の町デノブ
6日間走って、最終日。ようやくタジキスタンへ入国する日。
国境の町デノブにはあまりいい思い出がない。

どこの国でも、国境の町は雑然としているものだけど、ウズベキスタンも例にもれず雑然とした雰囲気で、たしかにマーケットなどは栄えているけど、前後左右から無数の嘲笑や奇声が聞こえてくるので、ちょっと疲れてしまう。
何度体験しても、国境の町を自転車で走るのは苦手だ…。(大抵迂回路がないので、メインストリートを通ると街中の視線を浴びてしまう。)

ウズベキスタンとタジキスタンの国境は思っていたよりもまともな対応だった。
厳しいと言われていた関税申告書もさらっと受け取ってくれたし、レギストラーツィアのチェックもなかった。
ただ、かばんの中身は全部X線のチェックを受けたし、いくつかのバッグは開封を指示された。特に薬を持っていた彩は、女性の係官から「この薬はなんだ?」と厳しく質問されていた。(とはいうものの、日本語で説明のかかれた薬はすべてスルーで、主に海外で入手した(アルファベットの記載がある)薬が主なチェック対象だった。)

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(写真中左:生活排水でジュースを冷やすので不衛生なタジキスタン。写真中右:女の子は眉毛をつなげるのがおしゃれ。)

この日記は、2014年7月29日から8月3日までの出来事です。


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こじんまりしたタジキスタンの首都

無事ウズベキスタンのやっかい(?)なイミグレーションを出て、タジキスタンへ入国する。
タジキスタン側の審査は至って簡単。スタンプを押され、関税申告書も必要なく、荷物チェックもなかった。

タジキスタンとウズベキスタンの国境からドゥシャンベまでは、まだ一部未舗装。
ウズベキスタンとタジキスタンの首都を結ぶ幹線道路なのに、独立から20年近く経ってまだ舗装が終わってない、という事実にタジキスタンの現実を見せつけられたような気がする。
未舗装の路面もまもなく舗装工事が始まるらしく、通行されないように石がそこら中に置かれている。

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ドゥシャンベでの休養(2014年8月3日~7日)
途中ですれ違った韓国人サイクリストおすすめの宿、Yeti Hostelへ向かう。
アパートの一室がホステルになっている、旧ソ連圏にはよくあるタイプの宿だ。
今年4月にできたばかりらしく、設備も真新しい。
僕たちはたまたまオーナーがいる時にチェックインしたが、普段は20代前半の野球帽を被った男性2人が常駐している。
そのうち太った年上の男性は、愛想が極めて無いが、まぁ言ったことはやってくれるし、聞けば教えてくれる。
もう一人の若い(聞いたところによると20歳)男性は、仕事とプライベートを区別できないようで、共有スペースで大声を上げくつろいだり、メロンやスイカを食べて、後片付けをせず共有スペースを専有したりと、問題あり。こういう所で途上国を垣間見てしまう。残念。つい数十年前まで内戦をやっていた国なのだ。

ドゥシャンベではとにかく休養。彩のお腹の具合がよくない。汚染された食べ物や飲み物による旅行者下痢症になってしまったようだ。最後のポカリスエットの粉末をあけて水分補給をし、既成品のヨーグルト(雑菌に汚染されていない)を買って様子を見てみる。
お粥を作ったりもした。
ドゥシャンベには5泊したけど、なかなか良くならず、最後は処方してもらっていた抗生物質(レボフロキサシン)を飲んでなんとか快方に向かうことができた。抗生物質はあまり使いたくないのだけど、今回は症状がわかりやすく、用法用量もわかり、かつインターネットで調べることができたので良かった。
ここ最近、とにかくトマトを中心とする中央アジア料理ばかり食べていて、完全に食傷気味。気晴らしに韓国料理も食べにいったりした。

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意外とやることが多かったドゥシャンベ滞在。休養もしつつ、パミールへ入るためのパーミット取得)、日本への郵送、DHLでの予備パーツの受け取り・・・などなど、ばたばたと用事をこなした。

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(写真左:キッコーマン醤油は、ドゥシャンベにも。写真右:おつりのガムがレジの中に。)

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(写真左:ドゥシャンベの郵便局。写真右:ダンボールではなく布袋に入れて発送。布はその場でおばさんが縫ってくれる。1週間強で無事日本に届きました。)

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(DHLオフィス留で自転車パーツを通販。無事届きました。)

★パミール・パーミット
パミールへ入るためには、ビザとは別に許可証が必要だ。通称GBAOパーミット(ゴルノ・バダフシャーン州入域許可証)。
ドゥシャンベのオヴィール【座標38.571442,68.797493】で取得ができる。所要2日で25ソモニ。(即日で発行出来た事例もあり)
支払いは徒歩10分先の銀行【座標38.573948,68.793007】で、「オヴィール、ゴルノバダフシャーン、ペルミット」などと連呼していれば、係のおじさんが必要な手続きをしてくれる。

★DHLでの予備パーツの受け取り
イギリスの自転車ネット通販サイトCRCで注文した自転車の予備パーツをドゥシャンベで受け取った。
従前、旧ソ連圏ではこういった郵便物の受け取りなどは、主に日本大使館で行っていたけれど、昨今のテロ対策などもあって、今現在、日本大使館宛に郵送しても受け取りを拒否されてしまう可能性が極めて高い。(テヘランの日本大使館には、その旨の掲示があった。)
まともな自転車ショップが皆無のドゥシャンベ。パミールやトルクメニスタン走行などに備えて、予備パーツを手に入れたい場合は、CRCなど海外の通販サイトを利用し、配送方法をDHL Expressに指定することで、DHL経由の荷物受け取りができる。
DHLはドイツ郵便傘下の国際物流会社で、信頼度はかなり高い。今回は、DHLドゥシャンベ支店留で自転車の予備パーツを注文。わずか1週間ほどで到着し、トラッキングも細かくできるので、とてもオススメ。配送料も、保険料だと思えば高くはないと思える程度だ。

★日本への郵便物の発送
中央アジア最貧国のタジキスタンから日本に荷物を送る。郵便局は、ドゥシャンベ駅のすぐそば【座標38.557255,68.801643】。
荷物を持っていく(箱につめる必要はない)と、おばさんがミシンで袋を作ってくれる。その袋をそのまま送る仕組みだ。
3kgで2000円程度。かなり安い印象。果たしてちゃんと到着するか…。ちなみに貴重品などは、上記DHLオフィスへ行けば、安全に日本に発送することができる。

★インドビザの取得(2014年8月現在)
テヘランで失敗したインドビザの取得。たまたまインド大使館を通りかかったので、試しに聞いてみるとなんでも発行できるらしい。必要書類は、オンラインで入力した申請書(PDFファイルを印刷)、アディショナルフォーム(大使館でもらう)、パスポートコピー1枚、写真1枚、タジキスタンビザ1枚、銀行預金残高証明書。手数料は150ソモニで、所要6営業日。5営業日目にパスポートを預けにいき、6営業日目に受け取り。銀行預金残高証明書は、オンラインバンキングの名前と日付、金額が表示されている画面を印刷し、英語で注釈をつけたものを提出したら問題なし、ということだった。出国チケット、ホテルの予約表などは必要なし。

★宿
Yeti Hostel
ドミ15ドル
シャワー、洗濯機、共有スペースあり。キッチンなし(電子レンジ、電気ケトルあり)
インターネットはドゥシャンベにしては速いほうで、コンスタントに1Mbps程度でる。たまにWIFIが飛んでないときがあるが、ルータのWIFIスイッチをいれれば復活する。

 

※ここに記した情報は2014年8月現在のものです。


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ドゥシャンベ出発

5泊したドゥシャンベを後にしてパミールハイウェイの入り口、ホーログの町を目指す。
ドゥシャンベへ入って以来ずっとお腹の調子が悪かった彩もまだ全回復ではないので、朝も遅め。
出発は11時頃になってしまった。

途中、インド大使館へ寄って、ビザの受け取りが9月1日ころになってしまうことを伝えたら、「All your best!」と言ってもらえてた。なんともフレンドリーなインド大使館である。
というわけで、9月1日(もしくは2日)にインドビザを受け取り、9月5日の飛行機でデリーに飛ぶスケジュールがほぼ確定することになった。
ほぼ丸々1ヶ月をパミールで過ごすことができるので、かなり余裕を持った旅ができそう。トルクメニスタンやウズベキスタンのように、”カツカツ”な走り方をしなくても良さそうだ。

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(ドゥシャンベから北ルートを通ってカライクムまで向かうことに)

ドゥシャンベからの道路
ドゥシャンベからの道はずっと舗装路で、綺麗そのもの。ただ今日はかなり暑かったのと、湿度が高く、かつ適度な追い風のため(つまり風を感じない)、なかなか距離が伸びなかった。
そんなこともあって、休憩はかなり多め。早くも18時頃にはガソリンスタンドにテントを張ってしまった。近くに商店があるということでガソリンスタンドの女の子に案内してもらった。
ほんとになにもない田舎町なのに、子供がとても多い。道では小さい子供たちが何人も遊んでいる。そんな風景がとても印象に残った。

ホーログへ向かう道は途中から未舗装になる。
これでも元々はタジキスタンを東西に繋ぐ立派な幹線道路。のはずが、一車線しかない隘路で、かつ右は断崖絶壁。ガードレールもないし、カーブミラーもない。
そんな道をトラックや乗用車がかっ飛ばしていく。そしてその横でヒヤヒヤしながらペダルを漕ぐ。
(あとから聞いた話だけど、どうやら1990年代のタジキスタン内戦ではこの付近が激戦地になっていたようで、この舗装路の荒廃はこの結果だそうだ。)

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タジキスタン人とのふれあい
どうもこの道沿いのタジキスタン人は愛想がないように感じる。子供は無邪気に「ハロー」と声をかけてくれるのだけど、大人たち、特に女性は死んだように冷たい。
大抵、外国人である僕たちを現地の人々はそれこそジロジロと見つめるのが普通なのに。

ある日、疲れて休憩をしようとスイカ売りの子供に話しかけた。「エタ スコーリカ ストイット?(これいくら?)」とロシア語で話しかけると、6ソモニだそうだ。
日本ならお釣りの手間を考えてさっと計算して渡すのがスマート(いまはICカード決済だからそんな必要もないかな?)
それで僕は「はい」と11ソモニを渡した。5ソモニ札が戻ってくるのを期待していたのだけど、一向におつりを返してくれる気配がない。
電卓を持ってきて、子供たちに説明する。「6ソモニのスイカでしょ?11ソモニ渡したのだから、5ソモニお釣りだよ」と丁寧に説明しても一向に理解してもらえない。
学校に行っている歳だとは思うけど、初歩的な足し算引き算ができない。これにはちょっと困ってしまった。

しかたなく11ソモニを一度返してもらって、奥の家にいるお母さんに事情を話そうとする。
が、一向に応対してくれないのだ。1m目の前にいるお母さんに大きな声で「サラーム!」と言っても、小声で返事を寄越すだけ。
こちらのほうを見ようともしない。目を合わせようとしない。

ちょっとショックを受けながらスイカを食べ、自転車で走りながら考えた。
長く続いた内戦でよそ者に対してコミュニケーションが取れなくなってしまったのかな。そんな陳腐な答えしか思いつかなかったのだけど。
ここまで1年近く旅をして、こちらを見ようともしない現地住民に会ったのは初めてだった。

ホーログへ向かう途中、カライクムの町では宿に泊まったけど、それ以外は全て民泊になった。
ガソリンスタンド、チャイハナ、民家の一室あるいは民家の軒先にテント。
僕たちを泊めてくれたタジキスタン人に限っては、みんなとても親切だった。
チャイハナが閉店したあと、部屋をまるまる貸してくれたり、お金を渡そうとしても受け取ってくれなかったり。

「タジキスタン人はみんなダメ。」ということではなく、やっぱりどこの国でも親切な人、不親切な人はいるもの。
固定観念や先入観は持たないようにしないといけない。

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(写真右:ガソリンを補給するおじさん。)
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(テントの前で僕たちがやることをずっと見ているタジキスタンの子供たち)
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地雷峠を越えて
この北ルートには、途中に峠がある。3300mの峠だ。
道はとても悪くて、峠を越えるのには本当に苦労した。
この峠は内戦の中心地、今でも地雷が埋まっている。日本が支援をした地雷除去車などが峠の途中に止まっていたりした。
こういうところでも僕たちの税金は使われているみたい。

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(JICAのシールが貼ってある地雷除去ブルドーザ)
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衛生環境を改善せよ!大統領の看板はいらない!

ひさびさのシャワーで汗を流したカライクムの宿。
あまりいい宿とはいえなかったけど、まぁ暖かいシャワーが浴びれただけでも良かったとしよう。

カライクムからホーログまでは240km
平地なら、もしかしたら2日で着いてしまうかもしれない距離なんだけど、結局4日間もかかってしまった。
道の状態も良くないところが多く、細かいアップダウンも多くて、一日の走行距離は60~70kmくらいが限界。
あまり急がずに、ゆっくりのんびり前に進むことにする。

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(対岸はアフガニスタンだ)

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国の施策は、大統領の看板を立てること?
この国道M41号線は、最大の支援国中国とタジキスタンを結ぶための重要な貿易路になっている。
大型トラックがひっきりなしに通る道だ。

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政府の能力を疑ってしまうのは、やはりこういう重要な道でも舗装工事を行わない点。
個人的には、十二分にトラックが通れるような状態の未舗装路は、最悪後回しでも構わないと思っている。
でも、このホーログへの道には、”明らかに通行の弱点になっていて、連日トレーラーが立ち往生する場所”がある。
僕たちがホーログへ向かう時も、帰るときもトレーラーが立ち往生していた。経済損失もかなりあるだろう。

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(道を塞ぐトレーラーは2時間後にやっと脱出)

ドゥシャンベの豪華絢爛な建物にお金をかけたり、あるいは大統領の看板にお金をかけるなら、こういうわずか数百メートルの隘路を直したほうがずっと国のためになると思う。
大統領の看板や実績を吹聴するような施策に金をかける国にまともな国はない。というのが、僕たちの持論。
タジキスタンはまさにこのパターンだ。国民たちが可哀想である。

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(至る所にある大統領の功績をたたえる看板。大した功績があるとも思えないのだけど。)

衛生環境を改善せよ!
タジキスタンやウズベキスタンのトイレは、壮絶だ。
石田ゆうすけさんが著書でも書いているけど、日干し煉瓦とブルーシートで作られたトイレは、板が張ってあり、穴があいているだけ。
ハエは糞尿にとまり、そして人間にとまる。

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(これがタジキスタンのトイレです。)

「こういう衛生環境をなんとも思わない。」という意識やあるいは教育にまず問題があるように思う。
批判だけではいけないので、個人的な改善点を上げれば、各集落に合同水洗トイレを1箇所整備すればいいと思う。
トイレは日本の技術を提供してもいいし、中国の技術でもいい。とにかくハエが大腸菌を媒介するような環境を防げれば、住民の衛生環境を改善できるし、コストもかからない。
ただ、おそらく後四半世紀たっても、トイレは改善しないように思う。教育の問題もあるし、住民たちがそれでよいと思い続けている限りはどうにもならない。
(実際の所、外国人向けのホームステイ先のトイレは水洗トイレも存在する。つまり不可能ではない。ということ。)

同じように水道も問題だ。
元々沢からの比較的綺麗な水に溢れているこの地域。住民たちはその水を無濾過で飲んでいる。
問題は牛や山羊が基本的には放し飼いだということ。当然糞尿も混じる。それに人間のためのトイレも、水場の近くに設置されていることもある。
小規模な濾過装置を集落が取水している沢の上流に設置して、給水塔をたてれば、それだけで改善するのに。しない。
きれいで安全な水が確保できない。というのは、医療にも当然影響がある。

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携帯電話の無線中継所は各集落に必ずある。
携帯電話はどこでも使うことができる。そんな金があるなら、まず衛生環境の改善に資金を使うべきでは?

ただ、ふと思うこともある。
こういう考えは、「西側の先進国民(先進国の定義もあるけど)からの押し付け」なんだろうか。と。
要は、「長生きすること、健康であることはいいことなんだろうか?」という問題で、死生観とも絡んでくる問題だ。
輪廻転生の考えを持っていれば、現世での長生きにこだわる必要もないのかもしれないし。
(僕は現世で長生きしたいですけど。)

国の発展とは?
自転車で地続きに世界を走ると、いろいろなものやことに目がとまり、そして考える。
「発展とはなんだろうか?」、「幸せとはなんだろうか?」

日本人は、おそらく世界でも10本の指に入るほど、贅沢の情報に囲まれていると思う。
つまり、お金の使い道を知っている。

タジキスタン人やパミール人は仮にお金があっても、その使い道は限られているから、あまり持っていても仕方がない。(と思う。)
「富の使い方を知ってしまうことは、人間にとって幸せなことなんだろうか?」という問題に、答えが出せない。
「便利なこと、快適なことが巡り巡って自分たちが幸せになるために必要なことなのだろうか。」という問題を、しっかり考えていかなくてはならない時代なんだと思うようになってきた。

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(屈託のない笑顔を見せる子供たち。タジキスタンの一人あたりのGDPは1,036ドル/日本は38,491ドル(2013)この笑顔の前では、この数値にどれほどの意味があるのかわからないけど。)

パミール人とタジキスタン内戦
話はちょっと変わるけど、このカライクムの町から東は、ゴルノ・バダフシャーン自治州という州に入ることになる。
このバダフシャーン州に住む住民は、対岸のアフガニスタン国籍の人々と合わせて、「パーミーリー」と自称するパミール人が住む土地となる。
パミール人の話すパミール語は、学術的な検証の結果、西イラン語群に属すタジク語とは異なり東イラン語群により近い言葉だそうだ。(Wikiより)
タジク人とは違う民族が住む地域ということになる。

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(Facebookっぽいシャツを着たパミール人のおじさん)

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(ルシャンでひらかれていたパミール人の柔道大会)

1992年から1997年にかけて発生したタジキスタン内戦。政府勢力と対峙したのが、このパミール人たちだ。
カライクムはその要衝となり、カライクムの北にある峠周辺に大量の地雷が敷設され、日本の支援で地雷除去が行われているのは前回の日記に書いた通り。

現大統領のラフモンは、富裕層の比較的多かったクリャーブ出身。内戦が集結した後も、国内の発展から取り残された地域でもある。
そのためか、道の至る所に、イギリス、スイス、EU、日本あるいは国連WFPなどからの支援を記した看板が立っている。
道端で自転車を止めて休憩をしていた時、ふと足元を見ると銃弾が落ちていた。

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(イギリスとスイスの支援を示す看板)

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(中程に錆びた銃弾)

ホーログまでは3泊4日、野宿が1回、民泊が1回、チャイハナにキャンプが1回。
事前にパミール人は親切、という話を聞いていた。それでも、チャイハナの空き地にキャンプをした時は、法外な金額を請求されたりと「旅行者からお金を取る。」という意識が比較的強い民族のような印象を受けてしまった。
前回のタジキスタン人も含め、”民族括り“にしてはいけないのだけど、そういうことが重なるとつい”民族性に起因するのではないか”と勘ぐってしまいたくなる。

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(野宿をした東屋)

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対岸はアフガニスタン
対岸のアフガニスタンについても少し書いておこうと思う。パンジ川を挟んで対岸はアフガニスタンのバダフシャーン州になる。
住んでいる民族はパミール人とほぼ同じだ。ただ現在は国境が開放されているようではないので、流動は少ないと思う。
タジキスタンよりも貧しさを感じる日干し煉瓦の建物が並んでいる。
時折、携帯電話の無線中継所が建っているが、タジキスタンよりは明らかに数が少ない。
通る車はランドクルーザーばかり、その他の移動手段は、ほとんどバイクか、ロバか、徒歩だ。

声は聞こえないけど、こちらが手を振れば振り返してくれる。
アフガニスタン人とのコミュニケーションは毎日の日課だった。

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(舞踊を披露してくれたアフガニスタン人の女性)


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ゆっくり休みたいのだけど・・・

ようやく到着したホーログの宿は、多くのチャリダー、バックパッカーが泊まるPamir lodge。ちょっと町外れにあって、宿に行くためにはかなりな斜度の急坂を2度登る必要がある。
連日の走行で疲れがたまっていた私たちにとっては最後にトドメを打たれた感じだ。

Pamir lodge

パミール・ロッジは、庭?が広く、のびのびした気分になれていごこちは良かった。バルコニーに寝ると一人6$だけれど、プライバシーがないし、しっかり休みたかったので部屋(9$)を選んだ。
家族経営で若い人はだいたい英語が話せる。朝食は3$でつくようだけれど、私たちは頼まず。

登ってきた急坂を下りたところにあるマガジン(商店)で食材を買い、自分たちのキャンプ道具で専ら自炊をした。「洗い物はここで」と言われたところは、庭にある鉄の錆びたタンクの水。「飲める?」と聞くと「ノー!」で飲めるのは別のプラスティック製のタンクの水だった。

食器や鍋を飲めない水で洗いたくないないけど、飲水は貴重なんだろうと思って鉄のタンクの水で洗っていた。洗濯もこの水。

3日目に私はまたひどい下痢をしてしまった。原因を考えると、自炊だし浄水した水しか口にしてないのであのタンクの水しか考えられない!と思って、誰に何を言われようとプラスティック製のタンクの水で食器類を洗うことにした。(結局宿の人には一度も見つからなかった)。いつか鉄のタンクのフタが開いてて覗きこんだら…。
やっぱりこれで洗っちゃいかん。すると、お腹の調子も良くなってきた。私たちはここで4泊して何とか体調を整えなおした。

トイレは水洗、シャワーのお湯はばっちり。でも、歯を磨いたり顔を洗ったりとちょっとした水を使うのも部屋からタンクは遠いし、トイレにある水道水も濁ってる気がするし、水回りはとにかく不便に感じた。飲めなくてもいいから、普通の水道が欲しい…。結局僕たちが飲んだ水は全て浄水器で濾過したもの。
ミネラルウォーターもあまり売っていないので、都市に滞在しながらも水には苦労させられた場所だった。

やっぱりホーログに来る人はだいだいここへ来るようで、一ヶ月半前にテヘランで会ったドイツ人パッカー、チャリダー、ドゥシャンベで会ったイスラエル人チャリダーに再会した。
むこうは私たちのことを日本人夫婦チャリダーとして覚えてくれているようだけれど、私たちは欧米系の顔はなかなか覚えてられなくてどっかで会ったよな…という感じで申し訳なかった。

日本人旅行者にも2人に会った。お一人は2週間休暇でここまで来たと。仕事の休暇でパミールを選ぶとはナイス!

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装備の整備もした。タイヤ(一番消耗が激しかったゆうの後輪)をドゥシャンベで受け取った新しいものに交換。8,000km走るとこれだけ減ります。

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あとはテントをきれいに拭いたり、寝袋を干したり、キャンプで使っただいたいのものはきれいにした。

バザールとマガジン(商店)

パミールを走り出す前に買い出しへ。バザールがあると聞いてやってきたけれど、野菜は新鮮そうなのはなかったと言っていいかな。購買意欲が湧いてこない…トマトやナスもイマイチ。この辺の標高(2100m前後)、気候では仕方ないのかな?
じゃがいも、人参、玉ねぎ、にんにくをビニール一袋買って約150円。それからバザール近くの大きめなマガジンで、クッキーや魚の缶詰、パスタ、ラーメン、お米などを買った。

この先のパミールハイウェイ、そしてワハン回廊にはあまり商店がない、あっても物がないと聞くので、保存食を中心に多めに買い出しをする。

いよいよパミールハイウェイへ向かいます!

DSC09384 DSC09387(日記は、2014年8月16日~19日の出来事です。)


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星の数なんて、数えられないよ。 ~パミールへ~

ホーログでたっぷり休憩した僕たち。

重い腰を上げて、ようやく出発することにした。

今回僕たちが選んだルートは、ホーログをスタートしてパミールハイウェイ、ワハン回廊をぐるっとまわって、またホーログに戻ってくるルート。

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次に旅するインドへどこから飛ぼうか悩んだ結果、ドゥシャンベでインドビザを取って、そのまま直行便で飛ぶことにした。

ということもあって、パミールハイウェイの真髄、ムルガーブ方面へは行けないのだけど、そのあたりの風景は2007年に見ているのでまぁいいかな。・・・ちょっと心残りだけど(実際に分岐では真剣にキルギスに行ってしまおうか悩んでしまった・・・笑)

さて、パミールロッジを出発して、商店でクッキーとトイレットペーパーを補給。このトイレットペーパーって意外と重要で、トイレの時だけじゃなく、食器を拭いたりと、いろいろと活用することになる。だからトイレットペーパーが無くなってしまうと結構たいへんなことになってしまうのだ。

道は舗装路できれい、谷あいに集落が並び、川の水は透き通って、太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。

「やっぱり桃源郷だな。」とポツリ。

こういう素朴な景色に憧れがあったから、ちょっと感動してしまった。

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道は、ホーログの2100mから4300mまで2200mの緩やかな上り坂。

特にキツイこともなく、とても登りやすい。ゆっくり標高を稼いでいく。

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とにかく空が青い。もちろんPhotoshopで加工なんかしてません。撮ったまま、そのままの写真。

標高を上げるにしたがって、どんどん青くなっていく空。

この日は、峠を登りきる手前で時間切れ、メインの舗装路から少し離れたところに旧道があったので、そのアスファルトの上にテントを張った。

近くには小川が流れていて、とてもいいキャンプ地。

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夜、空には満点の星空が横たわっていた。

たまたま、爆風スランプの曲「Runner」がランダム再生で流れていたのだけど、「星を数えて眠ったあの頃」という歌詞を聞いて、二人で「星なんか数えられないよね」と笑いあってしまった。

ここはもう宇宙の一部。
日本では到底見られない数、つまり”無限”という言葉でしか表せない数の星で溢れかえっているから。

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(この2枚の星の写真は、拡大用にオリジナルサイズのままアップロードしました。ぜひクリックして拡大してみてください。)

(2014年8月19日の日記です。)


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標高4000mは、青の世界!

夜は久々に快眠。
でもやっぱり4000m近くでのキャンプは急激に冷え込むもの。
自転車で走っている日中は、ちょっと暑いくらいなのに、陽が落ちたとたん、急激に気温が下がってくる。
ホント、びっくりするほど。

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上下ダウンとフリースを着込んで。寝袋もしっかり頭まで覆って眠ったのだけど、足の先はやっぱりちょっと寒かった。今度から靴下も履こう。

テントをたたんで、さぁ出発。
ようやく峠の頂上を越える。標高は約4300m。

ここまで谷沿いをずっと走ってきただけど、峠を越えると急に目の前が開けて、パミール高原が、「どーーん!」と広がっている。この景色が見たくてここまで来たのだ。

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空の青さは、貧弱なボキャブラリーでは表現できないほど。「青い」としか表現できない。本当の青、真の青。
とにかく「青」という言葉は、この目の前に広がっている「青」を表すために存在しているとしか思えない。
「空の青さ」。その本当の青さは、やっぱり標高4000m近くにならないと体験できないような気がする。

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上り坂に差し掛かると、今まで登ってこれた斜度の坂が登りづらくなってくる。
酸素が足りないのだ。
宝石の道で体験したように、深呼吸をしても10mも走らないうちに、もう肩でゼーゼーいっている。
頭痛も少しづつ始まってきた。

無理をしないように、ゆっくり前に進む。

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(パノラマ写真。クリックすると拡大します。)

とにかく、景色が素晴らしくて、いちいち止まっては、写真を撮って。。を繰り返して、なかなか前に進まない。

お昼を過ぎて、しばらく走ると、ワハン回廊への分岐点が見えてきた。
この素晴らしい景色と別れ、ワハン回廊へ向かう。
うーん、ほんとに右折していいものか・・・。真剣に悩んでしまった。

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インドビザは申請しているけど、別に受け取らなくてもよい。
ビシュケクで再度申請し直してもいいし、アライバルビザで入国してもいい。

・・・でも、パミールハイウェイでみる景色は、宝石の道でも見てきたし、これからラダックでも見る。
とにかく季節的な問題で、時間がないのだ。

と自分に言い聞かせて、断腸の思いで右折する。

はぁ。もう少し進みたかったかな…。がまんがまん。

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ワハン回廊への道は、未舗装でダートが始まる。
他のサイクリストから聞いていたように、深い砂で覆われた道で、懐かしいコルゲーション(洗濯板状の道)も伴っている。

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砂地を押すこと1時間。ちょうど時間も19時でタイムアップ。

丘の裏にテントを張って、おやすみなさい。

夜は、近くに集落がないはずなのに、なぜか野犬の群れが現れて、遠吠えのシンフォニーがちょっと恐かった・・・。


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パミール高原を下ってワハン回廊へ

標高4200mでのキャンプ

夜、寝ていると遠くで犬の遠吠えがする。目が覚めてしまって、耳を澄ますと違う声が聴こえるから、何匹もいるらしい。襲われたらたまらん。と息を潜めたまま、朝を向かえる。
近くに民家なんてないから、ほんとにほんとの野犬?だったのかな。恐かった。

4000mを超えるととたんに上り坂で息が苦しくなる。
今日は4300mの峠超え。
道も悪く、息がすぐ切れるので休憩をとりながら峠を越える。
峠の上はなだらかになっていて湖があった。
ほどなくして下り坂、道は悪いけど乗れないほどではない。

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途中でパミール人の羊飼いにあった。小さな犬を連れている。
その名前が「パミール」名前と周りの景色とが見事にあっていて、あやと顔を見合わせてしまった。

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(パミールに住むパミールくん(犬)

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その後、道は検問をこえ、ワハン回廊へむけて下り始める。

遠く雪山が見え、とてもきれいな道だけど、砂深い道はとても走りにくく、時折自転車を押しながら前に進んだ。

この日は50km程度走り、キャンプをすることに。

キャンプ地は川沿いの草地で、とても気持ちのよいキャンプ地だった。

牛や羊の糞が転がっているのはご愛嬌。

夜はまったくの無音。無音過ぎるのも困り者で、ちょっと怖くすらあった。

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翌日 ~ようやく人里へ~

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(高地で炊くご飯。今回も失敗。圧力鍋が必要だ。)

朝起きて、自転車に荷物をつけようとしていると、7年間無傷だった後ろのバックをとめているバックルの爪が破損。。
旅も1年をむかえ、装備にもいよいよガタが来ているみたい。
朝からレジャーシートをひいて、荷物を全部出して、釣り糸で修理。

予想外の出来事で時間をとられてしまった。

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(虫がすごかったので虫除けの網を被ったら作業が捗らないこと…。)

今日は200mを登るところからスタート。
道は悪いけどあっという間に峠に差し掛かった。

それとほとんど同じころ、後ろには雷雲が立ち込めはじめ、雷鳴も聞こえる。
こんなところに逃げ場はないので、急いでランガルの町を目指した。

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(砂地は走りにくい)

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(ライダーさんとすれ違う。)

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16時ころ、ようやく村に到着。
久々の村に二人とも大喜びでスーパーを探す。
でも残念ながらお目当てのコーラはおいてなかった。。残念。

宿はロンリープラネットおすすめのゲストハウスへ。
ホットシャワーはあったけど、ご飯もいまいちで、うーん。
僻地であることを考えればしかたないのかも。

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(ホームステイで出されるご飯。ピーマンのご飯詰めスープとパン。お菓子やナッツがついてくる。)


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ワハン回廊を走る。

(この日記は2014年8月24日~29日までの出来事です。)

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ランガルからの道はパンジ川沿いにホーログまでつながっている。
小さい集落は途切れることがなく、農地と交互にずっと続いている。
このワハン回廊は平地が多く、小麦などを栽培している姿が目立った。
パミール高原からの道とは大違い。

道は未舗装が続いていて、時折、走りにくい砂地も顔をみせる。
走りにくいけれど、時々すれ違う村人との交流がスパイスとなって、
モチベーションをあげてくれる。

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ワハン回廊での宿泊はほとんどがホームステイ。

町に立っているホームステイの看板の前でうろうろしていたり、夕方ころになると、村の若者に声をかけられる。

ワハン回廊では3回ホームステイをしたのだけど、どこのホームステイ先にもシャワーもあったし、客間もぼくたちだけで使わせてくれた。
ご飯は朝晩つきで10~13ドルが相場だ。
夜はだいたいショルポという中央アジアスープとナン。朝はバターチャイとナン、お菓子という組み合わせ。
ナンもスープもおいしいのだけど、トルクメニスタンからかれこれ2ヶ月、ほとんど同じ食事。
「本当にタジキスタン人はこんな食事しか食べてないのかな?」と真剣に考えこんでしまった。
とにかくレパートリーが少ない。
イランの場合、中央アジアとは違って逆にお店ででてくる料理は貧しいけど、家庭で出てくる料理は豊富だった。旧ソ連の食文化なのか、それとも土着の食文化なのか。中央アジアには本当に興味がつきない。

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食事のスタイルは、イランと同じだ。絨毯の上にレジャーシートを広げて、ご飯が出てくる。
タジク人はイラン系民族で、ウズベキスタン人やトルクメニスタン人と違う民族だけど、基本的には同じ食文化だ。

チャリダーとの再会

チャリダーたちとの再会もワハン回廊でのうれしいイベントのひとつだった。
アメリカ、ドイツ、ブラジル、ポーランド、フランス、日本、と各国のサイクリストとすれ違った。

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特にトルコのアンカラ、ドゥシャンベで2度会っているアメリカ人サイクリストとの再会やトルクメニスタンを
一緒に走った米山夫妻との再会は印象に残る出来事だった。

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米山夫妻とは、たまたま近くにあったホテルに一緒に泊まって、ひさびさの再会を楽しんだ。

まさかの発熱!?(8月27日朝)

米山夫妻と再会したホテルで出されたポロフにあたってしまい、朝から熱と下痢が続く。

このポロフ(ピラフ)には、なんとハエの死骸が入っていた…。

ワハン回廊なんて医療施設もほとんどない場所で、この旅最悪の体調不良。
朝は少しマシだったので、10kmほど進むも、やっぱりダメ。
熱を測ってみると38度を超えている。
ご飯も食べられないので脚に力も入らないし、結局見つけた村で一泊することになった。

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最初はテントを張ろうとしていたのだけど、室内に入れ、と言ってくれたので、玄関にあるスペースに横にならせてもらうことにした。

熱は38度。長引かせたくなかったので、上下ダウンを着込み、ダウンの寝袋に入って、一気に体温を上げて自然治癒させることに。

汗だくだくで頭はふらふら、おまけに下痢がひどくてお腹もぐるぐる。

彩は、一生懸命看病してくれたし、普段は苦手な現地住民との交渉もやってくれた。
ポカリスエットも作ってくれたり、本当に助かった。
バルセロナでもそうだったけど、こういうときパートナーがいると本当に心強い。

泊まった民家で出してくれた食事は、消化に悪いものばかりだったので、僕は食べず、ひたすら寝て回復につとめた。

翌日、起きてみると熱は収まりつつあった。

民家の子供が、ipadをくれ、ととにかくしつこくてうるさかったので、しかたなく出発することに。

出発するとき、お礼として相場の10ドルを渡そうとすると、「100ドルよこせ。」といわれてしまった。

あまりにも法外なので払わなかったけど、ワハン回廊での苦い思い出のひとつになってしまった。

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(「iPadをくれ」と寝こむ僕にしつこく絡んできた少年。)

実のところ、ワハン回廊のパミール人は何かとお金にうるさい。
タジキスタン人は見返りを求めずテントを張らせてくれたり、部屋を貸してくれたりしたけど、パミール人はあまりいい印象がなかったなぁ。

子供たちもサイクリストに石を投げたり。

観光地化されるにしたがって、やさしいと言われたパミール人も少しづつ変わってきているのかもしれない。

翌日もあまり距離を延ばせず、村でテント泊。

とまった家のおじさんは、村の学校で英語を教えているそうだ。

今までタジキスタンの子供たちから何百回といわれた言葉。

初対面での「What your name!」

おじさんになんでタジキスタンの子供たちは初対面でhow are youでもなく、いきなりwhat your nameなのか聞いてみると、

案の定、英語の授業で一番最初に教える言葉だそうだ・・・。

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(旧ソ連軍の水陸両用装甲兵員輸送車BTR-70)

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翌日ホーログまでは30kmほど。たいした距離じゃないのに、何も食べてないせいか、まったく足に力が入らない。
こんなに入らないのかな?と驚くほど。わずかな上り坂に30分以上も時間をかけてしまったり。

15時ころ、ようやく久しぶりのホーログに到着。
パミールロッジに戻ると、宿のおかみさんが、「ひさしぶり!」と声をかけてくれた。

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(ホーログのバス停には旧ソ連のシンボルマークが)


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二度目のホーログ。そしてドゥシャンベへ。

この日記は、2014年8月29日から9月1日の出来事です。

★レギストラーツィア
ホーログに到着してやらねばならなかったのは、滞在登録。タジキスタンに30日以上滞在する外国人は、オビールで滞在登録をしなければならない。ドゥシャンベでも登録できるけれど、ホーログの方が町が小さいのでオビールにも行きやすいと思い、ここで登録することに。

オビールはメイン通り沿いの Khorog State Unibersity の向かい。建物の中は役所的なにおいはなく、古めかしく、ドアが開いている個室が2つあるだけ。簡単な英語がわかる女性が対応してくれた。初めは要領を得ない感じだったけれど、自分たちは9月5日にインドに飛ぶと伝えると、手続きを進めてくれた。

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必要なもの:パスポートコピー(顔写真のページ1枚、タジキスタンビザのベージ1枚)、顔写真1枚、登録費の支払いレシート(一人140ソムニ)

コピー屋は、オビールから100mくらい町の中心部に戻って向かい側に発見。店のお兄さんは英語ができて、私が日本人だと言うと「TOYOTAの車を送ってくれ」なんて言っていた。

登録費の支払い銀行はコピー屋の先をもっと歩いていった所。支払いの紙を発行してくる窓口、支払いとレシートをもらう窓口が違ってわかりにくかったけれど、周りの人が助けてくれた。それにしても元銀行員の私から見ると、いや、どの日本人が見ても非効率すぎる事務だった。まず白紙を用意して、支払先や金額を書いて(全部行員が書いてくれる)…台帳にも同じ内容を書いて…定規で破って…見てるだけでも日が暮れる思い。。きっとこれで間に合ってるから誰も何も思わないんだろうね。

支払いレシートを持ってオヴィールに戻ると、先ほどの女性が「今ボスがいないから、明日受け取りに来て」とのこと。ボスがいれば当日受け取り可なのかも。この日は金曜日で明日は土曜。土曜も開いているよう。翌日、午前中に行くとすでに登録証は用意されていてあっさり受け取ることができた。

★フェスティバル
川沿いのカフェに行ってみようとしたところ、ちょうど何かのフェスティバルが開催されていた。各地域の料理紹介のような感じかな?食べてみたいけれど、衛生的に心配なので…大きなパンと女性の民族衣装が印象に残った。

欧米人に人気らしい川沿いのカフェはなかなかいい雰囲気。ちょうど店内も空いていて静かで癒やされました。

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車でも大変!ドゥシャンベへ
ホーログからドゥシャンベまで戻るのにはタクシーを利用。朝10時に宿を出て、タクシー乗り場へ。何人かのドライバーに聞いても自転車を乗せるのは別料金20ソモ二をとられるようだった。値切ったけれど、こっちが折れて一人320ソモニ。TOYOTAのランクルに乗って出発を待っていたら、人数が集まらなくてミニバスのような車に替えられてしまった。あの未舗装はランクルなら快適そうだったのに…何だかんだと12:50の出発。案の定、そのバスの座席は固く、ちょっと悪い舗装路でもゆれるゆれる。乗り合わせた親子も辛そう。

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(9月1日の今日から学校が始まったよう)

ホーログへ向かう際、自転車で渡ってきた橋が壊れ、修復の最中だった。10分ほど待つと何とか通れたけれど、乗客は降りて歩いて渡り、ドライバーは後から車で渡るという形をとった。いつまた崩れるかわからないという感じ…こわいこわい。

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(壊れてワイヤーを貼り直している吊り橋)

吊り橋を抜けたすぐあと、今後は砂地でタイヤが砂に埋れてしまった。特に深いところをドライバーは選択してしまったよう。20分くらい待って、通りかかりのランクルに引っ張ってもらいながら男性陣(ゆう含む)は車をプッシュしてやっと脱出!

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まだまだ何かありそうだと思ってた矢先、今後はトラックの大渋滞。未舗装の急斜面でトラックが砂にはまって立ち往生してしまっていた。ちょうど道は狭くて一台しか通れない模様。そういえば、私たちが自転車で来たときも同じようにトラックがはまっていたっけ。もしかしたら毎日何回も同じことが起こってるんじゃないかな?このあたりだけでも舗装するとか整備すればいいのに…1時間くらいまってようやく通れるようになったのだった。

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21時頃、カライクムのチャイハナで夕飯休憩。ここからは私たちの通ったルートとは異なる方へ進んでいった。こちらの方がドゥシャンベまで100kmほど遠回りだけど、舗装率は高い。真夜中も車は走り続け、街灯なんてなくて真っ暗なのに飛ばせるところはとことん飛ばすドライバーだった。


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