2014年2月24日 氷河クルーズへ
6時前に起床。キャンプの時より早起きしたのは、8時半出発のクルーズ船に乗るから。港までは約8km走らなくてはならない。走るのが遅い私は船に間に合うか心配で、チーズとハムをはさんだパンを急いで食べた。
ようやく明るくなってきた、7時過ぎに出発。朝は結構寒い。いつもの指先のないグローブをしていたけれど、すぐに指先まであるグローブに変えてしまったほど。
無事に8時前には港に到着。アウストラル街道終点の看板が!
(最後までちゃんと走りました!)
船内はほぼ満席状態。このクルーズ船はチリ側最大のオイギンス氷河ツアーがメイン!
13時頃、氷河が見えてきた!近づけば近づくほど圧倒される。これが形成されるまでどれくらいの年月が必要なのだろう。フェリーはしばらく停止し、氷河をゆっくり見られた。雷のような乾いた轟音をたて氷河が崩れると、人々は歓声をあげる。見たかったんだ、これが。
そして、船員がゴムボートに乗って氷を取りにいってくれた。そう、ウィスキーを飲むため。ダブルでおいしくいただきました。目的地に着くまでは、2人とも爆睡。
たっぷり氷河クルーズを楽しみ、対岸へ。
港のすぐそばのキャンプ場(2000ペソ)に泊まることにする。
2014年2月25日 世界一美しい国境越え
今日は、アルゼンチンへの国境越え。この国境は世界一過酷な、または美しい国境越えと言われている。
過酷なというのはバスや車では通れない、トレッキング道があるから。ここを自転車で通るのもまた至難と聞いていた。倒木があったり、川をわたったりしなくてはならないと。荷物の多い私たちにはあまりにも向いていない道だ。しかし、馬に荷物を積んでもらう手があるようだ。私たちが泊まったキャンプ場のオーナーに頼むらしい。
昨日、ゆうがオーナーに馬を借りれるか聞いてくれた。しかし、ツアー客のような団体がいてもういっぱいで「あさってなら」と言われてしまった。一緒に聞いたフランス人チャリダーは一人だからか馬をゲットしていた。
私たちはちょっと悩んだ。馬に積んでもらえないと国境越えにかなり時間がかかり、そのあとのフェリーの最終便に間に合わないとなると、フェリー乗り場あたりで一泊しなくてはならない。ここでもう一泊しても結局は同じだ。ということでもう一泊のんびりするか、と二人で決めていた。
朝、のんびり起きてまもなく9時になるところだった。セニョールに朝の挨拶をしたところ、馬1頭分(30,000ペソ)なら荷物が積めると言う。二人の自転車用バッグ8個は運ぶことが可能で、ザックは背負うことになった。「それなら早く言ってよ」と言いながらも、一泊せずにすんで良かった。急いでテントなどを片付け、母屋で買ったパンをかじり、10時半ごろ出発。
キャンプ場から間もなくのところで、チリのイミグレ。2回目のチリ出国だ。ここでの手続きは軍人が行なっていて、出国者の名前は紙台帳に手書きをして管理していた。(普段はは機械でパスポートを読み取り、PCで入力)
ここからは砂利道でしばらく自転車で走るには難しく、押しながら山道を登った。石ころが減って来たので走れるようになってくると、、フィッツロイが!!よく晴れていてよく見える!ついにここまで来た、という気持ちが高まってきた。
ボーダーでお昼休憩。私たちより1時間以上前に出発した団体さん達にここで追いつくことができた。
ボーダーを越えるといよいよトレッキング道だ。さっそく手押しで進む。出た!出た!これだ!、と私たちはおもしろがるように沼地や倒木、川の難関?をクリアして行った。ただ一度、川を渡る際、石の上で足を踏み外し、片足がずぶ濡れ。それでもこんなに余裕で進めたのは荷物を馬に詰めたからである、とつくづく思った。
16時過ぎにアルゼンチン側のイミグレ、フェリー乗り場に到着。早めに着けて一安心。そこは、湖畔とフィッツロイの見事なロケーションだった。私たちの荷物を積んだ馬も17:30くらいに来てくれた。ありがとう!そして無事に最終便のフェリーに乗ることができた。
(パタゴニアのロゴとフィッツロイを一緒に撮るのが夢だったゆう)
今日も、フェリーで渡った間もなくのキャンプ場(80ペソ)に泊まる。売店、シャワーあり。でもかなり細かい虫が多かった。
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