投稿者「きむらゆうじ」のアーカイブ

レー・マナリ・ロード2 5300mの峠を越える。

レーマナリロード2日目(2014年10月2日)

優しいお母さんと娘さんの家に泊めてもらった昨晩。

朝ごはんに、チャイとチャパティ、スープに自家製ヨーグルトまでたっぷり出してくれた。

いやーほんとお世話になっちゃいました 😥 

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(常にごはんを狙い続けるワンコ)

出発直前、娘さんにお礼を少しだけ渡そうとすると、「もらえない」と言って断られてしまった。

でも、一室貸してもらってしまったし、夜ご飯も、朝ごはんも頂いてしまったので、これはやっぱりお礼をしないと、と、何とかお母さんを捕まえて、500ルピー(約850円)を渡す。

すると、驚いた風にお金を受け取って、しきりに「ありがとう」とこっちがお礼を言われてしまった。

どうも、完全な好意で泊めてくれたらしく、お金をもらえるとは思ってなかったみたい。

その後も、「これを持って行きなさい!」なんてヨーグルトを瓶につめていっぱいくれたり、「チャパティを昼に食べなさい」なんて、何枚も焼いてくれたりした。

「写真とってもいいですか?」と聞くと、「ちょっと待ってね」と奥で綺麗な服に着替えて出てきてくれたお母さん。いや~なんかこっちまでほっこりしてしまう。

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最後に「また来年もいらっしゃい」なんて一言。

ラダック人の優しさは、素朴で飾らない優しさだな~。良い経験になりました。

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(野菜はだいたいが自家栽培。中央アジアと違って、ラダックは野菜の種類も豊富)

さて、ラダッキ家族の家を後にして、僕たちはレー・マナリ・ロードで最大の峠、タンラン・ラ(峠)を目指す。

途中、ルムツェの村までは所々に商店があって補給できるのだけど、その先は峠の先、デブリンの集落まで補給ができない。水や食料を多めに買って峠に向かって走る。

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(右:馬がなぜか三頭、きれいに並んでいた。ので思わず撮ってしまった。)

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(軍用トラックの車列。一日に一回30~40台がコンボイとなって道路を通過する。)

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峠は途中から九十九折の道に変わる。断崖絶壁でガードレールが無いのはいつものこと。

それでもこの峠は、予想外に舗装が進んでいた。

それにインドの道は斜度が比較的緩い。
舗装されていて斜度が緩いので、登ること自体はそれほど辛くなかったかな。

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それでも、レーから走り始めて最も標高が低い3300m地点から登り始めて5300mまでの約2000mの登りは、一日だとちょっと走り切ることができない。

この日は結局標高4800m付近で日没。断崖絶壁の峠でキャンプをする平地なんて無い。仕方なく道路すぐ脇に見つけた狭い空き地にキャンプすることにした。

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すぐ脇を車が通るのでちょっと恐かったのだけど、気温も低くなっているし、高山病で頭が痛い。

夜ご飯は、デリーで買って残しておいた韓国製の辛ラーメン。
辛ラーメンは、しょぼしょぼの麺が当たり前の外国製ラーメンの中においては、群の抜いて麺がしっかりしている。ちょっとしたご褒美として残しておいた。辛いけど気温が低い高地では、体が温まってとても美味しかった。

星空の撮影を何枚かして、就寝。

月が明るくて星がハッキリ写らなかった・・・。

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レー・マナリ・ロード1 ~ラダッキの優しさに触れて~

レーからマナリへ至る道、レー・マナリ・ロード(ハイウェイということも)は、全長約470kmの道のりだ。

途中の最も高い峠は、タンラン・ラ(峠)。標高は5350mもある。

今まで5000mを越える峠に自転車で登ったことはなかったから、このレー・マナリ・ロードは、自分の中ではやっぱりチャレンジになる道だった。

出発前はやっぱりちょっと恐かった。どうしても、高山病だとか、いろいろなことを心配してしまうもの。

カシミール地方とインド本土を繋ぐ重要な軍用道路だけあって、かなり舗装が進んでいる。とは言っても、全体の5割前後はまだ未舗装だ。

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レーを出発する

朝ごはんを、いつものラマユル・レストランで食べる。
「しばらくちゃんとした朝食も食べられないよなぁ~」なんて思いながら、おいしい朝食を完食。
一緒に食事をした日本人みんなに見送ってもらい、レーを出発。
結局レーで会った日本人は20人近くになった。みんなありがとう!

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いつも食べていたラマユルレストランの朝ごはん。レーのごはんについては、また後日まとめます。

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今まで、ゴンパ巡りやパンゴンツォツアーなどで通ってきた道を今度は自転車で走っていく。
今までにも見たことがある風景だけど、ゆっくり進む自転車から見ると、見え方も違う。

風景を見て、考えて、味わっても、まだ目の前に同じ風景がある。
戻るのも自由。それが自転車旅行の魅力かな。

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お昼を済ませると、さっそく峠への上り坂が始まる。

まだそれでも斜度はかなり緩いし、風景を楽しむ余裕もある。

峠への距離は約40km。峠の手前、一番標高の低い場所は3300m。5300mの峠まで約2000mの標高を登っていく。

ちょうど1年前、ペルーのナスカ~クスコ間で走った標高差3600mの峠超えの経験があるので、標高差にそこまで恐怖は感じないけど、未知の標高に体がどう反応するかがわからず怖い。

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(右:ラダッキの子供。初対面でギブミー・チョコレートと言われてしまったのには面食らった・・・。)

初日は約1ヶ月ぶりの走行ということもあり、脚にも疲労がたまっていたので、早めに休むことに。

ミオという集落でキャンプ地を探す。

人目についたり、ぬかるんで汚かったり、予想外になかなかいい場所が見つからなかった。

仕方なく、人家の敷地にキャンプをする作戦に変更!

それでも、なかなか村人がいない。みんな留守。

困っていたのだけど、最後に声をかけた村の人が自宅に泊めてくれるというので、お言葉に甘えさせてもらった。

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この家のお父さんは、レーで議員をしていて、どうやら偉い方らしい。

家も随分大きいし、子供たちの何人かはデリーの大学や専門学校に通っているそうだ。

お母さんはラダック語しか解さないのだけど、とても明るく愉快。

着いた時、お母さんが僕たちに「パニ?パニ?」と話しかけてくれたのだけど、僕たちには何のことかさっぱりわからない。

なかなか言葉が通じない光景が面白かったのか、お母さんは大笑い。

僕たちも大笑い。

(ちなみにパニとは、水のこと。「水はいるか?」と聞いてくれているのでした。)

たまたま帰省していた中学生の娘さんが英語を話せるので、何とか会話することができた。

この子は、ラダック語、ヒンドゥー語、そして英語を解するそうだ。すごい。

発展途上国のタジク人やウズベク人も、母国語の他にロシア語を解するバイリンガル。

ラダックの女の子はトリリンガル。勉強熱心な日本人が、ひとつの言語「日本語」しか話せないというのは、世界的にもちょっと不思議なことなのかも。旅を続けているとそう思えてくる。

暖房兼コンロの燃料は、牛の糞

そして・・・

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牛の糞を掴んだ手でそのままバターをチャイに流し込む。

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ええ、飲みましたよ。牛の糞入りバターチャイ。

ちょっと飲むかどうか考えてちゃったけど、「もうどうにもなれ!」と。

バターチャイ自体は、濃厚で美味しかったです・・・。

本によれば、ラダッキの人々は、高地の乾燥した空気から体を乾燥させないように、ひっきりなしにバターチャイを飲むらしいですね。

夜ご飯はダル(豆)スープと野菜いため、ご飯。ダルと野菜いためはカレー風味のインディアン・ディナー。

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標高が3700mにあるこの村。ご飯を普通に炊いても、沸騰温度が低いためうまく炊けない。

そのためこの地方では日常的に圧力鍋を使っているらしい。

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牛の糞を燃料にして料理をしているのに、かたや圧力鍋を使って炊飯する光景。

新しい技術を使いつつも、伝統的な方法も併用する。

そのギャップがなんとなく面白くて印象に残ってしまった。


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ラダックでゴンパめぐり

さて、無事レーに到着した僕たち。
自転車で出発する前に、近くにあるゴンパをタクシーやレンタルバイクでまわってみることにした。

レンタルバイクは、一日700ルピーが相場で、長期レンタルや9月末~のオフシーズンには、100ルピー程度の割引がある。
タクシーは距離数や訪れるルートによって予め値段が決まっていて、どこのタクシーでも大体一緒。
それでも旅行社でチャータするよりは大幅に安いし、提示された料金から100ルピー前後の値切りは可能だ。

さて、ゴンパ巡りの前に幾つかのキーワードを紹介。

◯そもそもラダックって?
ヒマラヤ山脈とカラコルム山脈に挟まれたインダス川流域が狭義のラダック地方で、広義にはさらに広くパキスタン側まで含めた地域をラダック地方というらしい。

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(とて~もざっくりしたラダック周辺の状況。間違っていてもツッコまないでください。)

周りを敵国のパキスタンや中国に囲まれ、過去にも数次に渡るインド・パキスタン戦争や中国・インド国境紛争などの舞台になってきた土地だ。

民族的には、大部分がチベット系民族で、この地域に定着を始めたのは7世紀以降。
現在は、出稼ぎのインド人の他に、亡命チベット人なども住んでいる。
(参考 「ラダック wikipedia」

◯ゴンパ
ゴンパとは、僧院のこと。キリスト教でいう修道院。
僧が修行する施設で、ラダックやザンスカール・バレー、スピティ・バレーに多く存在する。

僧は、5、6歳から出家し、修行を始めるらしい。妻帯は禁止されている。
僕たちが会ったラダック人の食堂のおっちゃん(昔出家した僧だった)は、還俗(げんぞく)して結婚しているため、子供がいた。その辺はあまり厳しくないみたい。


僕たちが回ったゴンパは、全部で9つ。
下ラダックでは、アルチ、リゾン、リキール、ピャン
上ラダックでは、シェイ、スピトク、ティクセ、へミス
ヌブラ谷では、ディスキット

その他に、レー王宮(レー・パレス)、ストク王宮にも行った。

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(すごく大雑把にこんな感じ。上ラダック、下ラダックというのは、インダス川の上流、下流、という意味。インダス川は南東から北西に向けて流れている。)

僕たちは大学の史学科で芸術史を専攻したにも関わらず、キリスト教文化にどっぷりだったため、恥ずかしながら仏教美術に関する知識(仏教の知識も)がほぼ中学生レベル。残念ながらゴンパの中に入っても何かを感じたりすることは比較的少なかったように思う。

実際のところ、ゴンパの内部にある仏像は、こ数十年以内に制作されたものも多く美術的な価値をあまり持たないものも多い。古い仏教美術が残っているゴンパは数少ないのだ。

唯一、下ラダックにあるアルチ・ゴンパには、特に古い時代の仏教美術、木製仏像や壁全体に描かれた千人仏がそのまま残っていて、その迫力には驚いた。

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周囲の景色とその外観で印象深かったのは、リキール・ゴンパと上ラダックのスピトク、ティクセの各ゴンパ。
ヒマラヤ山脈の崖の上にそびえ立つゴンパはとても美しく風格があった。

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(リキールゴンパの遠景)

ゴンパの中
「多数の僧侶が熱心に修行している!」というイメージで向かったのだけど、実際には(時期的な問題もあったのか?)そういった姿はほとんど見られなかった。

それでも、リゾンゴンパでは、「日本人だ」と老僧に伝えると嬉しそうに、”Buddist?”と聞いてきてくれたし、「日本製のボールペンは素晴らしい」なんて行ってくれたりした。案内してくれた老僧は、お堂にはいると必ずお経を唱え、ひれ伏し、拝んでいた。

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(以上、リゾンゴンパ。マニ車も年季が入っている。)

どのゴンパも観光客からのお布施や入場料は貴重な収入となっているようで、専用の窓口やカウンターを設けてお金を徴収するところもあった。僕たちは仮に徴収されなくとも、100ルピー(180円程度)をお布施としておいてくるようにしていた。ちょっと観光客が多すぎるのが、その辺がツーリスティックになっているのが残念ではあった。

ティクセのゴンパでは、砂絵を熱心に作るモンクの姿も見かけた。

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ゴンパ巡りは、ラダック観光の中で、アウトドアとともにとても大きなウェイトを占めるもの。
ぜひ仏教美術をしっかり勉強した上で見に行くと、また違った発見があると思う。

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(ちょっと衝撃を受けた電飾で光るダライ・ラマのポートレート。どのゴンパにいっても、必ずサイン入りの写真が飾ってある。)

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(古いマニ車の中には、お経がかかれた紙が巻いてあった)

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Lehへのフライト

今回の旅で、どうしても走りたかった3つの道。
アウストラル街道、パミールハイウェイ、そしてレー・マナリロード。
そのレー・マナリロードへ挑戦するため今日はいよいよスタート地点のレーへ飛ぶ。

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フライトの時間は朝8時40分。
自転車を飛行機に載せる時はたいてい揉めるので、朝5時にタクシーを呼び、空港へ向かった。
早朝のインドは道もすいていてものの30分でインディラガンディ空港の国内線ターミナルへ到着。
あいかわらず厳重な空港の入り口をくぐり、チェックインカウンターへ向かう。

今回、僕たちはデリーへのフライトを人生初の自腹ビジネスクラスでとった。
もちろん贅沢のためではなく、荷物の追加料金との兼ね合いを考えてのこと。
追加料金を払うより、ビジネスクラスのほうが結果的に安上がりなのだ。

ビジネスクラスでのチェックインはもちろん人生初めて。(といってもLCCだけど)
受付でEチケットを提示すると、インド人スタッフが、ささっと動いて僕たちの荷物を運んでくれる。
「空港職員の対応は理不尽かつ非効率で横柄」が当たり前になっている僕たちは、もう呆然・・・。
ビジネスクラスの威力・・・おそるべし。

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(デリー国際空港の出発ロビー)

荷物は追加料金も取られず、機内持ち込みのザック(到底機内にはもちこめない大きさのもの)もなんら文句を言われず。
しかも搭乗待合室から機体への移動は、なんと専用車。
ほかの乗客がバスで移動する中、僕たちだけが専用車での移動となった。
じろじろ見られて恥ずかしかったのは、ここだけの話。。(レーへビジネスでいく人なんていないもの・・)

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(謎の専用車で機体まで移動)

少し残念だったのはラウンジが工事中だったこと。
ラウンジのチケットをもらって勇んでロビーを探し回ったものの、結局見つからず仕舞い。
うーん、ソファでくつろぎたかったのになぁ。残念。

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レーへのフライトはわずか1時間ほどであっという間。
機内食(ビジネスは出るらしい)を食べ終わるころには着陸態勢に入っていた。

レーの空港は、谷あいにあるため、着陸が難しい。
昔の香港空港よりも更に難関。滑走路の前後とも険しい山になっているため、旋回しながら着陸しなければならない。しかも滑走路は短いし、やり直しも難しい。
こまめにエンジンのパワーを調整し、ふらふらしつつも、無事着陸。
インド人パイロットにあっぱれ!

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(山間を低空飛行する飛行機。無事着陸してホッと。)

荷物を受け取って、レーの空港を出る。
ここがレーか~。うーん、風景はタジキスタンとあまり変わらないかも…。第一印象はそんな感じだった笑

自転車を組み立てるのにたっぷり2時間を使って、レーの町へペダルを漕ぎだす。
レー空港から町へはなんと300m近く標高をあげなくてはならない。
ほぼ1ヶ月ぶりの自転車は、あれほどデリーに荷物をおいてきたにも関わらず重い重い…。

結局町に着いたのは14時をまわったころでした…。

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ワハン回廊を走る。

(この日記は2014年8月24日~29日までの出来事です。)

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ランガルからの道はパンジ川沿いにホーログまでつながっている。
小さい集落は途切れることがなく、農地と交互にずっと続いている。
このワハン回廊は平地が多く、小麦などを栽培している姿が目立った。
パミール高原からの道とは大違い。

道は未舗装が続いていて、時折、走りにくい砂地も顔をみせる。
走りにくいけれど、時々すれ違う村人との交流がスパイスとなって、
モチベーションをあげてくれる。

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ワハン回廊での宿泊はほとんどがホームステイ。

町に立っているホームステイの看板の前でうろうろしていたり、夕方ころになると、村の若者に声をかけられる。

ワハン回廊では3回ホームステイをしたのだけど、どこのホームステイ先にもシャワーもあったし、客間もぼくたちだけで使わせてくれた。
ご飯は朝晩つきで10~13ドルが相場だ。
夜はだいたいショルポという中央アジアスープとナン。朝はバターチャイとナン、お菓子という組み合わせ。
ナンもスープもおいしいのだけど、トルクメニスタンからかれこれ2ヶ月、ほとんど同じ食事。
「本当にタジキスタン人はこんな食事しか食べてないのかな?」と真剣に考えこんでしまった。
とにかくレパートリーが少ない。
イランの場合、中央アジアとは違って逆にお店ででてくる料理は貧しいけど、家庭で出てくる料理は豊富だった。旧ソ連の食文化なのか、それとも土着の食文化なのか。中央アジアには本当に興味がつきない。

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食事のスタイルは、イランと同じだ。絨毯の上にレジャーシートを広げて、ご飯が出てくる。
タジク人はイラン系民族で、ウズベキスタン人やトルクメニスタン人と違う民族だけど、基本的には同じ食文化だ。

チャリダーとの再会

チャリダーたちとの再会もワハン回廊でのうれしいイベントのひとつだった。
アメリカ、ドイツ、ブラジル、ポーランド、フランス、日本、と各国のサイクリストとすれ違った。

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特にトルコのアンカラ、ドゥシャンベで2度会っているアメリカ人サイクリストとの再会やトルクメニスタンを
一緒に走った米山夫妻との再会は印象に残る出来事だった。

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米山夫妻とは、たまたま近くにあったホテルに一緒に泊まって、ひさびさの再会を楽しんだ。

まさかの発熱!?(8月27日朝)

米山夫妻と再会したホテルで出されたポロフにあたってしまい、朝から熱と下痢が続く。

このポロフ(ピラフ)には、なんとハエの死骸が入っていた…。

ワハン回廊なんて医療施設もほとんどない場所で、この旅最悪の体調不良。
朝は少しマシだったので、10kmほど進むも、やっぱりダメ。
熱を測ってみると38度を超えている。
ご飯も食べられないので脚に力も入らないし、結局見つけた村で一泊することになった。

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最初はテントを張ろうとしていたのだけど、室内に入れ、と言ってくれたので、玄関にあるスペースに横にならせてもらうことにした。

熱は38度。長引かせたくなかったので、上下ダウンを着込み、ダウンの寝袋に入って、一気に体温を上げて自然治癒させることに。

汗だくだくで頭はふらふら、おまけに下痢がひどくてお腹もぐるぐる。

彩は、一生懸命看病してくれたし、普段は苦手な現地住民との交渉もやってくれた。
ポカリスエットも作ってくれたり、本当に助かった。
バルセロナでもそうだったけど、こういうときパートナーがいると本当に心強い。

泊まった民家で出してくれた食事は、消化に悪いものばかりだったので、僕は食べず、ひたすら寝て回復につとめた。

翌日、起きてみると熱は収まりつつあった。

民家の子供が、ipadをくれ、ととにかくしつこくてうるさかったので、しかたなく出発することに。

出発するとき、お礼として相場の10ドルを渡そうとすると、「100ドルよこせ。」といわれてしまった。

あまりにも法外なので払わなかったけど、ワハン回廊での苦い思い出のひとつになってしまった。

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(「iPadをくれ」と寝こむ僕にしつこく絡んできた少年。)

実のところ、ワハン回廊のパミール人は何かとお金にうるさい。
タジキスタン人は見返りを求めずテントを張らせてくれたり、部屋を貸してくれたりしたけど、パミール人はあまりいい印象がなかったなぁ。

子供たちもサイクリストに石を投げたり。

観光地化されるにしたがって、やさしいと言われたパミール人も少しづつ変わってきているのかもしれない。

翌日もあまり距離を延ばせず、村でテント泊。

とまった家のおじさんは、村の学校で英語を教えているそうだ。

今までタジキスタンの子供たちから何百回といわれた言葉。

初対面での「What your name!」

おじさんになんでタジキスタンの子供たちは初対面でhow are youでもなく、いきなりwhat your nameなのか聞いてみると、

案の定、英語の授業で一番最初に教える言葉だそうだ・・・。

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(旧ソ連軍の水陸両用装甲兵員輸送車BTR-70)

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翌日ホーログまでは30kmほど。たいした距離じゃないのに、何も食べてないせいか、まったく足に力が入らない。
こんなに入らないのかな?と驚くほど。わずかな上り坂に30分以上も時間をかけてしまったり。

15時ころ、ようやく久しぶりのホーログに到着。
パミールロッジに戻ると、宿のおかみさんが、「ひさしぶり!」と声をかけてくれた。

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(ホーログのバス停には旧ソ連のシンボルマークが)


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パミール高原を下ってワハン回廊へ

標高4200mでのキャンプ

夜、寝ていると遠くで犬の遠吠えがする。目が覚めてしまって、耳を澄ますと違う声が聴こえるから、何匹もいるらしい。襲われたらたまらん。と息を潜めたまま、朝を向かえる。
近くに民家なんてないから、ほんとにほんとの野犬?だったのかな。恐かった。

4000mを超えるととたんに上り坂で息が苦しくなる。
今日は4300mの峠超え。
道も悪く、息がすぐ切れるので休憩をとりながら峠を越える。
峠の上はなだらかになっていて湖があった。
ほどなくして下り坂、道は悪いけど乗れないほどではない。

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途中でパミール人の羊飼いにあった。小さな犬を連れている。
その名前が「パミール」名前と周りの景色とが見事にあっていて、あやと顔を見合わせてしまった。

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(パミールに住むパミールくん(犬)

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その後、道は検問をこえ、ワハン回廊へむけて下り始める。

遠く雪山が見え、とてもきれいな道だけど、砂深い道はとても走りにくく、時折自転車を押しながら前に進んだ。

この日は50km程度走り、キャンプをすることに。

キャンプ地は川沿いの草地で、とても気持ちのよいキャンプ地だった。

牛や羊の糞が転がっているのはご愛嬌。

夜はまったくの無音。無音過ぎるのも困り者で、ちょっと怖くすらあった。

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翌日 ~ようやく人里へ~

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(高地で炊くご飯。今回も失敗。圧力鍋が必要だ。)

朝起きて、自転車に荷物をつけようとしていると、7年間無傷だった後ろのバックをとめているバックルの爪が破損。。
旅も1年をむかえ、装備にもいよいよガタが来ているみたい。
朝からレジャーシートをひいて、荷物を全部出して、釣り糸で修理。

予想外の出来事で時間をとられてしまった。

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(虫がすごかったので虫除けの網を被ったら作業が捗らないこと…。)

今日は200mを登るところからスタート。
道は悪いけどあっという間に峠に差し掛かった。

それとほとんど同じころ、後ろには雷雲が立ち込めはじめ、雷鳴も聞こえる。
こんなところに逃げ場はないので、急いでランガルの町を目指した。

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(砂地は走りにくい)

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(ライダーさんとすれ違う。)

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16時ころ、ようやく村に到着。
久々の村に二人とも大喜びでスーパーを探す。
でも残念ながらお目当てのコーラはおいてなかった。。残念。

宿はロンリープラネットおすすめのゲストハウスへ。
ホットシャワーはあったけど、ご飯もいまいちで、うーん。
僻地であることを考えればしかたないのかも。

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(ホームステイで出されるご飯。ピーマンのご飯詰めスープとパン。お菓子やナッツがついてくる。)


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【サイクリング情報】アウストラル街道(チリ・パタゴニア)

チリ・パタゴニア地方を南北に貫くサイクリストの聖地!アウストラル街道(Carretera Austral)の補給・町・宿など、サイクリング・サイクリスト向け情報をまとめます。(2014年1月~2月走破。)

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(クリックで拡大)

【走行日数の目安】

チャイテンから、オイギンスまで、僕たちは33日間で走破。
途中ラフンタ、アメングアル、コイアイケで数日の休憩を挟んでいるので、急げば1ヶ月での走破も充分可能。ただ雨が多いので、雨待ちをして良い景色をみたい場合は1ヶ月半を見たほうがいいかもしれない。
プエルトモンからチャイテンまでを自走する場合は、+4~5日かかる。
プエルトモン~チャイテン間のフェリーは常に出ているわけではないので、下調べが必要。

コイアイケには飛行場がある。空路でコイアイケに入ることも可能。
時間がない場合、コイアイケ~エル・チャルテンでも充分にアウストラル街道を楽しめる。

実質、アウストラル街道の終点は、アルゼンチンのエル・チャルテンになる。
オイギンス村から船で対岸へ渡り、トレッキング道を進み、エル・チャルテンに到着するには、さらに4~5日かかる。エル・チャルテンには飛行場がないため、カラファテの飛行場を利用することになる。
カラファテ空港へのバス(カラファテ行き途中下車)は毎日運行。バスに自転車を積むこともできる。

【補給箇所】

地図に名前が載っているような町には、大抵スーパーがある。最長の無補給区間は、コクランからトルテルまでの約100km、未舗装なので、通常4日程度かかる。
トルテルに寄らない場合でもその先のフェリー乗り場に簡単な売店がある。

通常、非常食を含めて2日分の食料があれば、問題ないと思う。
水はどこでも綺麗な沢の水が流れているので問題ない。
道端に大量に育っているナルカ(大きな葉っぱの植物)は、その茎の部分を食べることが可能らしい。が、かじったらあまり美味しくなかった。

プユアピから先、峠の手前に炭酸ガス水が湧き出しているポイントがある。

チェーン系大型スーパーは、コイアイケのみ。
コクランにもそこそこ大きなスーパーが広場の前にありいろいろ買える。

◯自転車ショップ

唯一の自転車ショップがコイアイケにある。
シマノパーツも入手可能だが、シュワルベタイヤなどツーリング用の商品はない。(SPDのビンディングペダルが選べるなど、品揃えは悪くない。ディレーラー、ワイヤーなどはシマノ製を入手可能。この後のダートに備えて、オフロードタイヤを買うこともできる。)

◯アウトドアショップ

コイアイケにノースフェイスのショップがある。アウトドアのセレクトショップもノースフェイスショップから50mほど行った場所にある。さらにコイアイケにはホームセンターがあり、ドイテのテントやガスストーブ、ODガス缶なども手に入る。

手ぶらでコイアイケの飛行場に飛んできて、このホームセンターで適当にテントと食品を買って旅にでることも不可能ではなさそう。

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(参考:コイアイケのマップ)

【路面状況】

チャイテンから40km先までは舗装。その後ラフンタまでは未舗装になる。
ラフンタからプユアピ間は一部舗装が進行中。
その先峠を越えた後からコイアイケ~セロカスティージョ村までは舗装。
その後、最後のオイギンス村までは未舗装になる。

特にセロカスティージョ以降の未舗装は、砂利が深く走りにくい場所も多い。
快適に走るなら、幅の広い(2.0以上)オフロードタイヤがオススメだ。

【宿】

僕たちが宿に泊まったのは、Chaiten, Puyuhuapi, Amengual, Manihuales(Casa de Cyclista), Coyhaique, Cello Castillo, Rio Tranquilo, Puerto Bertrand, Cochrane, O’Higginsの各集落。
これらの町には、宿があり、スーパーがあり、レストランがある。

La Funtaの町にも宿はあるけど、道路工事員が多く泊まっているため、あまり空きがなかった。(ラフンタは町の中心にキャンプ場があり、オススメ。WIFIは町の中心で飛んでいる。)

コイアイケの町は巨大で、宿も多い。値段は高め。
コクランの町は過ごしやすく、休憩には最適。

【アクティビティ&観光など】

アウストラル街道沿いには数多くの氷河がある。大抵看板が道端に立っているので、時間に余裕があれば見に行ってみることをオススメ。
オススメの氷河は、プユアピの先にあるハンギング・グレイシアとオイギンス村からクルーズ船でいくオイギンス氷河。

バックパッカーの方のお目当てはもちろんマーブル・カテドラル。ただチャリダーはその道自体が絶景

プエルトベルトランドの村ではラフティングが体験できる。
安全面に配慮してくれる良いガイドなのでオススメ。少し高いけど。

【アウストラル街道周辺の日記】

◯日記

2014年1月21日~26日 憧れの、アウストラル街道
2014年1月27日~30日 ラフンタ ~自然の中で生活~
2014年1月31日~2月2日 雨の恵みを感じて
2014年2月3日~7日 ひとやすみ
2014年2月11日~14日 アウストラル街道の本気
2014年2月15日~18日 酸いも甘いも
2014年2月19日~23日 終着の地へ
2014年2月24日~25日 山道を越えて

◯動画

vol28 アウストラルスタート!の前に、温泉と名物オヤジ
vol29 最高の天気でスタート!
vol30 iPadから編集してみたアウストラル街道2日目
vol31 アウストラル街道3日目、雨降りやまず。
vol32 “自転車乗りの家“?
vol33 でっかい町、コイアイケへ
vol34 アウストラル街道後半戦スタート
vol35 エメラルドグリーンとスカイブルー
vol36 続・アウストラル街道の真髄
vol37 真っ青!マーブル・カテドラル
vol38 クロネコキャンプ場~
vol39 幸せのキャンプ場
vol40 パタゴニアをラフティング!
vol41 とんでもない迂回路
vol42 アウストラル街道もいよいよ佳境へ
vol43 一日雨に降られ…
vol44 最後の村へ
vol45 氷河の氷でウィスキーを
vol46 山道を超えろ!


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標高4000mは、青の世界!

夜は久々に快眠。
でもやっぱり4000m近くでのキャンプは急激に冷え込むもの。
自転車で走っている日中は、ちょっと暑いくらいなのに、陽が落ちたとたん、急激に気温が下がってくる。
ホント、びっくりするほど。

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上下ダウンとフリースを着込んで。寝袋もしっかり頭まで覆って眠ったのだけど、足の先はやっぱりちょっと寒かった。今度から靴下も履こう。

テントをたたんで、さぁ出発。
ようやく峠の頂上を越える。標高は約4300m。

ここまで谷沿いをずっと走ってきただけど、峠を越えると急に目の前が開けて、パミール高原が、「どーーん!」と広がっている。この景色が見たくてここまで来たのだ。

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空の青さは、貧弱なボキャブラリーでは表現できないほど。「青い」としか表現できない。本当の青、真の青。
とにかく「青」という言葉は、この目の前に広がっている「青」を表すために存在しているとしか思えない。
「空の青さ」。その本当の青さは、やっぱり標高4000m近くにならないと体験できないような気がする。

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上り坂に差し掛かると、今まで登ってこれた斜度の坂が登りづらくなってくる。
酸素が足りないのだ。
宝石の道で体験したように、深呼吸をしても10mも走らないうちに、もう肩でゼーゼーいっている。
頭痛も少しづつ始まってきた。

無理をしないように、ゆっくり前に進む。

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(パノラマ写真。クリックすると拡大します。)

とにかく、景色が素晴らしくて、いちいち止まっては、写真を撮って。。を繰り返して、なかなか前に進まない。

お昼を過ぎて、しばらく走ると、ワハン回廊への分岐点が見えてきた。
この素晴らしい景色と別れ、ワハン回廊へ向かう。
うーん、ほんとに右折していいものか・・・。真剣に悩んでしまった。

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インドビザは申請しているけど、別に受け取らなくてもよい。
ビシュケクで再度申請し直してもいいし、アライバルビザで入国してもいい。

・・・でも、パミールハイウェイでみる景色は、宝石の道でも見てきたし、これからラダックでも見る。
とにかく季節的な問題で、時間がないのだ。

と自分に言い聞かせて、断腸の思いで右折する。

はぁ。もう少し進みたかったかな…。がまんがまん。

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ワハン回廊への道は、未舗装でダートが始まる。
他のサイクリストから聞いていたように、深い砂で覆われた道で、懐かしいコルゲーション(洗濯板状の道)も伴っている。

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砂地を押すこと1時間。ちょうど時間も19時でタイムアップ。

丘の裏にテントを張って、おやすみなさい。

夜は、近くに集落がないはずなのに、なぜか野犬の群れが現れて、遠吠えのシンフォニーがちょっと恐かった・・・。


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星の数なんて、数えられないよ。 ~パミールへ~

ホーログでたっぷり休憩した僕たち。

重い腰を上げて、ようやく出発することにした。

今回僕たちが選んだルートは、ホーログをスタートしてパミールハイウェイ、ワハン回廊をぐるっとまわって、またホーログに戻ってくるルート。

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次に旅するインドへどこから飛ぼうか悩んだ結果、ドゥシャンベでインドビザを取って、そのまま直行便で飛ぶことにした。

ということもあって、パミールハイウェイの真髄、ムルガーブ方面へは行けないのだけど、そのあたりの風景は2007年に見ているのでまぁいいかな。・・・ちょっと心残りだけど(実際に分岐では真剣にキルギスに行ってしまおうか悩んでしまった・・・笑)

さて、パミールロッジを出発して、商店でクッキーとトイレットペーパーを補給。このトイレットペーパーって意外と重要で、トイレの時だけじゃなく、食器を拭いたりと、いろいろと活用することになる。だからトイレットペーパーが無くなってしまうと結構たいへんなことになってしまうのだ。

道は舗装路できれい、谷あいに集落が並び、川の水は透き通って、太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。

「やっぱり桃源郷だな。」とポツリ。

こういう素朴な景色に憧れがあったから、ちょっと感動してしまった。

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道は、ホーログの2100mから4300mまで2200mの緩やかな上り坂。

特にキツイこともなく、とても登りやすい。ゆっくり標高を稼いでいく。

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とにかく空が青い。もちろんPhotoshopで加工なんかしてません。撮ったまま、そのままの写真。

標高を上げるにしたがって、どんどん青くなっていく空。

この日は、峠を登りきる手前で時間切れ、メインの舗装路から少し離れたところに旧道があったので、そのアスファルトの上にテントを張った。

近くには小川が流れていて、とてもいいキャンプ地。

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夜、空には満点の星空が横たわっていた。

たまたま、爆風スランプの曲「Runner」がランダム再生で流れていたのだけど、「星を数えて眠ったあの頃」という歌詞を聞いて、二人で「星なんか数えられないよね」と笑いあってしまった。

ここはもう宇宙の一部。
日本では到底見られない数、つまり”無限”という言葉でしか表せない数の星で溢れかえっているから。

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(この2枚の星の写真は、拡大用にオリジナルサイズのままアップロードしました。ぜひクリックして拡大してみてください。)

(2014年8月19日の日記です。)


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衛生環境を改善せよ!大統領の看板はいらない!

ひさびさのシャワーで汗を流したカライクムの宿。
あまりいい宿とはいえなかったけど、まぁ暖かいシャワーが浴びれただけでも良かったとしよう。

カライクムからホーログまでは240km
平地なら、もしかしたら2日で着いてしまうかもしれない距離なんだけど、結局4日間もかかってしまった。
道の状態も良くないところが多く、細かいアップダウンも多くて、一日の走行距離は60~70kmくらいが限界。
あまり急がずに、ゆっくりのんびり前に進むことにする。

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(対岸はアフガニスタンだ)

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国の施策は、大統領の看板を立てること?
この国道M41号線は、最大の支援国中国とタジキスタンを結ぶための重要な貿易路になっている。
大型トラックがひっきりなしに通る道だ。

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政府の能力を疑ってしまうのは、やはりこういう重要な道でも舗装工事を行わない点。
個人的には、十二分にトラックが通れるような状態の未舗装路は、最悪後回しでも構わないと思っている。
でも、このホーログへの道には、”明らかに通行の弱点になっていて、連日トレーラーが立ち往生する場所”がある。
僕たちがホーログへ向かう時も、帰るときもトレーラーが立ち往生していた。経済損失もかなりあるだろう。

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(道を塞ぐトレーラーは2時間後にやっと脱出)

ドゥシャンベの豪華絢爛な建物にお金をかけたり、あるいは大統領の看板にお金をかけるなら、こういうわずか数百メートルの隘路を直したほうがずっと国のためになると思う。
大統領の看板や実績を吹聴するような施策に金をかける国にまともな国はない。というのが、僕たちの持論。
タジキスタンはまさにこのパターンだ。国民たちが可哀想である。

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(至る所にある大統領の功績をたたえる看板。大した功績があるとも思えないのだけど。)

衛生環境を改善せよ!
タジキスタンやウズベキスタンのトイレは、壮絶だ。
石田ゆうすけさんが著書でも書いているけど、日干し煉瓦とブルーシートで作られたトイレは、板が張ってあり、穴があいているだけ。
ハエは糞尿にとまり、そして人間にとまる。

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(これがタジキスタンのトイレです。)

「こういう衛生環境をなんとも思わない。」という意識やあるいは教育にまず問題があるように思う。
批判だけではいけないので、個人的な改善点を上げれば、各集落に合同水洗トイレを1箇所整備すればいいと思う。
トイレは日本の技術を提供してもいいし、中国の技術でもいい。とにかくハエが大腸菌を媒介するような環境を防げれば、住民の衛生環境を改善できるし、コストもかからない。
ただ、おそらく後四半世紀たっても、トイレは改善しないように思う。教育の問題もあるし、住民たちがそれでよいと思い続けている限りはどうにもならない。
(実際の所、外国人向けのホームステイ先のトイレは水洗トイレも存在する。つまり不可能ではない。ということ。)

同じように水道も問題だ。
元々沢からの比較的綺麗な水に溢れているこの地域。住民たちはその水を無濾過で飲んでいる。
問題は牛や山羊が基本的には放し飼いだということ。当然糞尿も混じる。それに人間のためのトイレも、水場の近くに設置されていることもある。
小規模な濾過装置を集落が取水している沢の上流に設置して、給水塔をたてれば、それだけで改善するのに。しない。
きれいで安全な水が確保できない。というのは、医療にも当然影響がある。

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携帯電話の無線中継所は各集落に必ずある。
携帯電話はどこでも使うことができる。そんな金があるなら、まず衛生環境の改善に資金を使うべきでは?

ただ、ふと思うこともある。
こういう考えは、「西側の先進国民(先進国の定義もあるけど)からの押し付け」なんだろうか。と。
要は、「長生きすること、健康であることはいいことなんだろうか?」という問題で、死生観とも絡んでくる問題だ。
輪廻転生の考えを持っていれば、現世での長生きにこだわる必要もないのかもしれないし。
(僕は現世で長生きしたいですけど。)

国の発展とは?
自転車で地続きに世界を走ると、いろいろなものやことに目がとまり、そして考える。
「発展とはなんだろうか?」、「幸せとはなんだろうか?」

日本人は、おそらく世界でも10本の指に入るほど、贅沢の情報に囲まれていると思う。
つまり、お金の使い道を知っている。

タジキスタン人やパミール人は仮にお金があっても、その使い道は限られているから、あまり持っていても仕方がない。(と思う。)
「富の使い方を知ってしまうことは、人間にとって幸せなことなんだろうか?」という問題に、答えが出せない。
「便利なこと、快適なことが巡り巡って自分たちが幸せになるために必要なことなのだろうか。」という問題を、しっかり考えていかなくてはならない時代なんだと思うようになってきた。

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(屈託のない笑顔を見せる子供たち。タジキスタンの一人あたりのGDPは1,036ドル/日本は38,491ドル(2013)この笑顔の前では、この数値にどれほどの意味があるのかわからないけど。)

パミール人とタジキスタン内戦
話はちょっと変わるけど、このカライクムの町から東は、ゴルノ・バダフシャーン自治州という州に入ることになる。
このバダフシャーン州に住む住民は、対岸のアフガニスタン国籍の人々と合わせて、「パーミーリー」と自称するパミール人が住む土地となる。
パミール人の話すパミール語は、学術的な検証の結果、西イラン語群に属すタジク語とは異なり東イラン語群により近い言葉だそうだ。(Wikiより)
タジク人とは違う民族が住む地域ということになる。

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(Facebookっぽいシャツを着たパミール人のおじさん)

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(ルシャンでひらかれていたパミール人の柔道大会)

1992年から1997年にかけて発生したタジキスタン内戦。政府勢力と対峙したのが、このパミール人たちだ。
カライクムはその要衝となり、カライクムの北にある峠周辺に大量の地雷が敷設され、日本の支援で地雷除去が行われているのは前回の日記に書いた通り。

現大統領のラフモンは、富裕層の比較的多かったクリャーブ出身。内戦が集結した後も、国内の発展から取り残された地域でもある。
そのためか、道の至る所に、イギリス、スイス、EU、日本あるいは国連WFPなどからの支援を記した看板が立っている。
道端で自転車を止めて休憩をしていた時、ふと足元を見ると銃弾が落ちていた。

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(イギリスとスイスの支援を示す看板)

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(中程に錆びた銃弾)

ホーログまでは3泊4日、野宿が1回、民泊が1回、チャイハナにキャンプが1回。
事前にパミール人は親切、という話を聞いていた。それでも、チャイハナの空き地にキャンプをした時は、法外な金額を請求されたりと「旅行者からお金を取る。」という意識が比較的強い民族のような印象を受けてしまった。
前回のタジキスタン人も含め、”民族括り“にしてはいけないのだけど、そういうことが重なるとつい”民族性に起因するのではないか”と勘ぐってしまいたくなる。

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(野宿をした東屋)

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対岸はアフガニスタン
対岸のアフガニスタンについても少し書いておこうと思う。パンジ川を挟んで対岸はアフガニスタンのバダフシャーン州になる。
住んでいる民族はパミール人とほぼ同じだ。ただ現在は国境が開放されているようではないので、流動は少ないと思う。
タジキスタンよりも貧しさを感じる日干し煉瓦の建物が並んでいる。
時折、携帯電話の無線中継所が建っているが、タジキスタンよりは明らかに数が少ない。
通る車はランドクルーザーばかり、その他の移動手段は、ほとんどバイクか、ロバか、徒歩だ。

声は聞こえないけど、こちらが手を振れば振り返してくれる。
アフガニスタン人とのコミュニケーションは毎日の日課だった。

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(舞踊を披露してくれたアフガニスタン人の女性)


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