投稿者「きむらゆうじ」のアーカイブ

ドゥシャンベ出発

5泊したドゥシャンベを後にしてパミールハイウェイの入り口、ホーログの町を目指す。
ドゥシャンベへ入って以来ずっとお腹の調子が悪かった彩もまだ全回復ではないので、朝も遅め。
出発は11時頃になってしまった。

途中、インド大使館へ寄って、ビザの受け取りが9月1日ころになってしまうことを伝えたら、「All your best!」と言ってもらえてた。なんともフレンドリーなインド大使館である。
というわけで、9月1日(もしくは2日)にインドビザを受け取り、9月5日の飛行機でデリーに飛ぶスケジュールがほぼ確定することになった。
ほぼ丸々1ヶ月をパミールで過ごすことができるので、かなり余裕を持った旅ができそう。トルクメニスタンやウズベキスタンのように、”カツカツ”な走り方をしなくても良さそうだ。

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(ドゥシャンベから北ルートを通ってカライクムまで向かうことに)

ドゥシャンベからの道路
ドゥシャンベからの道はずっと舗装路で、綺麗そのもの。ただ今日はかなり暑かったのと、湿度が高く、かつ適度な追い風のため(つまり風を感じない)、なかなか距離が伸びなかった。
そんなこともあって、休憩はかなり多め。早くも18時頃にはガソリンスタンドにテントを張ってしまった。近くに商店があるということでガソリンスタンドの女の子に案内してもらった。
ほんとになにもない田舎町なのに、子供がとても多い。道では小さい子供たちが何人も遊んでいる。そんな風景がとても印象に残った。

ホーログへ向かう道は途中から未舗装になる。
これでも元々はタジキスタンを東西に繋ぐ立派な幹線道路。のはずが、一車線しかない隘路で、かつ右は断崖絶壁。ガードレールもないし、カーブミラーもない。
そんな道をトラックや乗用車がかっ飛ばしていく。そしてその横でヒヤヒヤしながらペダルを漕ぐ。
(あとから聞いた話だけど、どうやら1990年代のタジキスタン内戦ではこの付近が激戦地になっていたようで、この舗装路の荒廃はこの結果だそうだ。)

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タジキスタン人とのふれあい
どうもこの道沿いのタジキスタン人は愛想がないように感じる。子供は無邪気に「ハロー」と声をかけてくれるのだけど、大人たち、特に女性は死んだように冷たい。
大抵、外国人である僕たちを現地の人々はそれこそジロジロと見つめるのが普通なのに。

ある日、疲れて休憩をしようとスイカ売りの子供に話しかけた。「エタ スコーリカ ストイット?(これいくら?)」とロシア語で話しかけると、6ソモニだそうだ。
日本ならお釣りの手間を考えてさっと計算して渡すのがスマート(いまはICカード決済だからそんな必要もないかな?)
それで僕は「はい」と11ソモニを渡した。5ソモニ札が戻ってくるのを期待していたのだけど、一向におつりを返してくれる気配がない。
電卓を持ってきて、子供たちに説明する。「6ソモニのスイカでしょ?11ソモニ渡したのだから、5ソモニお釣りだよ」と丁寧に説明しても一向に理解してもらえない。
学校に行っている歳だとは思うけど、初歩的な足し算引き算ができない。これにはちょっと困ってしまった。

しかたなく11ソモニを一度返してもらって、奥の家にいるお母さんに事情を話そうとする。
が、一向に応対してくれないのだ。1m目の前にいるお母さんに大きな声で「サラーム!」と言っても、小声で返事を寄越すだけ。
こちらのほうを見ようともしない。目を合わせようとしない。

ちょっとショックを受けながらスイカを食べ、自転車で走りながら考えた。
長く続いた内戦でよそ者に対してコミュニケーションが取れなくなってしまったのかな。そんな陳腐な答えしか思いつかなかったのだけど。
ここまで1年近く旅をして、こちらを見ようともしない現地住民に会ったのは初めてだった。

ホーログへ向かう途中、カライクムの町では宿に泊まったけど、それ以外は全て民泊になった。
ガソリンスタンド、チャイハナ、民家の一室あるいは民家の軒先にテント。
僕たちを泊めてくれたタジキスタン人に限っては、みんなとても親切だった。
チャイハナが閉店したあと、部屋をまるまる貸してくれたり、お金を渡そうとしても受け取ってくれなかったり。

「タジキスタン人はみんなダメ。」ということではなく、やっぱりどこの国でも親切な人、不親切な人はいるもの。
固定観念や先入観は持たないようにしないといけない。

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(写真右:ガソリンを補給するおじさん。)
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(テントの前で僕たちがやることをずっと見ているタジキスタンの子供たち)
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地雷峠を越えて
この北ルートには、途中に峠がある。3300mの峠だ。
道はとても悪くて、峠を越えるのには本当に苦労した。
この峠は内戦の中心地、今でも地雷が埋まっている。日本が支援をした地雷除去車などが峠の途中に止まっていたりした。
こういうところでも僕たちの税金は使われているみたい。

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(JICAのシールが貼ってある地雷除去ブルドーザ)
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こじんまりしたタジキスタンの首都

無事ウズベキスタンのやっかい(?)なイミグレーションを出て、タジキスタンへ入国する。
タジキスタン側の審査は至って簡単。スタンプを押され、関税申告書も必要なく、荷物チェックもなかった。

タジキスタンとウズベキスタンの国境からドゥシャンベまでは、まだ一部未舗装。
ウズベキスタンとタジキスタンの首都を結ぶ幹線道路なのに、独立から20年近く経ってまだ舗装が終わってない、という事実にタジキスタンの現実を見せつけられたような気がする。
未舗装の路面もまもなく舗装工事が始まるらしく、通行されないように石がそこら中に置かれている。

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ドゥシャンベでの休養(2014年8月3日~7日)
途中ですれ違った韓国人サイクリストおすすめの宿、Yeti Hostelへ向かう。
アパートの一室がホステルになっている、旧ソ連圏にはよくあるタイプの宿だ。
今年4月にできたばかりらしく、設備も真新しい。
僕たちはたまたまオーナーがいる時にチェックインしたが、普段は20代前半の野球帽を被った男性2人が常駐している。
そのうち太った年上の男性は、愛想が極めて無いが、まぁ言ったことはやってくれるし、聞けば教えてくれる。
もう一人の若い(聞いたところによると20歳)男性は、仕事とプライベートを区別できないようで、共有スペースで大声を上げくつろいだり、メロンやスイカを食べて、後片付けをせず共有スペースを専有したりと、問題あり。こういう所で途上国を垣間見てしまう。残念。つい数十年前まで内戦をやっていた国なのだ。

ドゥシャンベではとにかく休養。彩のお腹の具合がよくない。汚染された食べ物や飲み物による旅行者下痢症になってしまったようだ。最後のポカリスエットの粉末をあけて水分補給をし、既成品のヨーグルト(雑菌に汚染されていない)を買って様子を見てみる。
お粥を作ったりもした。
ドゥシャンベには5泊したけど、なかなか良くならず、最後は処方してもらっていた抗生物質(レボフロキサシン)を飲んでなんとか快方に向かうことができた。抗生物質はあまり使いたくないのだけど、今回は症状がわかりやすく、用法用量もわかり、かつインターネットで調べることができたので良かった。
ここ最近、とにかくトマトを中心とする中央アジア料理ばかり食べていて、完全に食傷気味。気晴らしに韓国料理も食べにいったりした。

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意外とやることが多かったドゥシャンベ滞在。休養もしつつ、パミールへ入るためのパーミット取得)、日本への郵送、DHLでの予備パーツの受け取り・・・などなど、ばたばたと用事をこなした。

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(写真左:キッコーマン醤油は、ドゥシャンベにも。写真右:おつりのガムがレジの中に。)

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(写真左:ドゥシャンベの郵便局。写真右:ダンボールではなく布袋に入れて発送。布はその場でおばさんが縫ってくれる。1週間強で無事日本に届きました。)

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(DHLオフィス留で自転車パーツを通販。無事届きました。)

★パミール・パーミット
パミールへ入るためには、ビザとは別に許可証が必要だ。通称GBAOパーミット(ゴルノ・バダフシャーン州入域許可証)。
ドゥシャンベのオヴィール【座標38.571442,68.797493】で取得ができる。所要2日で25ソモニ。(即日で発行出来た事例もあり)
支払いは徒歩10分先の銀行【座標38.573948,68.793007】で、「オヴィール、ゴルノバダフシャーン、ペルミット」などと連呼していれば、係のおじさんが必要な手続きをしてくれる。

★DHLでの予備パーツの受け取り
イギリスの自転車ネット通販サイトCRCで注文した自転車の予備パーツをドゥシャンベで受け取った。
従前、旧ソ連圏ではこういった郵便物の受け取りなどは、主に日本大使館で行っていたけれど、昨今のテロ対策などもあって、今現在、日本大使館宛に郵送しても受け取りを拒否されてしまう可能性が極めて高い。(テヘランの日本大使館には、その旨の掲示があった。)
まともな自転車ショップが皆無のドゥシャンベ。パミールやトルクメニスタン走行などに備えて、予備パーツを手に入れたい場合は、CRCなど海外の通販サイトを利用し、配送方法をDHL Expressに指定することで、DHL経由の荷物受け取りができる。
DHLはドイツ郵便傘下の国際物流会社で、信頼度はかなり高い。今回は、DHLドゥシャンベ支店留で自転車の予備パーツを注文。わずか1週間ほどで到着し、トラッキングも細かくできるので、とてもオススメ。配送料も、保険料だと思えば高くはないと思える程度だ。

★日本への郵便物の発送
中央アジア最貧国のタジキスタンから日本に荷物を送る。郵便局は、ドゥシャンベ駅のすぐそば【座標38.557255,68.801643】。
荷物を持っていく(箱につめる必要はない)と、おばさんがミシンで袋を作ってくれる。その袋をそのまま送る仕組みだ。
3kgで2000円程度。かなり安い印象。果たしてちゃんと到着するか…。ちなみに貴重品などは、上記DHLオフィスへ行けば、安全に日本に発送することができる。

★インドビザの取得(2014年8月現在)
テヘランで失敗したインドビザの取得。たまたまインド大使館を通りかかったので、試しに聞いてみるとなんでも発行できるらしい。必要書類は、オンラインで入力した申請書(PDFファイルを印刷)、アディショナルフォーム(大使館でもらう)、パスポートコピー1枚、写真1枚、タジキスタンビザ1枚、銀行預金残高証明書。手数料は150ソモニで、所要6営業日。5営業日目にパスポートを預けにいき、6営業日目に受け取り。銀行預金残高証明書は、オンラインバンキングの名前と日付、金額が表示されている画面を印刷し、英語で注釈をつけたものを提出したら問題なし、ということだった。出国チケット、ホテルの予約表などは必要なし。

★宿
Yeti Hostel
ドミ15ドル
シャワー、洗濯機、共有スペースあり。キッチンなし(電子レンジ、電気ケトルあり)
インターネットはドゥシャンベにしては速いほうで、コンスタントに1Mbps程度でる。たまにWIFIが飛んでないときがあるが、ルータのWIFIスイッチをいれれば復活する。

 

※ここに記した情報は2014年8月現在のものです。


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あっという間のウズベキスタン

2007年に一度訪れたことがあるウズベキスタン。でも前回はブハラには寄らなかった。サマルカンドとブハラを天秤にかけて、「う~ん」と悩んだ結果、サマルカンド(とヒヴァ)だけ滞在した2007年。今回は逆にブハラにのみ滞在することにした。

さてそのブハラ。宿は日本人が多く泊まるというMadina&llyos B&B 一泊10ドルだ。
町の雰囲気も意外によく、なんとなく長く滞在してしまいそうになったけど、そこは我慢。タジキスタンへ急ぐことにする。
世界遺産となっている旧市街のモスクやマドラサ、あるいは廟はさすが世界遺産だけあって、立派なもの。サマルカンドやヒヴァにも劣らないように思う。相変わらずスーパーの貧弱さには辟易するけど、ここは中央アジア。仕方がない。

ブハラでは、自転車のメンテナンスをし、ブログを更新し、宿にこもったまま丸々2日間を過ごした。

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(写真左:この旅初めてのスポーク折れ)

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(泊まっていた宿の中庭風景)

ウズベキスタンを走った6日間
ウズベキスタン国内の走行は、前回2007年の時に500kmほど。キルギス国境から首都のタシケントまで、フェルガナ盆地と呼ばれる地域を走った。あまり鮮明な記憶が残っていないのだけど、のどかな畑が広がり、途中にある村では家々にブドウがなり、交通量の少ない田舎道をのんびり走ったような気がする。

今回はブハラからタジキスタン国境までの545kmを走る。トルクメニスタン国内とは違って南東へ進む。風は北風のままだから、追い風だ。多少標高は上がっているようだけど、スイスイと進んでいく。

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(US50ドル紙幣1枚を両替すると、この通り。札束になって帰ってきます。)

ウズベキスタンで困るのは何と言っても宿。観光地以外の宿はどこも20ドル以上する。それにレギストラーツィアという旧ソ連の制度の名残がまだあって、外国人は必ずこの外国人登録をしなくてはいけない。言い方を変えれば、キャンプや民泊はできない。ということだ。
ただ、今現在、国境でこのレギストラーツィアがチェックされることはかなり少なく、タシケントへ行かない限り、そこまで神経質になる必要もなさそう。僕たちは一応念のためこのレギストラーツィアを集めながら(つまり正規の宿に泊まりながら)ウズベキスタン国内を走った。

ウズベキスタンもトルクメニスタンやアゼルバイジャンと概ね変わらない。道端で大量のスイカやメロンが売っていて、町の作りはどこかソ連風。ただ、一応中央アジア内では発展している国らしく、舗装はほぼ完璧だった。

外国製品に高い関税を課しているため、コーラなど海外の製品は軒並み日本以上の金額がする。
逆に自国産のジュースは安いのだけど、とにかく着色料を使い、人工甘味料で味付けをしているケミカルドリンクのため、かなり不味い。結局一番美味しいのは水かビールということになってしまう。ウズベキスタンではよく炭酸水を飲んだ。暑い時に飲む冷えた炭酸水はコーラに匹敵するほど美味しい。彩はコーラよりもこっちのほうがいいと、よく飲んでいた。

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(写真下左:イランやコーカサス、中央アジアでよく見かける光景。同じ商品を同じ場所で複数の店が売っている。まったく非効率な謎の販売風景・・・)

ウズベキスタンの人々
子供たちは、気さくに話しかけてくれる。大人も英語を話せる人はほとんどいないので、よくわからないロシア語でよくわからない会話をする。ロシア語も2007年に覚えたもの。といっても、知ってる単語は両手の指ほどしかない。
それでも「どこに行くのか。どこから来たのか。出身はどこか。」なんて簡単なコミュニケーションは成立する。
ウズベキスタンの男性も女性も、あるいは子供も、親切。ただ、アゼルバイジャンと同じく、「興味のあるものから目を離すことができない」ようで、いつもじっと見つめられる。どうやらこれはテュルク民族特有の現象のようだ。(イランではそういうことはなかった。)

そういえば一度、英語の教師をしているという男性に会ったことがあった。ホテルを探していると、どこからともなく現れ、値段交渉や両替などでいろいろ世話を焼いてくれた。どうもそのホテルのすぐ目の前に教室があったらしく、僕を両替場所に連れて行ってくれている間、授業は中断。迷惑をかけてしまった。

あるチャイハナであったウズベキスタン人も、庭になっているブドウをくれたりと、基本的にはとても親切な民族だと思う。

途中、チャイハナによると、子供たちが目の前の川で水遊びをしていた。大人たちが見張っているわけでもなく、子供たちが泥で茶色になった川で楽しそうに泳いでいる。日本では(水の綺麗さはあるにしても)子供たちが自由に郷里の川で遊ぶ、なんていう光景を少なくとも都会の子供たちは想像すらできないんじゃないだろうかと思ってしまう。(残すべきことは残したほうが良いと思う。)

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(写真下左:どの村にも自転車に乗った子供たちがいる。彼らはかなり面倒くさい。僕らを抜かしては戻ってきて、また抜かして、という作業を村を出てもしばらく繰り返す。要は”かまってほしい”のだと思うけど・・・)

国境の町デノブ
6日間走って、最終日。ようやくタジキスタンへ入国する日。
国境の町デノブにはあまりいい思い出がない。

どこの国でも、国境の町は雑然としているものだけど、ウズベキスタンも例にもれず雑然とした雰囲気で、たしかにマーケットなどは栄えているけど、前後左右から無数の嘲笑や奇声が聞こえてくるので、ちょっと疲れてしまう。
何度体験しても、国境の町を自転車で走るのは苦手だ…。(大抵迂回路がないので、メインストリートを通ると街中の視線を浴びてしまう。)

ウズベキスタンとタジキスタンの国境は思っていたよりもまともな対応だった。
厳しいと言われていた関税申告書もさらっと受け取ってくれたし、レギストラーツィアのチェックもなかった。
ただ、かばんの中身は全部X線のチェックを受けたし、いくつかのバッグは開封を指示された。特に薬を持っていた彩は、女性の係官から「この薬はなんだ?」と厳しく質問されていた。(とはいうものの、日本語で説明のかかれた薬はすべてスルーで、主に海外で入手した(アルファベットの記載がある)薬が主なチェック対象だった。)

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(写真中左:生活排水でジュースを冷やすので不衛生なタジキスタン。写真中右:女の子は眉毛をつなげるのがおしゃれ。)

この日記は、2014年7月29日から8月3日までの出来事です。


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【まとめ】チリ共和国

チリ共和国 Republic of Chile
滞在期間:2013年11月30日~2014年1月6日、1月16日~2月24日、3月3日~3月8日
滞在日数:84日間

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【チリの日記】

◯アタカマ&ビーニャ・デル・マル(1回目の滞在)
2013年11月30日 宝石の道Day13
2013年12月1日~4日 アタカマでの日々&宿情報
2013年12月4日~5日 ビーニャ・デル・マル 汐見荘へ
2013年12月6日~12日 ビーニャでの日々 ~海鮮編~
2013年12月6日~12日 ビーニャでの日々 ~ショッピング編~

◯イースター島
2013年12月13日 イースター島 ~上陸編~
2013年12月14日~19日 イースター島 ~モアイ編~
2013年12月15日~19日 イースター島 ~自然編~
2013年12月20日 イースター島 ~宿&お店情報~

◯ビーニャ・デル・マル(2回目の滞在)
2013年12月20日~21日 再び汐見荘へ
2013年12月28日~29日 ビーニャでの日々 ~野菜市場・バルパライソ編~
2013年12月24日~2014年1月1日 ビーニャでの日々 ~クリスマス・年末年始編~
2014年1月1日 汐見荘について

◯チリ側湖水地方
2014年1月3日 さあ、また走りだそう!
2014年1月16日~19日 再びチリに戻る

◯アウストラル街道
2014年1月21日~26日 憧れの、アウストラル街道
2014年1月27日~30日 ラフンタ ~自然の中で生活~
2014年1月31日~2月2日 雨の恵みを感じて
2014年2月3日~7日 ひとやすみ
2014年2月11日~14日 アウストラル街道の本気
2014年2月15日~18日 酸いも甘いも
2014年2月19日~23日 終着の地へ
2014年2月24日~25日 山道を越えて

◯南部パタゴニア
2014年2月26日~3月4日 プンタ・アレーナスへ
2014年3月5日~3月8日 風のちから、パタゴニアの自然

【映像】

◯ビーニャ・デル・マル&イースター島
vol15 イースター島のSunrise&Sunset
vol19 チャリダー4人でショッピング
vol20 イースター島・ダイジェスト
vol21 南米の香り
vol22 HAPPY NEW YEAR 2014

◯チリ・アルゼンチン湖水地方
vol25 チリ・アルゼンチン湖水地方
vol27 3つの湖を越えて

◯アウストラル街道
vol28 アウストラルスタート!の前に、温泉と名物オヤジ
vol29 最高の天気でスタート!
vol30 iPadから編集してみたアウストラル街道2日目
vol31 アウストラル街道3日目、雨降りやまず。
vol32 “自転車乗りの家“?
vol33 でっかい町、コイアイケへ
vol34 アウストラル街道後半戦スタート
vol35 エメラルドグリーンとスカイブルー
vol36 続・アウストラル街道の真髄
vol37 真っ青!マーブル・カテドラル
vol38 クロネコキャンプ場~
vol39 幸せのキャンプ場
vol40 パタゴニアをラフティング!
vol41 とんでもない迂回路
vol42 アウストラル街道もいよいよ佳境へ
vol43 一日雨に降られ…
vol44 最後の村へ
vol45 氷河の氷でウィスキーを
vol46 山道を超えろ!

◯南部パタゴニア
vol49 マゼラン海峡を越えて
vol50 こりゃすげぇ!パタゴニアの強風。
vol51 野生のキングペンギン、たっぷり見せます!

日本人チャリダー隊

日本人チャリダー隊(2014年7月19日)
朝7時、マシュハドを出発する。町を出るまでGPSを使っている僕が先頭でみんなを案内。
登りもなくスムーズに進んでいく。気温はそこまで暑くないが、風向きが向かい風なのでちょっとしんどかった。
彩は体調が思わしくないようで、ペースもいつもより遅めだ。

今回、トルクメニスタンへは、日本人5人とボスニア・ヘルツェゴビナ人のダッド6人で向かうことになった。

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午後2時、気温もあがり、疲れてきたので、みんなで道路下のトンネルで休憩することに。
レジャーシートを敷いて、たっぷり3時間も寝てしまった。
途中、イラン人のおじさんがみんなにジュースを振る舞ってくれた。イラン人は時々こういう親切をしてくれる。
上り坂が始まり、完全にバテバテの中、ようやく目的地の町に到着。商店で水を補給し、救急車の事務所(消防署のような)の庭のテントを張らせてもらうことにした。

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イラン最後の町、サラフス(2014年7月20日)
Mazdavandの町を出発、1050mの峠を越える。峠を越えて少し走ると、今までとは風景がかわり、一気に砂漠地帯が現れる。
向かい風の40℃を越える気温。トルクメニスタンで嫌というほど体験することになる熱風を初めて浴びる。

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(テントを張った救急隊の事務所)

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(峠のパノラマ風景、景色が変わった。)

とにかく向かい風で前に進まない。途中、日陰もない中、立ち木1本が作る極々僅かな日陰に身を寄せ体温を下げたりする。
工事中のおじさんにホースで全身に水をかけてもらい、びしょびしょになりながら、ようやくサラフスの町に到着。

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ホテルは5人部屋で一人10ドル。WIFIもあってなかなかいい場所だった。
明日に備えてスーパーで買い出し、夜はファストフードでハンバーガーを食べた。
イランはハンバーガーに始まり、ハンバーガーに終わった。

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(彩の顔ほどもある巨大なナスと5人部屋)

 

トゥー・ホット!(2014年7月21日)
朝、国境が8時に開くということで、7時半に待ち合わせる。
国境は町から近い。
待合所で待つも結局9時過ぎに開いた。
イラン側では、持ち物のチェック。全部の荷物をあけるように言われるが、あまりちゃんと見てない印象。

出国スタンプをもらって、橋を渡りトルクメニスタンへ。人種ががらっと変わって面白い。
イミグレーション。仕事が非効率、非能率的で、僕たちのパスポートを持ったまま、何度も事務室に入ったり出たりしている。
事務所内で1時間以上も待機。朝イチで入国したのに、あとから入ってきたトラックドライバーが先に通される。
トラックドライバーがひと通りいなくなってから、ようやく僕たちの荷物チェック。X線を通したあとに、荷物をすべて開けられる。(じゃぁ何のためにX線に通すのか!)
チェック自体はほどなくして終わり、ようやくトルクメニスタンに入国。
関税チェックもあまりちゃんとしていなくて、現金のみの記載だった。(デジタル機器は無記入のまま)

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(トルクメニスタン入国)

トルクメニスタン側サラフスの町に向かう途中で闇両替、1ドル28マナト。ジュースも買う。
サラフスの町から最短ルートで幹線道路に向かう。
道が悪く、なかなか距離が稼げない。風も強い。

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(トルクメニスタンでは日本の中古ママチャリが乗り回されていた。防犯登録も日本のまま)

 

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(とにかく暑い。わずかな日陰で休憩する。)

気温も45℃を越えた、18時頃、急に胸が締め付けられるような感覚になり、呼吸が苦しくてうずくまってしまった。
何度か立ち上がって走ろうとするも、すっかり熱くなってしまった体が一向に冷めず、ふらふら。
休んでも回復の兆しがないので、しかたなく幹線道路までヒッチハイクすることに。
トルクメニスタン初日で早くも熱中症にやられてしまった…。先が思いやられる。

ヒッチハイクしたトラックは2時間ほど悪路を走って幹線道路に合流。あたりはもう真っ暗。

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しかたなく幹線道路沿いのチャイハナにテントを張らせてもらう。
スーパーにビールが売っていた。一ヶ月ぶり。
中央アジアの料理、サモサも美味しかった。

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(野外の座敷?とでもいおうか。中央アジア名物のチャイハナ)


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泣き崩れるムスリム

やっとだよ。トルクメニスタンビザ受領(2014年7月13日)
待ちに待ったトルクメニスタンビザの受領。
朝イチで大使館に向かう。思ったほど人が並んでいなかった。
受付の窓が開いたところですかさず申請書を提出する。無事受け取ってもらえた。
「Wait」と言われたので、日陰で座って待つことに。前回の経験があるので、トルクメニスタンビザ受領には時間がかかると予想して、水と食料をたっぷり持ってきた。準備万端である。(ラマダンだけど)

しばらくして「ジャパニーズ」との声がする。窓口に行って、55ドルを支払う。
実のところ、この55ドルというのは1週間のエクスプレスサービス(そもそもそれがよくわからないが)の場合で、僕らの場合、すでに2週間以上待っているので、通常の30ドルでいいはずだけど、ここはおとなしく55ドルを払う。
そしてまた「Wait」
1時間ほど待ってようやくビザが発給された。苦節3週間。
初日は臨時休業で、2日目に申請できたものの、謎の1週間臨時休業があり、結局2週間以上、ほぼ3週間かかってしまった。
恐るべしトルクメニスタンビザ取得。
(ちなみにテヘランのトルクメニスタン大使館が閉まっている場合でも、マシュハドのトルクメニスタン領事館は開いていて、別の日本人サイクリストは申請&受領をマシュハドで行っていた。参考までに。)
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トルクメニスタンを取得したので、テヘランにはもう用はない。バスでささっとレズバンシャール(自転車をとめているおじさん家)に戻ろうと思ったのだけど、到着時間が微妙になってしまうので、一旦ホテルに戻ることに。
その後、自転車屋にも行ってみた。ただ、日没直前で時間がなく、お目当てのパーツは探し当てることができなかった。残念。

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ほぼ3週間ぶりにおじさんの家へ(2014年7月14日)
さて、6月末に泊めてもらったおじさんの家にようやく戻る。いやー無駄に長かったイラン。
ほぼトルクメニスタンビザ取得のせいなのだけど、とにかく時間を持て余した。おそらく人生で一番時間を持て余した日々だったのかも。

ながーくお世話になったテヘランのマシュハドホテルを昼前にあとにする。
都合2週間近く泊まってしまった。通称「増毛君」こと受付のおっちゃんともすっかり仲良くなってしまったのだけど、今日でお別れ。乗り慣れたテヘラン地下鉄を使って、バスターミナルへ向かう。そしてレズバンシャールへ。

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(増毛したり、目の下にあざを作って帰ってきたりと何かと話題だった彼)

バスは8時間ほどでレズバンシャールへ到着。
テヘランは灼熱だったのに、山を越えてカスピ海沿いの出たところからなんと雨。緑が生い茂り、田園風景が広がっている。
イランは灼熱の砂漠地帯、というイメージがあるかもしれないけど、カスピ海沿いは実は日本の風景とほとんど変わらない。
予めGPSでプロットしてあったおじさんの家までタクシーで向かう。そしてひさびさにおじさんと再会。

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(緑が多いカスピ海沿岸)

おじさんの抱擁は力が入りすぎていて、相変わらず痛い(笑)
「もう1週間ここに泊まっていけ!」と相変わらずイラン流の引き止め工作を受けるけど、「いや、ごめんビザが切れる」と、なんとか説得。翌日マシュハドに向かうことを伝える。
夜はひさびさのイラン家庭料理。たっぷり頂いて、テントで就寝。

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マシュハドへ向かう(2014年7月15日)
すっかりお世話になってしまったおじさんにお別れを告げ、カスピ海沿いの大都市ラシュトへ向かう。

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(お世話になりました。)

昨日バスで通った道なので、大部分のイメージは残っている。樹林帯、田園地帯を延々と走り、ラシュトへ到着。
ラシュトの町はかなり大きく、町を迂回する環状線も大混雑。すっかり時間がかかってバスターミナルへ到着。
ちょうどマシュハド行きのバスがでるところだったので、滑り込みセーフで乗せてもらった。

いつもながら自転車積み込み代で揉める。自転車代は全世界どこでも「会社によって料金が決まっている」ということはない。
どこでも運転手の裁量なので、聞く人によってころころ値段が変わる。大体、大人一人分が相場で、今回もそうしてもらった。
バスはボルボ製バス。冷房が強すぎてむしろ寒かった。若者の集団が乗っていて、僕らが日本人だとわかると例のごとく“とにかくかまって欲しい”アピールが始まり、うきゃうきゃ笑っている。

イラン人は確かに親切で勤勉。英語を勉強し、世界情勢も理解している。
ただ、一概に「親切」としてしまうのは間違っているような気がする。
結局出会ったほとんどのイラン人は「相手のことを慮る」ということができない。この“かまってちゃん”の若者も、親切なイラン人も、相手のことを慮らない。
相手がどんな気持ちになるかを考えれられない。「相手のことを考える。」という能力さえ身につければイラン人もワンランクアップできるのに…。

 

ネゴシエーション!ビザ延長(2014年7月16日)
朝9時頃、無事マシュハドに到着。トルクメニスタンを一緒に走ることにしていた日本人サイクリストの昼間さん、米山夫妻と宿で合流。
世間話もほどほどに、イランビザを延長するために警察に出向くことにする。

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(一緒にトルクメニスタンを走ることにした日本人サイクリスト)

イランビザの延長。旅人内でも時々話題にのぼるトピックで、特に自転車旅行者の場合、大抵1ヶ月では足りないため、延長することになる。
ここでちょっとした問題がある。実は、ビザの延長は「ビザが失効する日」にしか延長できないことが多いのだ。(例外もある)
僕たちは、18日にビザが切れるが18日は金曜日なのだ。(金曜はイスラムの休日)話によれば17日木曜日も休みらしい。19日の朝にはマシュハドを出発するため、なんとしてもこの日16日にビザの延長をしておかなければならない。
急ぎタクシーで警察署へ向かう。窓口で「ビザの延長をしにきた」と伝えると、2番目の窓口に行くようにとの指示。

緊張した面持ちで窓口に向かう。僕たちのイランのビザを見て、窓口の係官は、「サンデーにまた来い」と予想通りの対応。
ここで引き下がってしまうと19日朝出発の計画が水の泡になってしまうので、「バイシクルだから、日曜日にはこられないんだよマイフレンド」としつこく交渉。
すると、ついに向こうも折れてくれ、仕方ないから書類を持って事務所の中に入れ、とビザ延長を認めてくれた。中で英語を解する事務員に申込書をペルシャ語で記入してもらい、手数料300,000リアルを至近のメッリー銀行で払う。払込証明書を持って、事務所に戻ると即日でビザ延長の手続きをしてくれた。地球の歩き方には「マシュハドでのビザ延長はオススメできない」なんて書いてあるけど、全く問題なく延長することができた。

聖地マシュハド(2014年7月17日)
午前中、マシュハド中央郵便局に出向き、日本への荷物を送る。1kgほどで630,000リアル。安いのかわからないけど、多分安い。プラスチック製の丈夫なBOXも郵便局内で販売されていて、サイズも自由に選ぶことができた。
宿に戻って、荷物の整理をする。

夜に聖地と呼ばれるイマーム・レザーの廟に行ってみることにする。
彩は黒のチャドルをかぶり、顔以外真っ黒。男性陣も襟付きのシャツと長ズボンをはいて敬意を払う。
入り口で持ち物を預け、ボディチェックを受ける。(ボディチェックは結構しっかり確認される。カメラは持ち込めない。)
さて、イマーム・レザー廟。エスファハーンのエマーム広場やサマルカンドのレギスタン広場、あるいはイスタンブールのブルーモスク、アヤソフィア、いろんなイスラム建築を見てきたけど、正直、イマーム・レザー廟が一番エネルギーを感じた。

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実際に現在もシーア派ムスリムの聖地となっていて、この日も大袈裟ではなく5000~10000人以上の信徒が広大な広場で祈りを捧げていた。跪いて頭を垂れる。そんな動作を何千人もの人が同時に行う。コーランがスピーカーから流れる。
ちょっとその場を動けないような宗教的なエネルギーに圧倒されてしまった。
さらに驚いたのは、イマーム・レザーの棺が納められた建物。
クリスタルで覆われた天井や壁は眩いばかりに光煌き、眩しいほど。棺には老若男女、無数のムスリムが一目見ようと、四方から波のように押し寄せ、大混雑。泣きながら棺に触る人もいた。

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そしてヤズドへ。

イラン国内のバストリップもいよいよ最後、ヤズドへ向かう。

元々ヤズドへ向かうつもりはなかった。
が、エスファハーンで驚愕の知らせを受けることになる。

「トルクメニスタン大使館が1週間臨時休業だって」

「へ?」

なんと、ビザを受け取るはずだったトルクメニスタン大使館がいきなりの告知なし臨時休業だ。
つまりビザを受け取る日が1週間も伸びてしまうことになる。
しかたなく時間を調整するためにヤズドへ向かった。

僕たちは時間があったから良かったけど、スケジュールギリギリで動いている旅行者にとっては致命的なことになりかねない臨時休業。まったく中央アジアの大使館は何を考えているのかわかったもんじゃない…。

愚痴はそこそこに、到着したヤズド。
ヤズドはイスラム教というよりは、ゾロアスター教の聖地として有名な場所だ。
郊外には鳥葬のための施設などもまだ残っている。

そしてヤズドは何と言っても暑いことで有名。
僕たちも時間調整のために向かったはいいが、暑くて日中はほとんど外にでることができなかった。

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(ヤズドのイスラム建築。木彫のレリーフが美しかった。)
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(アルコールが飲めないイラン。そのためかノンアルコールドリンクが普及している。律儀な内容量表示320プラスマイナス5ml。実際は闇酒もあるし、アルメニアなどに旅行に行った際たらふくお酒を飲んでいるらしい。でも、さ、やっぱりお酒の本当の味を知らないのは人生の半分以上損していると思うなぁ。)

そして外出しても浴びせかけられる「チンチョンチャン」の大合唱。
「チンチョンチャン」は主に中国人を侮蔑する言葉なのだけど、東洋人であれば、誰かれ構わず浴びせかけられる。

イラン人は優秀、という話を今まで書いてきたけど、どの国にもいい人、そしてよくない人はいる。日本にだっている。民族を一括りにしてあまり先入観を持たないことが大事かなと思う。

ただ、ヤズドでは家族連れの男性から「チンチョンチャン」攻撃を受け、無視をしていると、再びわざわざ戻ってきて、もう一度「チンチョンチャン」と言われたこともあった。子供の眼前で、である。
これにはちょっと怒った。何がしたくて、侮蔑の言葉を浴びせるのだろうか?
優越感に浸りたいのだろうか?しかし、中国人にも君より立派な人はいくらでもいる。
身の程知らず、というか、井の中の蛙というか。
そういう憂さ晴らしをする彼らが、ちょっとかわいそうになってしまった。

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都合4泊して、ヤズドを発つ。
トルクメニスタンビザを受け取るために、テヘランへ戻った。


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エスファハーンは世界の半分

シーラーズをあとにした僕たちは、バスでエスファハーンへ向かう。
バスは21時頃にターミナルを出発。深夜3時頃にエスファハーンへ到着した。

エスファハーン行きのバスではなかったようで、とんでもない場所で降ろされてしまった。
同じ場所で降りた別の女性とタクシーへ乗る。市内へは20分程度、深夜料金と称して10万リアルほど取られてしまった(ちなみにバスは12万リアルほど)

早朝4時、仕方ないので通りの公園で時間を潰すことに。

7時頃、ホテルにチェックインし、いざ、王の広場(イマーム広場へ)

16世紀末のエスファハーンの繁栄ぶりを見た商人たちは「Esfahān nesf-e jahān ast」(エスファハーンは世界の半分」と呼んだそうだ。

この「世界の半分」という言葉にずっと憧れを持っていた。
「世界の半分。」
こんなにもこの街を簡潔に表した言葉もないと思う。

さて、そのエスファハーンの中心、王の広場へ足を踏み入れる。
さぁて!

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「う~ん」・・・笑

世界の半分か・・・。まぁそう言いたくなる気持ちはわかる。
16世紀なら日本は戦国時代。
そう考えれば世界の半分に見えたのかも。
でも、昼間の広場はちょっと閑散…。たしかに寺院は美しいのだけど賑やかさがないような気が…。

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(工芸品はとても繊細で驚くほど。タイルも素晴らしい)

でも、この王の広場のホントのおもしろさは、実は夜にある。

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ラマダンも重なっていたのもあるけど、夜になると、四方からイラン人が広場に集まってくる。
そうイラン人が大好きなピクニックをするためだ。
しばらくすると、広場の芝生という芝生にはレジャシートを広げ、思い思いに談笑するイラン人で溢れかえる。
なぜか観光の馬車も登場し、広場をぐるっと回ったりしている。とにかく賑やかだ。

ふらっと歩いていると、英語が達者な少年に話しかけられた。
少年の名前はマホメット君
「僕たちの家族のところにこないか?」と夕食に誘われた。
せっかくなので向かってみることに。

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すると、現れたのは大家族。
「おお日本人か?」「こいつは日本人だ~」なんて家族・親戚で大盛り上がりしていた。
甘いスイカを頂いて大満足。

イラン人は本当に英語を話す人が多い。
この家族もお姉さんが英語の先生をしているらしく(英語の先生に会う確率も極めて高い・・・)
僕たちよりもずっと流暢な英語を話す。

せっかくなので、イランについていろいろ質問をしてみた。
一夫多妻制の話とか、出生率の話。
イランのイスラム教は、世界の中では少数派のシーア派だ。サウジアラビアを中心とするスンニ派とは対立する関係にある。
スンニ派が1人の男性に対して何人もの妻をとれるのに対して、シーア派は4人までらしい。

が、実際は1人の妻のみと生涯過ごす男性がほとんど。子供の数も2人が多いらしい。
そのためイランの人口はすでに横ばいらしい。
「なぜ?」と聞いてみると、「エコノミックのリーズン」らしい。
「ああ、じゃぁ日本と一緒だね」と大笑い。
英語をしゃべるイラン人が多い、ということと矛盾しない。教育熱心な国なのだ。
子供多くもうけても教育にかかる費用を賄うことができないらしい。

なんとなくイランに親近感を抱いた、と同時に、そういう考え方(日本と同じようなレベルの考え方)が存在する国なのだ、と思った。

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2日後、メールアドレスを交換したマホメッド君から、
「うちにご飯を食べに来ませんか?」と英文メールが送られてきた。
「Yes以外の返事を聞きたくない」といやに強硬なメールだった笑

せっかくなので、お邪魔することに。
ホテルに19時に迎えに来てもらった。
車で走ること30分。
エスファハーン市の郊外に立つ新築のマンションがマホメッド君の自宅。
地下駐車場は何層にも重なり、門はリモコン式の自動開閉だ。

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エレベーターで彼の自宅に入る。
以前から思っていたけど、イランの家はどこの家も豪華。
かならず韓国製の大画面液晶テレビがあり、エアコンがあり、パソコンがある。
トイレは水洗だ。ほとんど日本と変わらないような気がする。
ただし物価は日本の1/5から1/10。

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一体どういう経済構造になっているのか、とても気になる。
アメリカに経済制裁を受けているけど、決して困窮している感じではない。
トルコやトルクメニスタンとの通商も盛んで、アラビア海に面した港もある。石油もある。
イランという国が本気を出したら、経済的にもなかなか良い国になるんじゃないかと、思ったりする。
低賃金で優秀な人材がいる。港もあれば、工場も進出できる。

マホメッド君の自宅でたっぷり夕食をごちそうになってしまった。
イランの家庭はいつも家族・親戚でいっぱい。とても幸せそうだった。

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※イスファハーンの宿
「Amir Kabir hostel」
バックパッカーの定宿、朝食付きで30万リアル
朝食もちょっと豪華でジュースがつく。
インターネットは朝晩のみ、そこそこ使える。(といっても遅い)
彩は日本の友達とスカイプをしていたけど、問題はなさそうでした。


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おじさんを振りきって

おじさんを振り切って出発するのも大変だったので、しかたなくここに自転車を置きテヘランに向かうことにした。テヘランへのバスは夜12時ころ出発。3列シートでエアコンもあり快適だった。しかも値段はなんと6ドル。めちゃめちゃ安い。無事翌日朝、テヘランに到着した。  日本人が集まっているというマシュハドホテルへ。ここでようやくチャリダーの米山夫妻と会うことができた。

テヘランでのビザワーク ~トルクメニスタン編~
テヘランでする事は一つ。ビザの取得だ。テヘランではトルクメニスタンとインドのビザをとる予定だ。トルクメニスタン大使館はテヘラン市街の北の端にあって、結構時間がかかる。地下鉄の終点まで乗って、そこから歩くこと25分。ようやく大使館に到着。

ところが、大使館の前には人気がない。いやな予感。祝日休日ではないはずなのになぁ。なんて思っているとたまたま大使館員の人が通りかかり、「今日は会議で休館だよ」と一言。がっくり。仕方なく踵を返して来た道を駅まで戻る。帰りの道はとても長く感じた。

とりあえず長丁場になりそうなので、スーパーに買い出しに行ってきた。スーパーはホテルから歩いて20分。テヘラン市内にはいわゆるミニマートが少なく食料の調達に四苦八苦することがよくある。とにかく飲み物、食べ物が売ってないのだ。(特に宿のまわりは) スーパーで数日分の食料と水を買い込み、宿に戻った。

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(テヘラン市内のスーパー。レジには店員の応対を評価する謎のボタン付き)

木曜日、今日こそトルクメニスタンのビザを申請しなければならない。 というのも、イスラムの世界では金曜が休み。つまり明日はもう申請できないのだ。  朝イチで大使館に向かう。ささっと申請を済ませて、次のインドビザセンターに向かう予定だ。  大使館前には昨日とは変わって人が溢れている。小さな窓口で申請書を渡そうとすると、近くの男性を呼びチェックしろと言って窓口を閉めてしまった。この男性はVISAの代行業者らしく、慣れた手つきで申請書類をチェックする。どうやら申請書類には問題はないらしい。ここまではOKだった。問題はここから。  申請書類が受理されるまでは、この場に留まらないといけないらしいのだけど、受付の窓口がなかなか開かない。結局開いたのはなんと4時間後の13時。4時間も待たされてしまった。
結局、インドビザの申請はできず。週明け持ち越しになってしまった。

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(トルクメニスタン大使館の小さな小さな窓口に殺到する申請者。もっと申請しやすいように工夫をすればいいのに・・・なんて彼らは露ほども思わないんだろうな。)

テヘランでのビザワーク ~インドビザ編~
土曜日はインドビザ申請センターの場所を確かめるためにテヘラン市内へ出た。 インドビザは、テヘラン市内の旅行代理店が業務委託を受けていて、インド大使館とは別の場所にある。地下鉄駅からちょっと距離があるため、バスで向かった。無事、インドビザ申請センターに到着。予想通り休みだったので、場所だけメモして、インターネットカフェにむかった。 ネットカフェでは、インドビザのオンライン申請をして、ビザ申請時に必要なインド出国チケットを印刷。


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(イランでハマりにハマっていたフレッシュジュース(メロン)。これがめちゃめちゃうまい。25000リアル(約100円ほど)

再びスーパーにいくため地下鉄にのる。地下鉄の駅を降りると何か様子が変。どうやら、新しい路線でよくわからないままスーパーを少し通り過ぎてしまったらしい。仕方なく、歩いて向かうと、ここで大発見。

この通りは実はアウトドアショップ街になっていて、マムートなどの海外ブランドのウェアが売っていたのだ。彩のズボンが破けてしまったので、新しいズボンを買おうとしていたのだけど、結局ちょうどいいサイズがなくて断念。スーパーによってから宿に戻った。

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(寝袋やガスストーブなど様々な商品がならぶ店内。かなりしっかりした装備を整えられそうだ。)

翌日、ようやく週明け、インドビザの申請に向かう。インドビザ申請センターに朝早くつき、スタッフの人に声をかけると、「どこの国の出身?」と声を掛けられる。「日本だ」と答えると、「外国人はここでは申請できないよ。」とのこと。がっくり。。急ぎで正しい申請方法を聞く。どうやらインド大使館へ出向く必要があるらしい。さらに日本大使館のサポートレターも必要とのこと。急いで日本大使館に向かい、サポートレターを発行してもらう。

在テヘラン日本大使館はいつにもまして厳重だったが、日本人だというと警備員の男性はすんなり中に入れてくれた。通常、日本のパスポートを見せた上、日本人といえども金属探知機を通って荷物を改められるのだけど、イラン人警備員はあまり気にせずスルーして、通してくれた。。

窓口ではイラン人の女性大使館員が応対してくれた。一応日本語が話せるようなのだけどイマイチ、スムーズにコミュニケーションできない。ちょっと時間がかかりつつも、なんとか意図を説明できた。いつも通りの承諾書(ビザを発給してもらう国には危険地域がありますが、説明を受けた上、自己責任で入国します。というような内容)にサインをして提出。今回は追加で今後の旅程表のようなものも書かされた。

結局のところ、当該国のビザはその直前の国でとってほしいらしく、なぜテヘランでインドビザをとる必要があるのか、とその女性スタッフに突っ込まれたため、いちから事情を説明するのに時間がかかってしまった。 ようやくサポートレターが渡され、これで終わりかと思っていたところ、なんと副領事から説明があるという。お忙しい中、副領事の鈴木さんから丁寧にイランと周辺国の最新の危険情報や、イラン国内のマナーなどについて教えていただいた。

長くなってしまったけど、後少し。

インド大使館へ向かう。ゲームのラストボスを倒すときのような心境だ。迷宮のようなダンジョンをクリアしてようやく辿り着いたインドビザ申請。
インド大使館は日本大使館から近く、すぐに到着。申請書類を提出すると、「日本大使館になぜサポートレターを出したのか確認するから、また明日来てくれ」とのこと。うーん、まだ決着がつかないインドビザ。。

翌日、早朝インド大使館へ向かった。  結果、テヘランでのインドビザの発給は1ヶ月のシングルエントリービザのみ。3、6ヶ月のマルチビザは発給していないとのこと。完敗。

都合上4日間をかけ、交通費をかけ、靴底をすり減らしながら頑張ったインドビザの取得は、残念ながらできず。。

しかたないので、気持ちを切り替えて、ペルセポリスを見に行くことにし、夜行バスでシーラーズに向かった。

※6ヶ月のインドビザは、キルギスの首都ビシュケクで取得できるようです。僕らも検討中。。

 


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おじさんに捕まって

おじさんに捕まって(2014年6月21日~23日)

泊めてもらった翌日、次の町ラシュトへ向けて出発しようとするも、
「1週間くらいゆっくりしていきなさい」と引き止められてしまった。

「いや~ゆっくりしていきたいのだけど、先を急がなきゃいけないから」となんとか説得して、どうにか出発することに。
妹さんはアヒルを庭で飼っているらしい。アヒルのかわいさと妹さんのかわいさが微笑ましかった。

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どうにかこうにか出発。日本人をもてなしてくれる人がいると有名なフーマンを目指す。

が、しかし、またイランの親切に捕まってしまう。

35kmほど走ったところで、恰幅のいいおじさんに止められた。
話を聞いてみると、どうもこのおじさんもサイクリストで、去年(!)日本を走ったことがあるという。
半信半疑の中、ランチを食べないか?ということだったので、おじさんの家に行ってみることにする。

おじさん家は、出会った場所から更に10kmほど先にあり、一度別れてから再合流するのに苦労した。
レズバンシャールの町から少し走った所にあり、普通の一軒家。
奥さんがたっぷりのバターライスとおかずを出してくれた。

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パソコンを見せてもらうと、日本の風景とおじさんが写っている。どうやら話は本当らしい。
「日本を縦断した」、ということはなさそうだけど、柏(イラン人のペルシャ絨毯商がいるらしい)の写真がでてきた。「日本は最高だった。」とおじさん。

さて、話も伺ったし、ご飯も頂いたし、出発しようとすると、お得意の引き止め工作。
「1週間くらいゆっくりしていけばいいじゃないか」と今朝もどこかで聞いたようなセリフ・・・。

たしか初めは「ランチでもどうだ?」という話だったはずが、いつのまにか「1週間のホームステイ」に変わってしまう、イランマジック…。

うーん。まぁ時間も遅くなってしまうし、「今日は泊めてもらうか」ということで一泊させてもらった。
夕方頃、「ちょっと親戚の家に飯を食べに行くからこないか?」というので、ついていく。

車で少し走って降ろされる。建物の中に入ると、偉そうなおじさんが3人英語を話している。
「ここが親戚のうちかな?」なんて思っていると、どうも違うらしい・・・。

実はここは英会話学校だったらしく、いきなり女子クラスの授業に放り込まれて即席講師になってしまった・・・。英語は全然喋れないのだけど、「イランの若い女の子が世界を、自分の国をどう感じているのか?なぜ英語を勉強しているのか?」などなど疑問がいっぱいあったので、この機会にぶつけてみることにした。
初級クラスのため、僕の拙い英語すら難しかったみたいで、コミュニケーションは取れなかったのだけど、イランの若い世代が何を考えているのかが少しわかったような気がした。

帰りがけに、「記念写真を撮っていいですか?」と聞くと困ったような表情。
どうも保護者の許可がいるらしい。さすがイラン。ムスリムの国だ。

その後、バスに乗っておじさんの親戚のうちに。
親戚10人ほどが集まって夕食を食べていた。
イランは子供が多い。こうやって子供も大人も親戚が一同に集まって食事する文化があるのはいいこと。
この日はおじさんのうちに一泊させてもらった。

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翌日、出発しようとしていると、やっぱりおじさんに引き止められる。
結局、旅の計画をすべて白状させられ、大きく軌道修正して、このおじさんの家からテヘランに向かうことにした。うーん、うれしいやらめんどくさいやら。。

夕方におじさんの娘さんとその旦那さんが食事に行くというのでついていった。
郊外のチャイハナ、ケバブとシャイそして水タバコを楽しむ場所だ。

彩は以前から水タバコを一回吸ってみたかったらしく、ようやく体験することができた。
タバコの葉にフルーツの味付けをして吸う水タバコ。これ結構ハマります…。

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(案内してくれたおじさんの娘夫婦)

結局2泊して3日目の夜、ようやくバスに乗ってテヘランに向かうことになるのでした・・・。


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